第17話 怒れる勇者
「……ミナ?」
防御柵の補修作業を終え、夕飯を食べようと集会所に戻ったライルは、そこに彼女の姿がないことに気づいた。
いつもなら、真っ先に鍋をかき混ぜて皆に配っているはずのミナ。
今日は、誰に聞いても「見ていない」という答えばかりだった。
胸の奥に、嫌なざわめきが広がる。
ただの用事かもしれない――そう思おうとしても、戦場で何度も嗅いだ「悪い気配」が、頭を離れない。
「おい、ラントを見なかったか?」
近くの若者に問いかけると、「倉庫のあたりで見た」との返事。
倉庫――ミナが夕飯の材料を取りに行くと言っていた場所だ。
ライルは駆け出した。
扉は半開きで、中は薄暗い。
鼻をくすぐるのは野菜の匂いではなく、かすかな薬品のような甘い香り。
「……っ」
床に落ちた布切れを拾い上げ、指で揉む。
染み込んだ液体の匂いを嗅いだ瞬間、怒りが全身を駆け巡った。
「眠り薬……!」
木箱の陰には、転がった野菜かごと、細い足跡が二つ。
片方はミナの軽い足跡、もう一方は大きく、重い靴の跡だ。
その跡は裏口から外へと続いている。
「……逃がさない」
声は低く、冷たかった。
いつもの穏やかな表情は消え、勇者としての殺気が剥き出しになる。
*
夜の森。
松明を手にした村人たちが、ライルの指示で散開する。
「痕跡を見失うな! 足跡は二人分……恐らく女を担いでいる。森の奥へ向かっているはずだ」
その目は鋭く、命令に逆らう者などいなかった。
普段は不器用で照れ屋な男が、戦場に立つとこれほどまでに頼もしい――その変化に、誰もが息を呑む。
「……くそっ」
足跡を辿るたびに、胸の奥で焦燥が膨らむ。
ミナの声が聞こえる気がして振り返るが、そこには風が揺らす木の葉だけ。
(ミナ、待ってろ。必ず……必ず助ける)
怒りと焦りが混じり合い、呼吸が荒くなる。
魔王軍との戦いでも、これほど感情を露わにしたことはなかった。
*
森の奥、月明かりがわずかに差す開けた場所で、足跡が途切れた。
代わりに、土の上に深い車輪の跡――荷車だ。
「荷車……!」
思考が閃き、ライルは振り返った。
荷車を管理しているのは、ラント。
「……あの野郎」
歯を食いしばり、拳を握る。
今まで仲間だと信じて疑わなかった相手が、ミナを奪った――その事実が、怒りをさらに煽る。
ライルは松明を地面に突き立て、背中の剣を抜いた。
月光に照らされた刃が、冷たく光る。
「ラント……魔族……どちらも、生かして帰す気はない」
その声は、森の奥深くまで響き渡った。