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諦めるわけない

「…………ジーナ、彼女が君の言っていた子?」


 呆れたように、男がそう尋ねた。レジーナはまだ頬が熱いらしく、パタパタと手で仰ぎながら男を振り返る。


「はい。どう思われました?」

「……まあ、可能性はあるんじゃない?」

「そうですわよね! 私、間違いないと思っているのです!」


 何やら話が見えない。


「あの……可能性って……」

「それはもちろん。殿下の御心を射止める可能性よ!」

「……えっ? いや、え、だって……どうして」


 レジーナはまだわかる。彼女は以前からそう言ってくれていたから。だが、男の方はわからない。彼はそもそも先程が初対面だ。そして、初対面から早速無様を晒したばかりだ。だが、私の問いに答える気はないようでレジーナは両手を合わせる。


「あ、そうだったわ。紹介するわね。こちらは、私の夫のフィリップ。フィル、こちらはお友だちのエリンですわ」

「あ、よろしくお願いいたします。フィリップ様」


 慌てて制服のスカートを摘んで、礼をする。この動作は何度も練習したからそれなりに様になっているはずだ。


「グレイス家嫡男、フィリップ・グレイスだ。いつも妻が世話になってるみたいだね」


 グレイス……グレイス!?︎ しかも嫡男。フィリップ。さあっと、下げたままの顔から血の気が引く。とんでもない大物だ。順当に行けば彼は間違いなく次のグレイス公爵になる。さらに、レジーナは公爵夫人だ。

 これは、運は私に味方したかもしれない。


「黙っていてごめんなさい。担任のシン先生も、この学校の一期生でグレイス家の養子になった方なのよ」

「養子……ですか」


 姿勢を正して呟く。シンが、あのグレイス公爵家の養子。そんな簡単になれるものではないはずだ。


「ああ、そうか。義兄のクラスだったのか……ということは……」


 フィリップの目が品定めでもするように私を見る。


「…………あの、私、本当にレジーナ様とお呼びしなくても……」


 身分不問という建前があるとはいえ、さすがに大物すぎる。そう思ったのだが、レジーナは途端に落胆した顔をした。


「エリィならそう言うかと思っていたわ。だからこそ、この話をする前にお願いしたのに……」

「いえ! レジーナが構わないのでしたら、私は別に」


 レジーナがパァッと笑顔になる。


「もちろん、私は構わないわ! これからもよろしくね、エリィ。それよりも、フィルにお願いしたいことがあるのです。エリィと殿下の仲を取り持っていただけませんか?」


 おそらくそのために紹介したのだろう。断られるなどと微塵も思っていない様子で言ったレジーナに、しかしフィリップは端的に答えた。


「え、嫌だけど」

「ど、どうしてですか!?︎」

「興味ないし。それよりさ、ジーナ。二人で空き教室行かない? こんな邪魔入らない場所でゆっくりしよ?」


 やっぱり邪魔だったんじゃん……。


「い、家で散々しているじゃないですか」


 散々……。


「家なんて週に一度しか帰れなかったじゃないか。せっかく毎日会えるようになったんだからさ」


 チラッとフィリップがこちらを見る。早くどっか行け、と視線で語っていた。


「え、ええと……私は、失礼いたしますね……」

「あっ、エリィ! ちょっと待っ」

「お邪魔しました!」


 引き止めるレジーナを置いてさっさと広間へ戻る。夫婦仲が良さそうで何よりだ。

 ともかくも確実に声の聞こえないところまで逃れようと、広間の反対側に向かって歩いていたら、背後から肩を叩かれた。


「よっ。久しぶり」


 懐かしい声に、弾かれたように振り返った。


「……シン兄ちゃん」


 シワのついたシャツに、雑に括った長い黒髪。何度見てもザ・だらしない大人という印象。とてもでないが公爵家の人間には見えない。記憶にあるより随分と大人びたけれど、長い前髪の奥に光る美しい金の瞳の輝きは変わっていなかった。


「良かった、覚えてて」


 笑うと目の淵に皺が寄る。懐かしい笑顔にほっとして力が抜けた。


「お、覚えてるに決まってるわ。なんでこんなところに、っていうか、最後に会ったのって……」

「エリィの八歳の誕生日だな」

「そういえば、そうだったっけ……」

「うん。あの後さ、この学校の設立が発表されただろ?」

「ああ、そっか。うん。そういえば」


 会ったのは六歳か七歳の頃だろうか。一緒に過ごしていたのはほんの数年で、けれどそんな気がしないくらいに濃密な時間を過ごした。あの頃だけは、他の友達よりも優先して、リタと二人でシンのところに通い詰めた。ある日を境に会えなくなってしまって、けれど言われてみればそうだった。シンを見なくなった時期にちょうど、学校の設立計画が発表されたのだ。


「それで、そりゃあ頑張ったわけよ。何しろ、タダだからな」


 そう、この学校の学費は家の財産に応じて決まる。それこそ公爵家や王族はおそらく相当出しているだろうが、それに対して平民は無料だ。その上、全寮制である。だからこそ私でも入れたのだ。おそらく、本来であれば働き手となる年代の平民を迎えるための対策なのだろう。


「……シン兄ちゃん、お金に厳しかったもんね」


 会ったのはかれこれ八年ぶりだというのに、意外と普通に話せるものだ。私が笑っていると、シンは不意に真面目な顔になった。


「……悪かったな。結局何も言えないまま、急に会えなくなって。一応、受かってから行ったんだけどさ」

「うん、その頃にはもうあそこ行ってなかったもん。仕方ないよ」

「ありがとな」


 ニッと笑ったシンの顔に確かなあの頃の面影が重なる。


「そういえば、リタにはもう会った?」

「ん、ああ。さっきまで話してた。まさか二人とも合格するとはな。俺意外と教師向いてんのかな」

「あー…………それは、そうかも。ありがとう、は、私の方だよ。シン兄……シン先生がいたから、私は今ここにいる」


 今の立場を思い出して、呼び方を改めた。シンは幼かった私やリタに読み書きや計算を教えてくれた。教わっている時間は楽しかった。次に会えるのを楽しみにして、リタと復習しながら今度はアレもお兄ちゃんに聞いてみようと話したものだ。


「お、やった」


 無邪気に喜ぶ様はどこか子供のようで、宮廷魔道士とかいう大層な肩書きに抱いていたイメージと乖離する。


「変わらない……ね。シン先生は……あの頃のままだ」


 少し迷ったけれど、敬語にするのはなんとなく気恥ずかしくて普通に話す。


「エリィもな。元気そうで安心したよ。それに……諦めてなかったんだな」


 シンの言葉に、笑顔が溢れた。殿下のお嫁さんになる、そんな大人たちに笑われた夢物語を、唯一笑わずに聞いてくれたのがシンだった。あとリタも、呆れてはいたけれど、馬鹿にしては来なかった気がする。


「諦めないよ。諦めるわけない」


 口に出すと、改めて決意が固まった。諦めない。今更諦められない。子供の言うことと笑われたあの日から、もしかしたらもう半分くらいは意地なのかもしれないけど。見返してやりたい。馬鹿にした大人たちを。馬鹿なことを言ったんだと泣いていた私を。


「安心した。何かあれば言えよ。公私混同にならない範囲でなら協力してやる」

「ふふっ、いいの? 特定の生徒に肩入れしたりして」

「ああ……お前は、特別だ」


 真顔で言われて、真顔になった。


「……ありがとう?」

「こっちの台詞だ。呼び止めて悪かったな、どっか急いでたんだろ」

「えっ? あ、ううん。そういうわけじゃなくて……」


 ただフィリップから離れようとしてただけ、と思って、そういえばシンはフィリップの義兄なんだっけ、と思い出した。


「どうかしたのか?」


 中途半端に言葉を途切れさせた私に、シンが尋ねる。


「あ……えっと、グレイス……って」

「ストップ」

「ッ……」


 シンの言葉に私は慌てて続く言葉を飲み込んだ。


「その話は、また今度な」


 そう言ったシンが、不意に背後をちらりと振り返る。視線の先を追うと、先ほどルキウス殿下に話しかけていた令嬢の姿があった。名前はたしか、エレノアと言ったか。


「すみません。お話の邪魔をいたしましたか?」

「いや、ちょうど話し終わったところだよ。何か用だったか?」

「ご挨拶に伺っただけですわ。シン様が教職につかれると聞いて期待しておりましたのに。私のクラス担任ではなくて残念ですわ」


 エレノアは私の存在など眼中にないように、にこやかにシンと言葉を交わす。


「様はやめてくれ、エレノア嬢」

「ふふっ、シン様が呼び方を改めてくだされば考えますわ。どうぞ、エリーと」


 一瞬自分が呼ばれたかと思った。だが、よく考えてみればエレノアの愛称がエリーであっても何も不思議はない。なんとなく、自分の愛称が取られたみたいな気分になる。


「男がご淑女を愛称で呼べるはずがないだろう」

「特別に親しい仲であれば珍しいことではございませんわ」

「特別に親しい仲でないから言ってる」

「釣れませんのね。私との縁談、悪いお話ではないと思うのですが……」

「え゛っ」


 思わず声が出てしまって慌てて口を押さえる。シンに? 縁談? いや、それはもちろんシンももうそういう年齢だろうけれど。相手があの、ルキウス殿下とも親しげにしていた、この美人の女性?

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