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プロローグ
“影の残響”という言葉がある。
音が壁にぶつかって跳ね返り、だんだん薄れて消えていく、あの余韻。
安田健の頭の中は、まさにそんな状態だった。
記憶の欠片が、煙草の煙みたいにふわふわ漂って、形にならず、でも苦い匂いだけが鼻に残る。
東京の夜はいつも派手だ。
ネオンが街を染め、心の隙間を照らすふりをする。
でも結局、照らされているのは闇の輪郭だけ。
健はそんな街を歩いて、いつものバーに滑り込む。
カウンターの向こうに、赤いリップの女がいる。
川崎玲。
彼女の視線に触れた瞬間、心臓が少しだけ速くなる。
甘くて危険な何かを感じさせる。
記憶のない男が、そんな女に惹かれるなんて、運命か、ただの馬鹿か。
玲の瞳には、昔の影が宿っている。
健は知らない。
いや、知っていたはずだ。
全部が、静かに響き続ける残響のように、心の奥で震えている。
この物語は、そんな影の始まりだ。
煙の渦に、ゆっくり巻き込まれていく。




