変な味
私から包みを受け取った女性が一礼して去って行けば、もうそこには私たち三人しかいない。
今はお茶を蒸らしているところらしく、ティーポットからは薄く湯気が漏れている。ティーカップの中身はまだ空だ。キャサリンはそれらには手を付けずに、ぐっと身を乗り出して単刀直入に言った。
「それで。貴女はもうエレノアとも繋がっておりましたのね。どこで誑かしましたの?」
「た、誑かしたわけでは……」
私が否定しようとすると、エレノアが口を挟んできた。
「工学の授業ですわ、キャサリン様。まさか……レジーナ様とシルベリア家のご令嬢まで引き連れて、同じ班に誘われるとは思いませんでしたわ」
ひやりとする。サフィアは家柄を一応伏せているはずだ。それでも、知っていれば気がつくのは私だけではない、ということだろう。
「シルベリア……? 没落した元辺境伯のですの? まだ存続しておられましたのね。ふふふっ、曰くのあるグレイスとマルティン、双方を取り込むだなんて。エレノアもらしくないですわ。なぜこの平民にそこまで入れ込んでいらっしゃるというの?」
「……エリンは、シン様と旧知であり、レジーナ様のご友人であり、フィリップ様に食事の同席を許されるほど、グレイス家と親密になっていらっしゃいますのよ。味方にしておいた方が得ですわ」
確かにそう見えるか……。実際にはシンやレジーナと親しいのは偶然だし、フィリップもレジーナがいるから渋々承諾しているだけなのだが。むしろ一番の謎はレジーナがどうしてこうも私を友人として特別扱いしてくれているのか……。
「ああ、確かに。グレイスから一方的に婚約を破棄されたマルティンからすれば、グレイスと縁のある方とは親しくしておきたいですわよね」
「キャサリン様こそ、どうして本日はエリンをお誘いに?」
「お話したかったからですわ! 先日ははぐらかされましたけれど、本日はレジーナ様もおりませんし、お話できますわよね? どんな手を使って取り入りましたの? 既にスピアリット家のご嫡男とも親しくなっておられるようですし」
スピアリットとは、ロレンスの家のことだ。キャサリンと引き合わせてくれたことを言っているのだろう。
「レジーナとは本当に偶然に、図書館で知り合っただけですわ。取り入ったわけではなく、そこでお友達になりました。そもそも、私が知り合った時には子爵家の方と伺っていたのですわ。グレイス家の方だなんて存じ上げませんでした」
「図書館ですの? 平民にも使う方がいらっしゃいましたのね」
学者とか色々いるだろうに。さりげなく失礼だが、気にせずに答える。
「ええ。こちらの学園に入るため、受験勉強をしておりましたので」
「では、エリンは独学で入学されたのですか?」
エレノアに聞かれて、曖昧に頷いた。
「まあ……半分は独学ですわ。レジーナにも教えていただきましたし、完全に一人というわけではございませんが」
とはいえ会える時は限られていたし、むしろレジーナには言葉遣いとか立ち居振る舞いだとかを教えてもらう機会の方が多かったが。
ちなみに元は書物の保管庫でしかなかった施設が、図書館として平民にまで解放されたのは学園の設立発表と同時期のことだ。国としても受験勉強での利用を考えていたのではないだろうか。
私が答えている間に、キャサリンがティーポットを手に取ってティーカップにお茶を注いでくれていた。いかにも使用人にやらせそうなのに、手づから入れてくれるらしい。
三人分注いでくれたのを礼を言って受け取る。きっとこの一杯で平民がひと月くらい暮らせるんじゃなかろうか。
「それだけで仲良くなられたなんて、どんな手品を使ったのかしら」
キャサリンが言いながら、ティースタンドから茶菓子を取る。手掴みで食べていいものらしい。小さな茶菓子をほっそりとした人差し指と親指で摘んで頬張っている。
「手品だなんて……。それに、レジーナは最初から私に親切にしてくださいましたわ」
「ううん、やっぱりグレイス夫人にお話を伺いたかったですわ。むしろ、あちらの方がこの平民に取り入ったのかもしれませんもの」
唸るキャサリンは置いておいて、私も茶菓子を手に取っていただく。サクリとした歯応えの菓子はとても甘くて、口の中であっという間に溶け崩れた。余韻に浸りつつお茶もひと口飲めば、こちらもしっかりと濃くて美味しい。
「とても美味しいですわ」
私に続いて菓子を頬張っていたエレノアが微笑む。
「はい。このような優しい歯応えのお菓子は初めて食べました」
「平民には縁のないものでしょう。好きなだけ食べてくださって構いませんわ。なんなら、手土産に持ち帰られます?」
「いえ、そこまで甘えられませんわ」
「遠慮なさらなくても構わなくてよ」
キャサリンがそう高慢に笑ったとき、中庭に先ほどの女性の使用人が入ってきた。手には盆を持っていて、私の持参した菓子が三皿に分けて盛り付けられている。
「お待たせいたしました。こちらの菓子であればジャムが合うでしょうとのことで、添えさせていただいております。それに、少し粉砂糖も振ってございます」
説明と共に、それぞれの前に皿が供される。
「ありがとう。下がって良いですわ」
女性が一礼して去っていく。こういうところにいると、やはりなんとなく居た堪れない。貴族に仕える使用人というのは、主人の位が高いほど使用人側も貴族の出であることが多い。本来であれば私の方が余程立場が低いはずなのに、どういうわけか今の私はこちら側にいる。
「美味しいですわね」
ひと口食べたエレノアが微笑む。
「ええ。ジャムがよく合いますわね」
「お好みに合ったようで何よりですわ」
私もひとつ手に取ると、ジャムも付けて頬張る。
「……ん?」
変な味がした。
私は今朝、味見にひとつ食べさせてもらっている。その時は、こんな味はしなかった。どうしよう。吐き出す? それは、この二人を不快にさせやしないだろうか。あるいはジャムの味が口慣れないだけだろうか。
瞬間固まった私に、二人が怪訝そうな顔を向ける。直後ならばともかく、今更吐き出すのも幅かられて、結局もぐもぐと咀嚼して無理矢理飲み下した。口直しにお茶を多めに飲む。
味がおかしかったのは、まずジャムだ。甘くないし、なんだかジャリジャリして泥でも混ぜたみたいだった。それに、全体にまぶされた粉砂糖。これがとんでもなく苦かった。砂糖じゃなくて粉薬か何かのような。逆に、菓子自体の味は変わってなかったように思う。
「エリン、どうかなさいました? 顔色が悪いですわよ」
エレノアに問われて、私は曖昧に頷く。
「あの……このジャム、甘くない……ような気がしたのですが。それに、お砂糖も苦味がございませんか?」
私の言葉に、二人の顔から笑みが消えた。言葉選び間違えた……!? と焦ったのも束の間、エレノアが溜息を吐く。
「エリン。そのような場合は、飲み込まずに吐き出して構わないのですよ」
「私の使用人のミス……いえ、嫌がらせですわね。お詫びいたしますわ」
「い、嫌がらせって……間違えただけかもしれませんし。それに、私が不慣れな味なだけかもしれないと」
「ああ、そうですわね。なら教えて差し上げますわ。お砂糖もジャムも、甘くないばかりか、苦味が勝るなどあり得ませんわ」
「キャサリン様の仰る通りですわ。毒であることもありますのよ。少しでも変な味がしたら吐き出しなさい」
「ど、毒ですか!?」
そんな大袈裟な、と思ったのだが、二人とも顔は大真面目だ。本当に、この人たちにとってそれは起こり得る可能性があることなのだ。




