病は気からというし
藁にも縋る思いで、ただ唯一走馬灯から拾い上げた可能性に賭けて、私は体内の魔力に意識を集中させた。魔法の使い方なんてわからない。魔法陣だってまだ描けやしない。それでも、魔力特性とは唯一、魔法陣なしで発動できる、超能力が如く使える魔法。
私の魔力特性は、感情の固定や増幅だという。果たして感情論で吐き気が抑えられるのかはわからないが、病は気からというし、兎にも角にも他に方法はない……!
使い方なんて、わからないと思っていた。
けれど、私の意識はほとんど勝手に魔力を操作していた。まるで使ったことがあるかのような既視感さえ覚える。
それは不思議と私に馴染んで、深く深く私の内に入り込むような感覚と共に、吐き気すらまとめて、私自身を呑み込んだ。
にこりと微笑んで、エレノアを見る。
「なんでもございませんわ。少し……酔ってしまったみたいです」
そう話している自分は、まるで他人みたいだった。
何も考えられない。
何の感慨も湧かない。
驚くほどに心が冷え切っているのに、そのことに驚くという感情すら抱かない。
夢を見ているようで、けれど私は穏やかに微笑んでいる。ただただ冷静に、取るべき行動を取っている。機械仕掛けの人形にでも、なったみたいだった。
エレノアは私から目を逸らすと、窓の外へと視線を向ける。
「……レジーナ様のこと、あれから噂の真偽はわかりましたか?」
「いいえ。エレノア様の方は、何かわかったことは?」
エレノアは首を横に振る。
「あの場では、人の耳もあって話しにくかったのだけれど……私は本当に、レジーナ様のことを恨んではいないのですわ。私とフィリップ様は、ただ家の都合で結婚を決められていただけで、特段親しいわけでもありませんでしたから。むしろ、喜ばしいこととさえ思いました」
「喜ばしい、ですか」
それは確かに、人の耳があっては話しにくい内容だ。
普段の私であれば、何か思ったのかもしれない。けれど、今の私はただ淡々と相槌を打つだけだ。
「ええ。エリンがご存知かわかりませんが、フィリップ様はそれはもう冷めた方で。私はもちろん、女性にも男性にも一切興味を示されない方でしたの。だからこそ浮気の心配もしていなかったのですが。その彼が……意中の方と結ばれるために、周囲の反対を押し切って私との婚約を破棄した。正直、羨ましかったですわ。フィリップ様はそれほど想う方に出会えたのだと。きっとお相手の方は素敵な女性なのだろうと思っておりました」
「エレノア様には、そのような方はいらっしゃらないのですか?」
「おりませんわ。まあ……そういうわけで、私はレジーナ様のお噂を気にしておりましたの。フィリップ様のために、嘘であって欲しいと思ったのですわ。真偽がどちらであれ、もう私には何もできませんし、する気もないのですけれど。自分とフィリップ様を、重ねていたのかもしれませんね」
窓の外を見やるエレノアの切なげな瞳に、私の心が僅かに揺れた気がした。
「……噂の真偽はともかく、フィリップ様がそれほど心動かせる女性に出会えた事実は変わらないと思いますわ。例え、そこに魔法の介入があったとしても」
心が揺れると同時に、なりを潜めていた吐き気を再び催しそうになって慌てて魔力に意識を向ける。常に大量に供給していないとさすがに解けるらしい。なんとなく魔力がごりごり削られていっているのを感じていた。一等級の魔力量があって良かった。
「……そうかもしれないわね」
エレノアはまだどこか寂しげに、ぽつりと呟いた。
馬車は学園の前まで送ってくれて、そこでエレノアと別れた私は別の馬車で自尞まで戻ってきた。魔力残量はかなりギリギリで、かなり急いで玄関の扉を押し開ける。帰って来たことに安堵してしまったのか、あるいは遂に魔力が尽きたのか、おそらくはその両方で唐突に魔法は解けた。
ばたばたと浴室に併設されているお手洗いに駆け込んで、ギリギリで間に合って嘔吐する。
「っは、はあああ……間に合った……!」
良かった……! 本当に良かった……! 水で吐瀉物を流してしまって、ついでに口も濯いで上下水道のありがたみを実感する。そのままその場にへたり込んだところで、背後で物音がした。
「……エリンか? 何やってるんだ?」
振り返ると、レオンが髪を拭きながら脱衣所から出て来たところだった。シャワーでも浴びていたらしい。浴場を使う順番こそ決まっているが、それはあくまで湯船の話でレオンは割と朝や夕方にもシャワーで汗を流している。
「ああ……レオン様……。いえ、なんでも」
最後まで言い切る前に、私の顔を見たレオンの顔つきが強張った。
「ッ……顔色が悪いな。お茶会とか言ってなかったか? 何されたんだ! すぐに医者を」
「い、いえっ、もう大丈夫です! 吐いてスッキリしたので」
「吐いたのか!?︎」
墓穴……!
「いえ、その……まあ、結果的には……?」
「はあ? というか、それでここまでどうやって帰って来たんだよ。吐き気堪えて来たとか言わねえよな」
我慢して来ました、と言えば当然どうやってと聞かれるだろう。そうなると魔力特性の説明をしなければならない。そもそもなんで吐いたのかと問われれば、クネフ家でのことも話さなければならないわけで……。
「えーと……」
私が言い淀んでいるところに、どういうわけかタキが入って来た。水色の髪の天才シェフは私を見て目を丸くする。
「あれ? エリィ様、早いですね。もう帰ってらしたんですか?」
「あ、あー、うん。えっと、タキはなんでここに……」
「お手洗いですよ。使用人用と別れたりしていないので」
「あっ、ああ! ごめん! 邪魔だよね! すぐ行きます!」
慌てて立ち上がろうとすると、レオンに肩を掴まれた。
「待った。説明しろ。吐き戻して何もなかったわけが」
「えっ、吐き戻した……ですか? エリィ様、何があったんですか? まさかボクの作ったお菓子に何か」
「まっ、待ってください! 説明しますから、あの、場所を、変えさせていただきたく……」
かくして、お手洗いを済ませたタキとレオンと共に、私たちは厨房にいた。背もたれもついていないが、申し訳程度に置いてある丸椅子に座る。
「で、何があったんだ」
「えーと、順を追って説明しますね」
タキに貰ったお茶菓子を渡したこと。そこに砂糖やジャムをトッピングして貰ったこと。ところが何の手違い……あるいは嫌がらせかで私の砂糖がどうやら催吐剤になっていたこと。そのことに帰りの馬車で気がついて……と、私が説明するほどに、レオンの表情は不愉快そうに曇っていき、タキの表情は険しくなっていった。
「見下げ果てた根性だな」
説明を終えると、レオンが唸るように言う。
「……まあ、結果的には無事に帰って来れたので良かったです」
それにしても、感情の固定や増幅どころではない。自己暗示か、あるいは洗脳とでも言おうか。シンも傾向がわかる、くらいの言い方をしていたから完全にわかるわけではないらしい。さすがに吐き気を止めるレベルともなると、相当量の魔力を消費するようだが。
「……許せません。そんな……食事に、悪戯で催吐剤を混ぜるなんて……! 料理人に対する冒涜です!」
そう叫んだのはタキだ。明らかに激怒していた。ぐっと握りしめた拳が怒りに震えている。
「……ごめん。せっかくのタキの好意だったのに、台無しにしてしまって」
「エリィ様の謝ることじゃないです。それに……確かにあの菓子は、ジャムや砂糖が合います。向こうのシェフもそう考えて提案してくれたはずです。料理人なら、そこに毒を盛るなんて絶対にしない! その料理人の指示に従わずに、勝手に自分の悪行に利用した奴がいるんだ!!︎」
「ど、毒って、そんな大袈裟な」
「同じですよ!!︎ それで、料理人が疑われないといいですけど……」




