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休日

 今日は休みの日らしい。いつもは朝早くから勤め先に行ってしまうヨウが今日は家にいる。

 どうやら定期的に休みがあるらしい。勤め先ではずっと兵士たちの訓練相手になっているようなので、休みでもなければいくらヨウでも疲れるだろう。

 

 休日、ヨウは大抵本を読んでいる。リーメイは字が読めないので何の本を読んでいるのかさっぱり分からないが、ある日突然蛇になってしまう男の話らしい。

 文字は読めないが興味はあったので、何となく本を眺めていたら、音読してくれるようになった。

 最近は隣で文字を眺めつつ、ヨウの声を聞いている。リーメイが文字を読めないのを考慮してか、ヨウはゆっくりと読んでくれている。

 しっかりとして、芯のある声だが、優しさとぬくもりがある声は、この物語を読むにはぴったりだった。

 男の身に起きた悲劇と、どうしようもない現状。段々と精神を病んでいき孤立していく男の心情。

 やがて衰弱していき、男は死に至る。救いはなく、理不尽な物語だ。

 読んでくれたのがヨウで良かった。文字が読めて、これを一人で読んでいたら気がめいっていたかもしれない。

 

「……これでおしまいだ。どうだ?この話」

 

 ヨウは読み終わった本を閉じる。

 

「なんだか悲しい話ですね……ずっと前に、似たような話をおばあちゃんから聞いたことがありますが、そのときも同じ気持ちになりましたもん」

 

 リーメイは膝を抱え、俯いた。

 幼かったあの日も同じような気持ちになったのを覚えている。

 

「前に聞いたことがあるのか。そのときと感想が変わらないとは、君も幼い頃から変わらないんだね」

 

「え〜、だって悲しいじゃないですか。この男の人、家族の人にも見放されて、恋人の人にも逃げられちゃって。こころは変わらなかったのに。」

 

 リーメイはいじけるように唇を尖らせた。

 

「こころは変わらなくても、こうなるのは普通のことさ。たとえそれが家族であれ、大蛇になったらそこまで築いた関係も全て崩れ去ってしまうだろう?」

 

 ヨウは座卓に本を置いて、さも当然という物言いでそう言った。

 

「まあ……普通の人はそうなんでしょうけど……わたしそういうの苦手なんですよね……難しい問題なんでしょうけど……」

 

「そうだな……物怖じしない君にとってはそうだろうね。

 現に、僕の角に触れそうになっているというのに君は全く気にしていないし」

 

 そう言われて顔を上げると、確かにヨウが目と鼻の先にいた。

 こんなに近くに寄っていたとは思っておらず、胸のどこかが跳ねるような覚えがした。

 

「うっおおお!?すいません!夢中になってて気づいてませんでした!」

 

 身体もうさぎのようにぴょんと跳ねる。

 思い返すとこんなに近くにいたのは初めてかもしれない。

 

「君、そんな声出すのか……それと、謝るほどじゃないよ。角に触れられても痛くも痒くもない。折ってもまた生えてくるしな」

 

「折っても生えるって……折ったんですか!?」

 

「折ったことはあるさ。」

 

「そんな……もう折らないでくださいよ?ヨウさまはよくてもわたしは痛そうだからだめです!」

 

「君は痛くないだろう……」

 

「なんかこう、自分の大切な何かもボキッ!てなりそうで嫌です!」

 

 リーメイは身振り手振りで訴えた。角があるわけではないが、自分の頭のどこかにヒビが入りそうな気分だ。

 

「そうか。変わってるな……

 そこまで言われると、折ったら君が泣きそうだからやめておくよ。」

 

「良かったです〜……あんまり自分を雑に扱っちゃだめですよ?」

 

 ほっと息をついたリーメイに微笑み、ヨウは本を持って立ち上がった。

 

「自分のことになると面倒なんだ」

 

 ヨウは本棚に本を戻す。他にもたくさんの本があった。次の休日にまた読んでくれるようお願いしてみよう。

 

「そういえばヨウさま、お部屋は綺麗でしたけど、埃がたまってましたもんね。

 お掃除が苦手なのかな、と思ってたんですけど、ヨウさま面倒だったんですね?」

 

「面倒さ。部屋なんて寝るくらいにしか使わないんだから」

 

「お忙しいですもんね〜。でも大丈夫ですよ!わたしが掃除しておくので!」

 

 リーメイは胸の前でぎゅっと拳を掲げ、きらきらと目を輝かせる。

 

「別に適当だっていいのに……ああでも、床には気をつけろよ。たまに鱗が落ちてるときがあるからね」

 

「鱗、剥がれちゃうんですか!?」

 

 もしかしたら自分で剥いでいるのではないかという心配がよぎる。

 せっかくの綺麗な鱗なのに、剥いでしまってはもったいないし、痛そうだ。

 

「尻尾のが生え変わったり、酷いときに腕や足に生えた鱗がたまに落ちてるんだ。あれ、踏むと痛いから気をつけろよ」

 

「腕や足にも生えるんですか?」

 

 尻尾だけだと思っていたので意外だった。今はどうなのだろうか。

 

「気が滅入ったりするとたまにね」

 

「今は生えてたりします?」

 

「見るかい?」

 

 ヨウは冗談まじりに言ったが、リーメイが目を輝かせて頷いたため、複雑そうに目をそらした。

 ヨウが服の袖を肩のあたりまで捲ると、服の上から見ただけでは想像もできなかったような、しっかりとした腕が出てくる。

 ものすごく太いわけではないのだが、引き締まっており、少し腕を曲げれば筋肉が盛り上がって見えるだろう。これなら米俵も軽く担げそうだ。

 そんな男性らしい美しさのある腕には鱗どころか鱗の跡のようなものもなかった。

 

「ふえ〜……良い腕ですね〜畑仕事とか楽になりそう……」

 

「……意外と細いだろう?」

 

「そうですかね。こういうのってしまってる筋肉だーって言われません?」

 

「ホウに言われたことがあるな」

 

「ホウ様、ヨウさまの腕見たことあるんですか!?」

 

「当然だろう。寝泊まりしてたんだから」

 

 リーメイは少し歯がゆいような、もぞもぞするような、変な感じがした。

 何と言ったらいいか分からない。あまり経験のない感情だった。

 

「……そんな顔をするなよ。こんなもの見たって良いことはないさ。

 それにどうする?この腕にびっしり鱗がついてたら」

 

「ちょっと触ってみたいですね、ヨウさまが良いなら……」

 

 実は尻尾も触ってみたかったのだ。つるつるしていそうで触り心地が良さそうだ。

 

「……君、蛇や魚が好みなのかい?」

 

 ヨウが目をそらしながら袖を戻す。


「蛇……あぁ、小さいころよく振り回してましたね。好きといえば好きです。毒があるのはさすがに捕まえませんけど。魚はおいしいので好きですよ」


「振り回すって、君……前から思ってたけどたくましいな……」

 

「そうですか?えへへ」

 

 褒められたと思って、リーメイは両頬を手で覆った。

 

「……僕の尻尾は振り回すなよ。尻尾とはいえ、肋骨を折るくらいはできるんだ。驚いた拍子に無意識に動かしてしまうこともある」

 

「やっぱりヨウさまの思ってることは尻尾にもでてくるんですね!」

 

「まあ……そういうことになるから……」

 

 ヨウは何か言いたげに口ごもり、尻尾の先で床をなぞるようにする。

 

「なんかかわいいですよね〜」

 

 リーメイがふにゃりと笑いながら、思ったことをそのまま言うと、ヨウは尻尾をびくりと硬直させ、目を見張った。

 

「……何が?」

 

「え、尻尾が……」

 

「正気か?」

 

「え、だってかわいくないですか?なんか……形が……にょろにょろしてるし……」

 

 リーメイは必死に身振り手振りで尻尾のかわいさを伝えようと頑張るが、ただ腕をミミズのように動かすことしかできなかった。

 

「これが?」

 

 ヨウは尻尾の先をリーメイの顔の前まで持ってきた。

 つやつやとした鱗がはっきりと見える。煮た黒豆の表面のように綺麗だ。

 

「え、良いんですか?触りますよ?」

 

 リーメイが手を伸ばすと、ヨウは尻尾をびくりとさせて退こうとしたが、リーメイの目が輝いているのが見えて、おずおずと尻尾の先をリーメイの手の上に乗せた。

 

「わぁ〜!つやつやすべすべですね〜!かたくてずっしりしてて……これ重くないんですか?」

 

「産まれたころからあるからな、気にしたことがない」

 

 ヨウは自分の尻尾を撫でるリーメイをじっと見ていた。

 子どものように無邪気に尻尾に触れている。興味津々に、はじめての物に触れるその手つきは、みずみずしいというか、はつらつというか……リーメイという少女そのものを体現しているような気がした。

 

「頬ずりしてもいいですか?」

 

「だめだ。万が一顔に傷でもついたらどうする」

 

「もうお嫁にいけない、なんてことないですし……」

 

「そういう問題じゃない。今こうしているのだって、譲歩してるんだ」

 

 リーメイは尻尾からヨウの方へ視線を移した。

 静かに目を伏せている。まるで森の深いところで一人になってしまったかのようなまなざしだった。

 言葉選びは相手を誤解させるようなものが多いが、発言の端々から何が言いたいか何となく察せる。

 だからこの人にはまっすぐに言わねば通じないだろう。

 

「えへへ、わたしのこと大切にしてくれてるんですね」

 

 そう言うと、ヨウがはっとこちらを見た。

 手の上で尻尾がぴくりと震える。それを見て、ヨウは目をそらした。

 

「……やはり不便だな、これは。無意識に動くし、どこかにぶつけるし……」

 

 ヨウはリーメイの手の上から尻尾を退ける。蛇がゆっくりと這うような丁寧な動作だった。

 

「後ろについてますもんね。さすがに後ろに目はついてませんから……」

 

「……ついていたらどうする?」

 

「えっ、あるんですか!?」

 

 リーメイが素直に驚くと、ヨウは優しげな微笑みを浮かべた。

 少しいたずらっぽくて、あたたかな笑みだ。

 

「冗談だ。後ろに目がついていたら苦労しないさ」

 

 ヨウはそのまま部屋を出ようとする。リーメイも慌てて立ち上がり、ついていこうとした。

 

「どこか行くんですか?」

 

「ずっと家の中にいるのもね。晴れているし、家の周りを少し歩こうと思って」

 

「わたしも一緒に行きます!」

 

 ヨウはリーメイの方をちらりと見たが、すぐに前を向いた。

 

「……ついてくるなら後ろじゃなくて隣にいてくれよ。

 後ろに目がついてるわけじゃないからね」

 

「それって……わたしのことも見ていたいってことですか……!?」

 

 リーメイが両頬を手で覆いながらそう言うと、ヨウの尻尾がぴくりと動いた。前を向いていて表情はよく分からないが、何か感じていることは分かる。

 

「君ね……ほら、尻尾が無意識に動いたら君が怪我するかもしれないし、何かあったときにすぐ庇えないだろう」

 

「つまりわたしのこともちゃんと見ていたいってことじゃないですか〜」

 

 リーメイがヨウの隣まで速足で近寄ると、ヨウはリーメイを横目で見た。

 

「君は本当に……ああもう、それでいいよ。だから僕の目が届く場所にいてくれよ?」

 

「分かりました!」

 

 リーメイが元気よく返事をすると、ヨウは呆れたように笑った。

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