1-9 役割とは
その日は、朝からしとしとと雨が降り続いていた。
最近まとまった雨は降っていなかったので、草木などにとっては恵みの雨だ。
しかしノエル・フロストにとってはあまり好ましくない雨らしい。
それは湿気でくるんとなってしまう自分の髪質が最近どうしても気になってしまうからだ。
今までそんな事は気にも留めなかったのだが、このところやけに髪型を気にするようになっている。
今日は午後から魔法薬学の授業がある。
今回の実習の難易度は基礎ながらも高いとされている。
ここは自分の見せ場と言わんばかりに張り切っているノエル。
予習もみっちりしてあるし、何が起きても対処はできるはず。
ノエルの予想通りあちらこちらからボンッという音と共に煙が立ち込めている。
まるで僕のためにお膳立てしてくれているようだと勝手に良い方へと解釈をし、
口角を持ち上げながら「これでよし」と心で呟くと同時に、──ボンッ という音がノエルの鼓膜を揺らし、手元のビーカーから煙が立ち込めた。
この日、魔法薬を見事生成させたのはルシエル・バートンとハンナ・クレイリッジたちのグループのみだった。
生成量が少なく、合格とまではいかなかったが、それでも作り上げたという事実には変わりない。
そのグループは教壇の前に立ち、生成させるにあたりどこを注意したのかなどを代表でルシエルが発表していた。
──ルシエル・バートン。
ノエルは憎しみを込めた視線をルシエルに浴びせている。
──何故この僕が出来なかったことをあいつがやってのけているんだ?
そして、どうしてお前はクレイリッジ君の隣りにいるのだ?そこは僕がいるべき場所だろう?
たまたま同じグループになった事までを含めて嫉妬心を、今にも目から飛び出るのではないかと言うくらいメラメラと燃やしていた。
それからというもの、ノエルはルシエルを敵対視するようになった。
ハンナが近づこうものなら、呪われろと言わんばかりの視線を浴びせ、
ルシエルが授業で発言をするときは、舌を噛めと念じ、
実技のときは盛大に失敗しろと念を送り続けている。
だが、先の竜騒動で英雄視されているルシエルの対して、──正確にはエバンも含めた二名なのだが── 計り知れない差が生まれたのも事実。
ノエルはルシエルに対しての憎悪は日を追うごとに増してゆく。
現に今も校舎の窓から旧庭園でハンナと楽しそうにしている憎き輩に呪いの念を送っている。
「──ルシエル・バートン、いい気になるなよ」
* * * * *
同日の朝、小雨。
「パパ行ってらっしゃい。今日は帰ってくるの早い?一緒に遊べる?」
「そうだね。今日は早く帰ってくるよ。だから何して遊ぶか考えていておくれ。では行ってくるよ」
エドモンド・グレイサンは小さな子供達を抱き抱えながら妻の額にそっと口付けをして玄関を出た。
フッと小さく息を吐き、「さて、どうなるものか」と呟き歩き出した。
今から五日前のこと、エドモンド・グレイサンはヴァレント・ハイラード校長にある書類を提出した。
「これは、どういうことかね?エドモンド君」
ハイラード校長は顎髭を触りながら尋ねた。
「私なりの、けじめです」
エドモンド・グレイサンは先日の竜騒動で生徒に危険な目に遭わせてしまった責任から学園を去る決意を固め校長に申し出ていた。
野外授業の前には、ひとり現場に赴き、生徒たちに危害を及ぼすようなものはないか、
危険な場所はないか確認はしていたのだが、まさか竜と遭遇するだろうことは考えも及ばなかった。
しかし、それはただの弁明であって生徒があのような事態に陥ってしまった事実は変わらない。
グレイサンは学園についたその足で校長室に向かった。
そこにはハイラード校長、セレナ・フィンレスト教頭が神妙な面持ちで待っていた。
「おはようございますグレイサン先生、どうぞこちらへ」
フィンレスト教頭に校長席の前にあるソファを勧められた。
校長に教頭と対峙し、しばし沈黙による重たい空気が漂っている。
ピンと張り詰めた空気の中、ハイラード校長がいつもより低い声で話し始めた。
「さて、グレイサン先生、先の申し出についてだが、君の言い分は理解した。理解した上で率直に申し上げる。受け入れられない、と」
「──つ、こ、校長」
「竜襲来についての報告書についても勿論受け取っておるよ。そして、どのような状況だったのかも把握した。
君は一人の生徒を犠牲にしたとそう判断するのだね?」
「は、はい。私は、あの時、ハンナ・グレイリッジを守る義務を放棄してしまいました。
そして安全確認をも怠りルシエル・バートンやエバン・ヒルティたちにも危険な目に遭わせてしまったんです」
グレイサンは当時のことを思い出し、喉をひきつらせながら話す。
「うむ。確かに」
「こ、校長⁈」
フィンレスト教頭は目を丸くして校長の方へ身体を捻る。
それを、手で制し校長は続ける。
「君は一人の生徒に対して何もしてやれなった。
だがね、グレイサン先生、あの時、結界を解いていたらどうなっていただろう?
結界を解き、一人の生徒の救出に向かった場合、その場に留まっていた生徒たちはおとなしくその場にいただろうか?
パニックを起こした生徒たちが逃げ回った場合、それは竜を挑発しうる行為に発展したのではなかろうか?
竜はこちらの言い分など聞いてはくれんのだよ。勿論それは君自身もよく知っていると思うがね。
いかなる場であっても子供たちをきちんとまとめなくてはならないのが我々教師であろう?
君はその責務はきちんと果たしている。君は最善を尽くしたのではないのかね?」
グレイサンは唇を噛んだ。
校長はグレイサンの顔色を見ながら静かに続けた。
「もしも君自身責任を感じてこの場を去ろうと言うのなら、私は認めない。それこそ責任放棄ではないのか、と私は思う。
被害にあった生徒の中には大きく心に傷を負ったものもいるであろう。更にその傷はまだ癒えていない者もいるであろう。
君はここを去ればそれでおしまいか?それが本当の責任なのかね?もしも君自身責任を感じているのなら、
子供たちの心のケアを含めて見守り続けることではないのかね?」
グレイサンは責任から逃れようとした自分を恥じた。
心のどこかで、ここを去ることで区切りをつけられると思っていたことをハイラード校長に見透かされていた。
なんて自分は弱い人間なのだ、結局は己のことしか見ていないのではないか。
しんと静まり返った重たい空気が校長の咳払いによって変化が生まれようとしている。
「人間誰しも自分が一番可愛いのだよ。そこに大人も子供もなくみんな。あの子たちは自分で乗り越えようとしている。
それは君も同じだよ、グレイサン先生。己と向き合い、いかなる困難や苦悩も自分で乗り越えなくてはならない。
私は逃げてはならないとは決して言わない。逃げていい場面を見違えるなと言いたい。そうは思わないかい?」
校長は窓の外に目を向け目尻を下げ告げた。
「君がいてくれたから生徒たちは守られたのだよ。あの子達だってそう思っているだろうね、きっと」
グレイサンは窓の外にいる生徒たちを見た。
談笑している、ルシエル・バートン、エバン・ヒルティ、ハンナ・クレイリッジの三名。
グレイサンの抑えていた感情は堰を切り溢れ出し、唇は震え、肩を大きく揺らし、目からこぼれた大粒の涙が彼の膝下を濡らした。




