友達
鬼の討伐依頼を済ませたヨウは、拭き清められた廊下の上を歩いていた。
途中、誰かとすれ違うことはあってもあまり驚きはされない。ホウがいるあたりに勤めている使用人たちはヨウのことを見慣れているし、ここにいる兵士たちはヨウに稽古をつけられているので、耐性があるのだ。
新人が入ってくると様々な反応をされるが、もう慣れた。
なるべくなら出歩きたくないのだが、任されている仕事の都合上、そういうわけにもいかない。
「おや、今日も早いね」
ホウが見計らったように部屋から出てきた。
いつも帰ってくるころに出てくるので、術の類でも使っているのかと思うが、ホウ曰く勘らしい。
「鬼の件は終わった。他には何かあるか?」
「稽古はさっきこの私が特別につけてあげたから……そうだな、私の話に付き合うくらいかな」
「忙しいのによくやるな……」
「あまり褒めないでくれよ。私は優秀だからね、これくらい造作もないのさ」
ホウは普段は政治関係の仕事をしているのだが、刀を握らせれば強いし、弓も上手い。馬術も相当なもので、ここにいる兵士たちよりずっと強いのだ。
学生時代のとき、しょっちゅうヨウに勝負を挑んできていたので、当然といえば当然である。
「ところで君の方はどうなんだい。うまくやってるのか?」
ホウは自分の仕事部屋にヨウを招きながらそう言った。
「うまくやってるって?」
「リーメイだよ。君のかわいい奥さんのことさ」
ホウは廊下に誰もいないかさっと見渡してから襖を閉める。
部屋が少し薄暗くなったが、ろうそくに火を灯すことはしなかった。
「……リーメイの方がうまくやってる、と言うべきだと思う」
ヨウは視線を落とした。自分の態度が彼女から好かれるようなものだとは思えない。
だからと言って自分の気持ちのまま行動するのもまだ恐ろしい。
あの春の日差しのような笑顔が痛みや恐怖で歪むようなことがあってはならないのだ。
「あの子、幼いころから変わってないみたいだねぇ。君に対してもぐいぐい来るだろう?」
「まるで怖いものがないみたいに来るな」
「実際、君のことが怖くないのさ。君が君の兄みたいな性格だったら怖いと思うだろうけどね」
ホウは座卓に広げた書類を見ながら筆をとる。
いつもこうやって話しながら仕事をしたりするのだ。
「……あいつにリーメイは渡せない」
「そうだろう?あいつだったら今ごろリーメイの前歯は無くなってるだろうねぇ。毎晩無理をさせられて朝起きるのも辛いだろう」
「……聖竜の巫女の扱いはいつもそうだ。ああ、思い出しただけで腹が立つ……」
ヨウは無意識に尻尾の先で床を叩く。
聖竜の力を授かった者は巫女となる。これは前に記述した通りだが、その巫女の扱いが非常に不快なものなのだ。
そもそも巫女は聖竜の力を使って邪気を払う存在だ。
邪気が蓄積し、鬼になりそうな人間が巫女の元に訪れ、邪気を払ってもらう。蓄積する理由は定かではないが、負の感情が原因なのではないかと言われている。
上記の説明だけなら問題はないように見えるのだが、その邪気が体液に宿っているというのが問題だ。
勿論、巫女の力で払ってもらうだけでも良いのだが、巫女のほとんどが女性だというのを利用して、男性は巫女に体液を抜いてもらう……精液を出して邪気を抜く、という行為を行うのだ。
そのため、巫女はどれだけ雇われても足りなくなる。ほとんどの者が出産――非常に胸糞悪いが、妊娠しても彼女らは休むことを許されない――で身体がもたなくなったり、病に罹患してしまったりで常に人数が足りないのだ。
前歯を折る、という話が何度か出てきたかと思うが、これは男性の陰茎を咥えさせるのに邪魔であるためである。ヨウは幼いころからこれが大嫌いで、未だに前歯のない女性を見ると目眩に襲われる。
「君はああいうの嫌いだからね。私も勿論嫌いだが」
「未だに思い出すんだ。まだ若そうな女の人が震えながら僕の前にでてきて……」
「ああ……それね。まだ子どもだった君にそれを見せるのは本当にどうかと思うよ」
ホウは平常を装っているような顔で眉を微かにひそめた。
「……だから、リーメイには……」
ヨウの脳裏にリーメイの姿が浮かぶ。
始めて会った日から変わらない、春の日差しのような人。
よく笑い、はつらつとして、一緒にいるとこちらまでつられて笑ってしまいそうな明るさを持つ人だ。
「君の言いたいことは分かるよ。だから未だに手すら繋いでないんだろう、君」
ホウに言い当てられて、ヨウは尻尾をぴたりと止めた。
書類を見ていたはずのホウがなぜかそれを捉えており、こちらをちらりと見て笑う。
「やっぱりね。そうだと思ったよ。同衾なんてまだまだ先だと思ってたが君ね……」
「待て待て。同衾?この僕と?」
ホウの言葉に引っかかるものがあってヨウは言葉を遮った。
「え、そっち?彼女はやりたいんじゃないかな。というか君、私と一緒に寝たことあるだろう」
「いや、あれはお前が暗いのが怖いからこっちに潜り込んできただけで仕方なく……」
「あれ本気にしてるの?君、やっぱり可愛らしいところがあるよね。嘘に決まってるじゃないか」
「嘘だったのか!?」
「君が隣にいるというのに暗闇が怖いわけがあるか。単に友達と一緒に寝たかったらそう言っただけだよ」
「始めて聞いたぞ……」
「聞かれなかったからねぇ?」
ホウはにんまりとした笑みを浮かべ、くつくつと笑った。
ヨウはやりやがったな、と言わんばかりの表情でホウを見る。
「まあ、だから何か適当な理由でもつけて一緒に寝なよ。手を繋ぐときも同じさ。」
「お前……僕がどういうやつか分かって言ってるよな?」
「分かってるさ。理由は思いついても実践しないことくらい」
「分かってるなら――」
「いいのかい?相手にされなくて寂しかったから他所の男と……なんてなっても」
「リーメイがそんなことするか!」
ヨウは勢いのままつい言ってしまってから口を押さえた。
眉をひそめて唇をぐっと噤むが、出てしまったものは取り消せない。
ホウはそれを興味深そうに眺めている。頷きながら、面白そうなものを見つけたと言わんばかりの笑みを浮かべていた。
「君、やっぱりもっとぐいぐいいけばいいじゃないか。気持ち、伝わらないだろう?」
「……それは」
ヨウは俯き、尻尾を揺らす。
言っていることは理解できる。だが、それが彼女を傷つけはしないか。
半ば強引に連れてきたようなものだし、もしかしたら自分が巫女のような扱いを受ける可能性があると分かって来たのかもしれない。
決して物のように扱ったりはしないが、自分の言葉や行動がいつか彼女を傷つけるのではないか、と思わないことはできない。
「あの子、割と頑丈だよ。……こころがね。
あの子だって君のことを知りたいだろうし、実際色々と話しかけてくれたり、行動を起こしてくれたりしているだろう?
彼女が手探りで関係がどう変化するか分からない賭けにでているというのに、君はいつまでも受け身でいいのかい?」
ホウは優しく言い聞かせるように言った。
ヨウはばつが悪そうに視線を畳に移して、尻尾を止める。
「……痛いところを突かれたな」
「ふふ、まあ君の気持ちが分からないわけじゃない。
君、僕にも最初はそうだったものねぇ。」
ホウは懐かしむように目を細めた。
思い出せば、ヨウはホウの方から気持ちをぶつけなければ胸のうちを明かしてくれない人だった。
誰よりも努力を積み重ね、どれも優秀な成績であったヨウが、誰よりも友に対して臆病であった。
顔には出ないが、塞ぎ込んでいるときは黙って隣にいてくれるような人なのだ、ヨウは。
「……そういえば、そうだったな。
今日、話してみるか……」
ヨウは決意を固めるように息をゆっくりと吐いた。
ホウはそれを確認してから筆を置いて伸びをする。
「さて、そろそろ稽古をつけた部下たちの休憩が終わる頃だろう。
君の方から指示を出しておいておくれ」
「分かった。……色々とありがとうな」
ヨウは素早く立ち上がり、襖を開けた。
日の光が部屋に差し込んでくる。厚い雲に隠れていた太陽が出てきたときのような、晴れやかな光だ。
「数少ない友達のためさ。当然だよ」
ホウがヨウの背中にそう声をかけると、ヨウは尻尾を微かにゆらして廊下を歩いていった。
表情は見えない。しかし、付き合いが長いホウには何となくどんな表情をしているか分かる。
ホウは頬杖をついて、暫く外を眺めていた。
その眼差しはあたたかく、どこか明るい。




