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合言葉を言え

 おかっぱが唾を飲み込む音が多目的トイレに響きわたった。


 「……ニーナだっていう証拠は?」


 僕は無意識に問い返していた。

 おかっぱは少し目を細めて笑った。


 「証拠?」


 「あ、じゃあ僕たちの……合言葉は?」


 一瞬、沈黙。

 おかっぱの目線と喉が小さく動いた。



 「え、あの……その……あーアバタケ…タブラ?」


 目を泳がせながらそう答えた。



 やっぱり…ニーナじゃ無い。

 まぁコイツがニーナなわけがない。

 正解は『死んだように踊るように生きろ』だ。



 でも、ニーナじゃないにしてもコイツは誰だ…?

守護天使セラピーのことも、ニーナのことも知っている。


 ①天野聖の友人

 ②僕かニーナについてたカウンセラーの知り合い

 

 まぁ…①だろうな…。②だとしたら心理士の守秘義務があまりにもクソすぎる。でもこの子クラスにはいなかったよな。同じ学年?いやそもそもどうして僕がサリーだと気づいた?


 天野聖は僕のことを知らないはずじゃ….



「……誰なんだよ、君。」


 その言葉におかっぱの顔が怒りに歪んだ。

 次の瞬間、僕の手首が掴まれる。


 「――っ!」


 左手首。クソ。こいつ!


 リストカットの痕に、おかっぱの爪が突き立った。


 「痛っ……やめろ!」

 


 コイツ…なんでリスカのことも知っているんだ。


 僕はおかっぱ頭の右腕を反射的に強く掴んだが、左手の痛みのせいでうまく手を振り解くことが出来なかった。


 「やめろ?ふざけんな!」そう叫んだおかっぱの目が涙で濡れていた。



 「お前…!何しにこの学校に来たのよ!!ふざけるな!!」


 爪が深く食い込む。古傷の白い線から血が滲む。


 「余計なことするなよ。あのとき逃げたくせに!」


 “逃げた”その言葉が、脳を貫いた。左手の痺れは体全体に感電したようだった。


 逃げた。

 そうだ。

 あの日、僕は渋谷の光の中で逃げた。

 ニーナを残して。


 僕はあの時を思い出し、体から力が抜けてしまった。急に力を抜いたせいでおかっぱの突き刺した爪は僕の左手首をより深く食い込ませた。


 多目的トイレが鉄の匂いで充満し始めた。

 トイレの床には血の水たまりができてしまった。


 おかっぱ頭もここまで血が出ると思っていなかったのか動揺して固まってしまった。



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