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接近

 食事を済ませ、家事も一通り済んだころ、ヨウの自室に呼び出された。

 リーメイは一応寝間着に着替え、速足でヨウの自室へと向かう。

 いつもよりちょっと胸の鼓動が速い。上がっていた口角を引き締めようと、頬を一度だけぱしりと叩く。

 少し痛い。やること全てがこの気持ちのせいで空回りしそうだった。

 

 リーメイはヨウの自室に着くと、戸の前で声をかけた。返事はすぐに返ってきて、もう一度息を整える暇もなく戸を開ける。

 

「失礼しま――痛ぁっ!」

 

 勢い余ってか、戸に頭をぶつけてしまった。慌てて戸が外れていないか確認してから、ヨウに向かって一礼する。

 

「すいませぇん……」

 

「いいよ。たんこぶになってないかい?」

 

 ろうそくのあたたかな灯りの中、ヨウは優しく微笑んでいるように見えた。

 その表情のやわらかさが綺麗で、リーメイはつい顔をじろじろと見てしまった。

 

「だ、大丈夫です!村でもよくありましたし!」

 

「ふふ、しょっちゅうたんこぶを作っていたのかい?君は本当に、昔から変わらない……」

 

 ヨウは懐かしむようにろうそくに目をやる。

 

「夜に呼び出してすまないね。これから寝るところだっただろう」

 

「いえ、呼び出してもらえて嬉しいというか、もうどんなお願いでもきいちゃいます!というか……」

 

 リーメイが握った拳を胸の前に持ってくると、ヨウは少し複雑そうな眼差しを向ける。

 

「君ね……どんな願いでもきくだなんて、安易に言っていいものじゃないよ。

 ただでさえ、夜に呼び出されたというのに……もう少し警戒して欲しいくらいだ。他の人にも言ったりしてないだろうね?」

 

「ヨウさまがはじめてですよ!」

 

「そんなに元気に答えるものじゃ……全く、君は本当に無防備というか、警戒心がないというか……」

 

「だってヨウさまわたしに嫌なことしないでしょ?」

 

 リーメイがにこりと笑って素の調子で言ったので、ヨウは目を見張った。

 リーメイはそのまま続ける。

 

「ヨウさま、わたしに近づくことすらちょっと怖いな、って感じがしますもん。

 なんでこの人距離をとりたがるのかなって思ったことはありましたけど、よく見てたら、尻尾が当たらないような位置に居てくれてるんだなぁって思って。

 そんな人が夜に女の子を襲ったりできます?……まあわたし寝間着に着替えてきちゃってるんで、説得力はないかもですけど……」

 

 リーメイは服の袖を見て、困ったような笑みを浮かべた。

 ヨウはそれを何とも言えないような、悲しみの混じった目で見つめる。

 

「……うちに嫁いできたとき、君はどこまで知っていたんだい?……巫女のこと含めて」

 

 リーメイは困ったように視線を泳がせた。だが、暫くすると決意を固めたようにヨウの目をまっすぐに見つめる。

 

「……両親が話していたのを聞いて、巫女さんがどういう仕事をしているかは、なんとなく……

 ヨウさまのところに嫁ぐっていうことは、巫女さんみたいな仕事もするようになるんじゃないかって、両親が不安そうに話していたのを、偶然聞いちゃって。」

 

 リーメイはほろ苦い笑みを浮かべた。

 

「でも、ホウ様が前歯を抜かなくてもいいって言ってくれましたし、ヨウさまは触れることすら怖がるだろうって。

 一緒に暮らしてみて言ってた意味が分かりました。相手を傷つけるのが怖いのかなって……」

 

 リーメイは自分の手に目をやる。

 小さく、細い手がそこにあった。

 

「おばあちゃんが聞かせてくれたお話のなかに、こういうのがありました。

 ある村にどんな獣でも、鬼でも倒せる力持ちの大男がいて……とても頼りになる人だったのだけれど、いつも村の人から距離を取りたがるし、一人で居たがるんです。

 だから村人の一人が聞きました。どうして自分たちを避けるんだって。そしたら、大男は、自分の強すぎる力で皆を傷つけるかもしれないのが怖いからって答えました。……村で一番強い人は、誰よりも怖がりだったんですね」

 

 リーメイはもう一度ヨウをまっすぐに見つめた。

 芯のある、強い光を宿した目だった。

 

「皆、ヨウさまのことを悪く言ってましたけど、一緒に暮らしてみたら、わたし分かりましたよ。

 ……村では夜這いしてきた人もいたっていうのに、同じ家に住んでても安心して眠れるし……」

 

「待った。夜這い?」

 

 ヨウの目つきが変わった。珍しく話を遮るようにした。

 

「ああ……はい。一応……さすがにびっくりしちゃって顔蹴っちゃったんですけど」

 

「そうか。それで無事だったのか?」

 

「はい。なんか目が覚めて、色々される前に蹴り飛ばしたらうずくまっちゃって」

 

「そうか……良かった……」

 

 ヨウは愁眉を開いた。こころから安堵したようにため息をつく。

 それを見て、リーメイはにこりと微笑んだ。

 

「ヨウさまってやっぱり優しいですよね」

 

「いや、心配するのは当然のことだよ?それで病を患ったり望まない妊娠をしたりして窶れていく人が何人もいるんだから……」

 

 ヨウは床を尻尾の先で叩くようにする。半ば怒っているような声色だ。

 

「……だからわたしを選んでくれたんですか?」

 

 リーメイが戸惑うような、胸の内に秘めたものをそっと取り出すような口調でそう言った。

 視線は微かに斜め下に移って、ちょうどろうそくの光を淡く反射する床に注がれている。

 ヨウはそれをはっとした顔で見て、すぐに視線をそらした。

 迷うように唇が僅かに震える。暫くの沈默のあと、ヨウが口にしたのは夜の空気に溶けそうな囁き声だった。

 

「……きっと、君には覚えがないことさ」

 

「え?」

 

 リーメイははっきりと聞き取れず、聞き直そうとした。

 しかし、ヨウがリーメイに向き直って話題を変えてしまった。

 

「それよりだ。君を呼び出した訳を話してなかったね」

 

 ヨウは袖を肩のあたりまで捲り、腕を見せる。

 しっかりとした腕だが、この前見たときとは様子が違った。肩に近いあたりの場所に黒い鱗がちらほらと生えている。

 鱗はろうそくの灯りをきらきらと照り返した。夏の夜に揺れる提灯のようで、リーメイはパッと目を輝かせる。

 

「今日、鬼を斬ってきたから少し邪気が溜まってね……」

 

「鬼斬ったんですか!?」

 

「ああ……今日、依頼が来たから……」

 

「その日のうちにやっつけたんですか!?」

 

「鬼だって斬れば命を断つことができるから……」

 

「すごいですね……あと鱗も綺麗ですねやっぱり!

 あ、お話遮ってすみません」

 

 ヨウは呆れたように笑った。

 

「いいさ、もう君がそういう反応をすることには慣れたよ。

 それでね、君に邪気を払うのをお願いしたいんだ。……力の使い方は分かるかい?」

 

「何となく分かります!多分……」

 

 リーメイは聖竜の力を授かったことが分かった日のことを思い出して、手に力を集中させるようにする。

 すると、淡く白い光が現れ、辺りを照らした。

 

「それで間違いないね。それじゃあその光を僕の腕に当ててみてくれるかい?」

 

 リーメイは言われたとおり、ヨウの腕を光で照らす。すると、微かにあった黒ずみがなくなっていき、鱗が剥がれた。

 鱗は床に転がって、髪留めを落としたときのような音をたてる。

 

「これで大丈夫だよ。ありがとう。こうしてもらうとだいぶこころが楽なんだ」

 

 ヨウは袖を戻す。リーメイは自分の手とヨウの腕を交互に見て、驚いたように目を見張った。

 

「ふぇ〜……こんなことができるなんて、わたし結構すごい力を授かったんですね……」

 

 リーメイはそこまで言ってはっとした。そういえば鱗はどこにいったのだろうか。

 床を見てみると、ヨウの近くに落ちている。こっそり集めたいので、それを取ろうとゆっくり手を伸ばした。

 が、少しふらりとして床に手をついてしまった。

 しまった、と思ったが、ヨウがそれに気づかないはずがない。ヨウはすぐに傍に寄ってくれた。

 

「目眩かい?気分は悪くない?」

 

「ああ……はい。ちょっとふらっとしちゃって。気分は大丈夫です」

 

「聖竜の力を使うとふらついたりする子もいるからね。今日はもう寝よう、無理をさせてすまない」

 

 ヨウはリーメイの背中をさすり、持ち上げようと手を添えた。

 

「あ、ちょっと待ってください」

 

 このままだと鱗が捨てられてしまうと思ってリーメイは声を掛けた。

 ヨウは耳を澄ますように動きを止める。

 

「鱗……欲しいです」

 

「鱗?僕から剥がれたものだよ?」

 

「だからこそ欲しいんです〜」


 リーメイは疲れがふっと押し寄せてきて、瞼が重くなっていくのを感じながら、子どものように訴える。

 

「ああもう、そんな顔をするな……分かったから、ほら」

 

 ヨウはすぐに鱗を探して、リーメイの手のひらに握らせてくれた。

 リーメイはこころから幸せそうな、ふにゃりとした笑みを浮かべた。

 

「わーい、ありがとうございます……!大切にします〜!」

 

「まあ……人避けにはなるんじゃないかな。

 それじゃあ君の部屋まで運ぶからね」

 

「え〜まだ一緒にいたいです〜」

 

 リーメイはうとうとしながら駄々をこねるようにする。ヨウは困ったように眉尻を下げた。

 

「だめだって……一緒にいるって言ったって君、どこで寝るんだい」

 

「ヨウさまと一緒に寝ます〜」

 

「怪我でもしたらどうするんだ……」

 

「そんなこと言ってぇ……どうせホウ様とは一緒に寝たことあるんでしょう?一緒に住んでたって聞きましたもん。

 いいなぁ〜いいなぁ〜。わたしも一緒に寝たい〜」

 

 眠気でふわふわした気持ちのまま、リーメイは普段は言わないようにしていることまで言ってしまう。

 

「あいつに焼き餅かい……あいつは……嘘をついて入り込んできていたことが判明したから……」

 

「じゃあわたしも潜りこみます〜!」

 

「ああ、動くんじゃない。落ちたら怪我をしてしまうだろう」

 

 ヨウがリーメイを抱きかかえたが、リーメイはもぞもぞと動いて抵抗した。

 

「ヨウさまの布団に落としてください!」

 

「落としたら痛いだろう!?」

 

「やだ〜わたしヨウさまと寝ます〜!」

 

「だから動くんじゃ……ああもう分かった、分かった。僕の隣で寝ていいから……」

 

「わぁい〜」

 

 リーメイは満足げに笑みを浮かべて力を抜いた。それをヨウは困ったように、だけどもあたたかな表情で笑って眺める。

 

「困った子だな……後から君の部屋から布団を持ってくるから、そっちに……」

 

 ヨウは自分の布団にリーメイを丁寧に寝かせながらそう言って、ふとリーメイの顔を見た。

 穏やかな寝顔だった。それは夢のなかで美味しいものを頬張っているのでは、と思えるほどのものだった。

 

「僕の腕の中で寝るなんて……本当に、怖いもの知らずだな……」

 

 ヨウは目を細めて微笑んだ。リーメイに布団を掛けてから、リーメイの部屋に向かおうと足音を立てずに廊下へ出る。

 

 戸を閉める音は静かだった。戸の隙間から見たリーメイの寝顔を思い返しながら、暗い廊下を速足で進んでいく。

 

 

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