多目的トイレでアンジャッシュするなよ
おかっぱ頭の手を振り解こうとしたその瞬間だった。
狭い空間、冷たい床、閉じた扉。
息が詰まる。
視界が歪む。
―中学の、あのときの記憶。クソ…このタイミングでフラッシュバック…!
押し倒され、何度も床に叩きつけられたあの光景が蘇る。
「……やめろ。やめてくれ……!」
僕は意図せず、そう声が漏れてしまった。
情けないことに事件の記憶が洪水のように溢れてきた。クソ。死ね。
わかってる。
犯人はいま刑務所だ。
半年後までは出てこない。分かっている。
ここにはいない。
思い出すな。頼むから記憶から消えてくれ。
「ちょ、ちょっと!?」
おかっぱが動揺した声を上げた。
その瞬間―ガチャッ、とドアが開いた。
「お前らなに多目的トイレでアンジャッシュしてんだよ?」
呆れたような声。
入口に立っていたのは、見覚えのあるチャラい男子だった。
「ムツミ…」とおかっぱ頭は顔を強張らせてそう言った。
「お前らなんで多目的トイレでアンジャッシュしてんだよ?」
呆れたような声。
入口に立っていたのは、見覚えのあるチャラい男子だった。
「ムツミ…」とおかっぱ頭は顔を強張らせてそう言った。
そうだ彼は同じクラスの… 『皆んな拍手しろよ。よろしくな中山くん!』と朝のHRで場を和ませてくれた人だ…。
ムツミ…そうだ。橘花 睦くん。
空気が少し緩む。
ムツミは髪を左手でかき分けて大きく息を吐いた。ムツミは170ある僕より一回りも大きくガタイが良かった。なんだか平成の仮面ライダーという感じだ。
おかっぱは反射的に手を離し、僕は床に崩れ落ちる。左腕を掴み急いで止血する。
睦は僕とおかっぱの二人を交互に見て、ため息をついた。
「お前らなに多目的トイレでアンジャッシュしてんだよ。発情期か?」
は…アンジャッシュ?
「……うるさい!!アンジャッシュって言わないで!!児嶋はなにも悪くないでしょ!」
おかっぱは顔を真っ赤にして児嶋を弁護した。無論この空間に児嶋はいない。
僕は口を出せずただ黙り込んでいた。
「へーへー…すいませんね。はいはいお前らなに多目的トイレで渡部してんだよ」と睦はため息をつきながら言った。
「いや渡部もしてない!」とおかっぱ。
「いや渡部はしただろ」と睦。
この捉えどころのないチャラ男におかっぱはイライラしていた。
おかっぱは顔を背けて多目的トイレから出ていこうとしたが、睦がおかっぱの肩を軽く掴みそれを阻止した。
「おいおい…ちゃんと謝りなさいよ朝日。この子、今日転校してきたばっかりじゃん」と睦はなだめるように言った。
ここにきて、おかっぱの名前が朝日ということが分かった。
「な…ムツミお前なんでコイツの味方するんだ!?コイツのせいでヒジリが…!」と朝日は言いかけ口を押さえた。そして朝日は勢いよく睦の手を振り解いた。
「おい転校生!お前ヒジリに指一本でも触れてみろ!殺すからな!」
そう叫び、おかっぱの…朝日はトイレから出て行った。
残されたのは、まだ震えている僕と、苦笑する睦だけだった。
「……ったく。トイレでアンジャッシュどころじゃねぇな」
睦は僕の手首の傷を見て、優しい顔つきで微笑んだ。
「おい……それ、痛かったな…」と言って僕の左手首を優しく握った。
僕は何も言えなかった。
ただ、自分の左手を見つめた。
睦の白いワイシャツがゆっくり僕の血で染まっていった。
爪痕の痛みよりも―優しく握ってくれた睦の手の温かさの方が今の僕には痛かった。
「ったく……大丈夫かよ、渡部くん?」
「……あ、中島です」




