チャンフェイ
買い物の帰り道、いつもは見かけない人を見かけた。
少し着くずれているが、それは上質なものであることが分かる。ヨウが与えてくれるものと質は変わらないだろう。
少々乱れた髪を後ろでまとめ、筆を動かしている女性の姿は、町では浮いて見えた。通りがかる人も彼女にちらりと目をやっている。
リーメイは彼女が何を書いているのか興味が出て、彼女の手元をちらりと見た。
最近、少しずつ読み書きができるようになってきた。もしかしたら書いてあることが部分的に分かるかもしれない。
しかし、そこに描いてあったのは墨で描いた絵だった。ちょうど、彼女の視線の先で寝ている猫の絵だ。ふわふわとした毛並みと気持ちよさげに眠る猫の表情がとても可愛らしく、リーメイはつい足を止めてしまった。
「……気になるかい?」
女性がこちらの視線に気づいたらしい。リーメイの方を見てそう言った。
「あわわ、すいません!勝手に見てしまって……」
リーメイが慌てて謝ると、女性は胸がすくようなさっぱりとした笑みを浮かべた。
「いいさいいさ、息抜きがてらやってるようなものだから……
それよりあんた、なかなか絵になる顔をしてるねぇ?ちょっとこっちに来ておくれよ」
女性は手招きする。リーメイは戸惑いながらも女性のほうへ近寄った。
ぱっと見た感じ、悪そうな人には見えない。人目はあるし、この近くには世間話をして仲良くなった人もいる。
「ふんふん……いい目をしてるね。あんた、見た目を褒められたこと、あるだろう?」
女性はリーメイをじっと観察するように眺める。
何だか中身まで見透かされているような気がして、一歩下がりたい気分になった。
「家族には……ああ、あと……いや、あれはどうなのかな……」
「なんだい?恋人あたりに照れ隠し気味に言われた、とか?」
ほとんど正解に近いことを言われて、リーメイは目を見張った。
女性はその顔を見て、面白いものを見つけた、というような笑みを浮かべる。
「へぇ……なるほど。素直に言えないたちなのかい。それはそれで可愛いやつじゃないか」
「かわいいというより、かっこいいですよ!」
リーメイはついむきになって言ってしまった。自分でも何を言っているのだろう、と思って慌てて口を手で覆う。
「ほう……あんたも首ったけかい。お似合いじゃないか。で、うまくいってるのかい?」
「最近やっと一緒の部屋で寝られるようになって……わたしが寝るまで色んな話をしてくれるんですよ」
「ははは!そうかいそうかい……それじゃあ子宝に恵まれるのも近いねぇ。ちゃんと結婚はしたのかい?」
「はい、結婚は……え?子宝?」
「ん?違うのかい?」
女性はいつの間にすすめていた筆を止めた。
「だって、一緒に寝てるだけですよ?」
「いや、一緒に寝るって言ったら……ん?もしかしてそういう……?」
女性は暫く考えこむように唸っていたが、合点がいったようにぱっと明るい表情になった。
「なるほど!あんた大事にされてるんだね!」
「そうです!とっても大切にしてくれて……」
リーメイはヨウのことを思い浮かべ、ふにゃりと笑った。
最近は話す時間も増えて嬉しい。なんだかんだで言葉の端々にこちらを思いやる気持ちがあるのを、リーメイは理解していた。
「あんた、いい顔するねぇ。幸せそうで何よりさ」
女性はさっと絵を完成させ、リーメイに手渡した。
微笑むリーメイの姿がそこにあって、リーメイは驚く。自分の顔をまじまじと見たことはないが、かなりそっくりだった。
「こ、こんなにお上手なのを……えっと、お金……」
財布を取り出そうとしたが、女性はそれをいいから、といって止めた。
こんなに上手なのに、お金を払わず受け取っても良いのだろうか。
「息抜きがてらにって言っただろう?仕事で描いてるわけじゃないさ、金は取らないよ」
「で、でも……こんなにすごいのをタダで貰えるなんて……」
「依頼されたわけじゃないからねぇ。むしろこっちが依頼したわけだし……」
依頼、という言葉にひっかかり、首を傾げる。そういえば先程は仕事で描いているわけじゃない、とも言った。
「……もしかして、絵のお仕事をされてる方……ですか?」
リーメイは声を潜めてそう聞いた。
「そうだよ。ああ、本も書いてる。ここに没になったのがあるからやるかい?」
女性は何ともない様子で懐から紙の束を出してきた。
リーメイは慌てて手を胸の前に出し、断る。
もしかしたらこの人はすごい人なのではないか。本も書けて絵も描けるなんて、相当な教養がないとできないだろう。気さくに話しかけてくるので全くそう感じなかったのだが、ここまでくると偉い人なのではないか、という気持ちになる。
「ちょっと待ってくださいそれって貴重な物なのでは!?」
「貴重もクソもあるかい。もう出さないって決めた駄作なんだから……」
女性はそれでも紙の束を押しつけてくる。揺れた紙の間から、達筆な文字と美しい絵が見えて、何が駄作なのだと言いたくなった。
「綺麗な絵が!描いてあります!価値があります!」
「これかい?ああこれうまくいかなかったんだよ……」
「あなたの上手くいったって何なんですか!?」
女性が適当に紙を捲ったところに描いてある絵を見てつい思っていることを口にしてしまった。
リーメイの気持ちを現代的に言うのであれば、神絵師という者がらくがきだと言って投稿したものを見たときの気持ち、と言えば分かるだろうか。
「大抵うまくいかないさ。自分が納得いくものなんてそうそうできやしない……
だから持っていきな!あたしはもういらないからさ!」
「うううううう!あなたの気持ちは分かりますがこれって貴重なものなのではと思わずにはいられません!ダメです!」
リーメイも料理に関しては納得いかないこともあるので、女性の気持ちが理解できないわけではないのだが、やはり受け取るわけにはいかない。何か嫌な予感がする。
リーメイはふと、紙の束の表紙に目をやった。作品名と思われるものと、作者の名前が書いてある。
この程度であれば読める。そして、作者名を見てぎょっとした。
見たことがある。最近読んでくれた本にこの名前があった。
やっぱり有名な人ではないか!
「あああああ!あなたの名前見たことあります!この前見ました!やっぱりこれ、貴重な物じゃないですかー!」
女性は悪戯がばれた子どものような顔をした。正解らしい。
「ちっ、覚えてたのかい……男の名前で出してたってのに……」
「有名な方じゃないですか!?こんなところにいて大丈夫なんですか?人がいっぱい来ちゃうんじゃ……」
リーメイはきょろきょろと辺りを見渡した。声は小さめで話していたおかげか、彼女の正体に気づいている人はいなさそうだ。
「なに、こんなところに有名人がいるなんて思わないさ」
「わたしも思いませんでしたけど……でもすごい上手な絵を描いているじゃないですか、バレちゃいますよ!わたしはあまり……本に詳しくないからこんなですけど……」
女性は心配そうに訴えてくるリーメイに、自信ありげな笑みを浮かべてみせた。
「……ふふ、やっぱりあたしの目は間違ってなかったね。あんたの旦那は幸せ者さ、あんたを嫁にもらえたんだから」
急に話題が変わって、リーメイは首を傾げる。教養がある人は頭の回転も良いのだろうか?
「……?」
「あんた、その絵を持って帰っても旦那に見せるくらいで、あたしのことも詳しく話さない性格だろう?噂が広まったらあたしが人に集られて困るから。
聡い女ってのは気疲れするから気をつけなよ。家事もたまには手を抜きな?」
リーメイは首を傾げたままだった。確かに女性の言う通りだが、聡い女とは誰を指しているのだろうか。
そんなリーメイの様子を見て、女性はニカっと笑う。女性のリーメイから見ても、気持ちが明るくなるような笑顔だった。
「まあ、そういうところがお前の良いところなのかもしれないね。
そんじゃあこれを持っていきな。長く引き止めちまった詫びだよ」
女性は猫の絵をリーメイに差し出す。
「あわわわ!それも価値のあるものじゃないですか!」
リーメイはまたしも胸の前あたりに手を出した。このやりとり、何度すればいいのだろう。
「じゃあこれならどうだい?」
女性は絵にささっと文字を書いた。
名前のようだ。先程の紙の束に書いてある名前とは違う名前だ。『チャンフェイ』と書いてある。
「これはあたしの本名さ。これならまだ世に本を出してない素人の作品ってことになるだろう?」
とんでもない言い訳である。何が素人だ。素人の皮を被った玄人である。
「それでも上手な絵には価値があるんですってー!」
それから暫く言い訳が続いた。最終的にはリーメイが折れ、絵を持ち帰ることとなった。




