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はじまり

 緑が芽吹き始め、鳥が鳴き始めた山の先に、一つの小さな村があった。

 栄えているとは言えないが、稲を刈ったあとの田んぼがあり、畑があちこちにある。

 透き通った水の流れる川には、はっきりとした魚影が見えた。柔らかな春の日差しに鱗がきらきらと揺れ、水面の照り返しが川の中に忍び込んだようになっていた。

 

 そこにかけられた橋を、子どもが二、三人飛び乗るように渡っていき、魚が慌てたように逃げた。

 どうやらリーメイが、偉い人のところへ嫁ぎに行くらしい。しかも、その偉い人がリーメイを迎えにやってくるというので、子どもたちはそれを一目でも見ようと一目散に駆けていく。

 村の入口でこっそり見ていた子によると、立派でつやつやの馬車が来たらしい。

 こんなに大きかった、とその子が身ぶり手ぶりで伝えた話は、多少尾ひれがつきながらあっという間に村の子どもたちへ伝わり、今に至る。

 もう今日の話を知らぬ子どもはいない。村中の子どもが遊びの約束を後にして、リーメイの家へ向かっていた。

 

 馬車は色づき始めた蕾のそばを走っていった。

 御者を務める男は村民の視線と春の香りを、悠々とした面持ちで眺めている。

 

「はは、やっぱり目立つねぇ。この私の馬車なのだから、仕方ないが」

 

 男は品のある声色で馬車の方を振り返る。

 

「……僕がそのまま行くよりずっと良い」

 

 馬車の中からくぐもった声が聞こえた。


「君は顔がいいからね。憎たらしいよ、どこに行っても君は注目の的だ」

 

「……悪い意味でな」

 

 男は片眉を上げて、前へ向き直った。

 もうすぐで目的の家に着く。畑を過ぎて、家々が並んでいる先がその場所だ。

 村民たちが仕事の手を止めて馬車を眺め、盛んに話し合っているのが見えた。自分の娘同然に面倒を見てきた近所の娘が嫁に行くのだ。相手を見てあれやこれや話すのは自然なことである。

 

 駆けてきた子どもたちがリーメイの家に着いたとき、ちょうど馬車も彼女の家に着いた。

 リーメイは祭りのときにしか着ないような鮮やかな着物を着て、大きな荷物を持っている。彼女の両親は目に涙を浮かべながら、リーメイをきつく抱きしめていた。

 リーメイも目の端に涙を浮かべている。母が施してくれた化粧を落とさないよう、涙を堪えているようにも見えた。

 

「リーメイねえちゃん、ほんとうにいっちゃうの?」

 

 見に来ていた子どものうちの一人がそう言った。

 

「本当だよ。お嫁に行くって言ってたんだから、俺の姉ちゃんと一緒だよ」

 

 子どもたちの中でも背の高い子がそう答えると、数人の子どもたちが肩を落とした。

 

「リーメイ姉ちゃんともっとあそびたかったなぁ……」

 

「リーメイ姉ちゃん、お嫁にいってもぼくたちのこと覚えてるかな」

 

「わすれないよ、リーメイ姉ちゃんやさしいもん」

 

 各々、リーメイへの思いを口にしていると、馬車から一人の男がおりてきた。

 周囲に集まっていた村民たちは皆声を上げたり、手で口を覆っていた。

 子どもたちのなかの一人も、男を指さして声を上げる。

 

「あの人、角としっぽがはえてる!」

 

 背の高い子が急いで腕を掴んで指をおろさせ、鼻の頭に指を添えた。

 

「ばか、リーメイ姉ちゃんがお嫁に行くとこは偉いひとの所なんだぞ!」

 

「ごめんなさぁい……」

 

 指をさした子は申し訳なさそうに眉根を下げた。

 

「でも、あの角なぁに?しっぽもお話に出てきた巨大とかげみたい」

 

「あの角見たことある!聖竜と邪竜のおはなしの絵で見たことあるよ!」

 

 男はリーメイと一言二言話した後、リーメイの手をとって馬車の中へ消えた。

 馬車は走り出し、あっという間に遠ざかっていく。

 

 馬車が見えなくなったころ、村民たちは話しあいながら仕事に戻っていった。子どもたちの横を、一人の母親が通り過ぎていく。

 

「おかあさん!あのひと角としっぽがはえてたよ!」

 

 母親は我が子がそこにいると思っていなかったのか、驚いたように子供の方へ振り返った。

 

「なんだ、あんたここにいたのかい。」

 

「リーメイ姉ちゃんがお嫁に行くって聞いたから……」

 

「そうねぇ。偉い人のところへ嫁ぎに行くって話を聞いたときはそりゃ驚いたけど……」

 

「偉いひとなんでしょ?リーメイ姉ちゃん、これからいっぱいご飯とかたべられるのかな?」

 

「どうだろうねぇ……」

 

 あまりいい顔をしない母親の様子に、子どもは首を傾げた。

 

「偉いひとでもいっぱいご飯たべられないの?」

 

「ああ……いや、そこは心配ないだろうけれどねぇ。リーメイも聖竜さまのお力を授かったばっかりに、大変な目に……」

 

 母親は遠いところを眺めるように目を細めた。

 

「聖竜さまの力をさずかると、大変なの?」

 

 子どもの素直な問いに、母親はどこか複雑な色が浮かんだ眼差しを向けた。

 

「……あんたには縁のない話さ。ほら、友達と遊んでらっしゃい」

 

「え〜知りたい!リー兄ちゃんはなんか知ってる?」

 

 背の高い子は考える素振りをした。少しばかり、思い当たる節があるらしい。

 

「リーメイ姉ちゃんの聖竜さまのお力のことは知らないけど、あの男の人がなんて呼ばれてるかは母ちゃんたちが話してたのを聞いたことが……」

 

「聞きたい聞きたい!なんて呼ばれてるの?」

 

 子どもたちが目を輝かせ、背の高い子を囲む。

 背の高い子は両手を胸の前に出し、待ったと言うような仕草をした。

 

「噂ってやつだぞ?本当かどうかは知らないけど、『邪竜のフーシェイ』って呼ばれてるらしい」

 

「フーシェイって、あのおはなしに出てくる?」

 

「ひとたちふるうと、もののけたちがあっというまにまっぷたつになった……っていうやつ?」

 

「すごーい!リーメイ姉ちゃんと結婚するひと、すごいつよいんだね!」

 

「ねえねえ、うちにそのおはなしを喋れるおばあちゃんいるよ!」

 

「聞きたーい!遊びにいっていい?」

 

「いいよ〜!」

 

 子どもたちは笑いながら、風のように駆けていった。

 母親はその背中を眺めながら、一声かける。

 

「暗くなる前に帰ってくるんだよ!」

 

「はーーい!」

 

 振り返ることなく手をふる我が子を見届けて、母親は仕事へ戻っていった。

 

「それにしても、邪竜さまとの間に産まれた方と結婚なんてねぇ……」

 

 母親のつぶやきは春風に消えた。

 枯れ残った草がその風に乗って、地面を転がるように走っていく。

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