第5話 残された魔族
勇者ライルが村に戻ってきてから、数日が経った。
朝は一緒に食事、昼は畑仕事を手伝い、夕方には家まで送ってくれる。
……傍から見たら完全に夫婦みたいな日々だ。
そんな穏やかな時間が、ずっと続くと思っていた。
それは、昼過ぎのことだった。
畑の畦道で作物の様子を見ていると、背筋に冷たいものが走った。
風のせいじゃない。視線だ。
どこからか、誰かが私を見ている。
「……誰?」
声を上げても、返事はない。
木々の間に黒い影が一瞬揺れた気がした。
目を凝らした時には、もう何もなかった。
嫌な胸騒ぎが消えないまま、家に戻ると――。
「ミナ!」
玄関を開けるなり、ライルが飛び込んできた。
息が荒く、額にはうっすら汗が浮かんでいる。
「どうしたの?」
「今、村の外れで怪しい気配を感じた。……お前、今日どこかで誰かに見られたか?」
ドキリとした。
まさに、さっきのあの感覚だ。
「……畑で、ちょっとだけ。でも、人かどうかは……」
ライルの表情が険しくなる。
「やっぱりだ。魔族の気配が残っていた」
「魔族? でも魔王は――」
「倒した。だが残党は生き残っている。特に、勇者を恨む連中がな」
低い声に、空気が重くなる。
私の背中を、嫌な汗が伝った。
「……まさか、私を狙って?」
ライルは一歩近づき、両肩を強く握った。
「お前は俺の弱点だ。奴らにとって、一番効く標的になる」
その言葉に、心臓がぎゅっと縮まった。
自分がそんな危険に晒されるなんて、今まで考えたこともなかった。
「だから、今日からは絶対に一人で外に出るな。俺が必ず一緒にいる」
「……そんな、大げさな――」
「大げさじゃない。お前を失うくらいなら、俺は世界なんてまた壊れても構わない」
真剣すぎる目。
その強い声に、何も言い返せなかった。
その夜、私は布団に入っても眠れなかった。
外の闇がやけに濃く感じる。
窓の外で風が木々を揺らす音が、誰かの足音みたいに聞こえる。
「……怖いな」
小さく呟いたその時、窓の外に影が――。
「っ……!」
息を呑んだ瞬間、玄関の方で何かが倒れる音がした。
思わず飛び起きて部屋を出ると、そこには剣を構えたライルがいた。
「ミナ、下がってろ!」
次の瞬間、闇の中から赤い目が二つ、こちらを睨みつけた。
人間じゃない。
獣のような顔に牙、そして黒い鎧のような皮膚。
――魔族だ。
「やっぱり来やがったな……!」
ライルの声と同時に、剣が閃く。
金色の瞳が鋭く光り、空気が震えた。
私はただ、その場から動けなかった。