心臓に剛毛でも生えている
午後。私は待ち合わせに学園前のロータリーまで出向いていた。片手には小さな包みも持っている。タキの作ってくれた焼き菓子だ。
ちなみにレジーナはいない。本人も行かずに済むなら行きたくないという感じだったし、フィリップもガンとして承諾しなかった。私もレジーナを無理に連れ出したくはない。何より本当に急過ぎる誘いだったし仕方ない。
「エリン。もういらしていましたのね」
名前を呼ばれて振り返るとエレノアがいた。ちょっと余所見をしている間に馬車から降りて来たらしい。色素の薄い茶髪は相変わらず美しい。腰まで届くほどに長いのに、手入れが行き届いている。
「エレノア様。本日はよろしくお願いいたしますわ。その……先日は失礼を。申し訳ございません」
私の謝罪に、エレノアは不思議そうな顔をした。
「失礼……? レジーナ様と同じ班に誘われたことかしら? そのことについては、既に謝罪されたと思うけれど」
「い、いえ……それもですが、噂を気にされるのが、その……意外、などと申し上げたことについて……」
エレノアは少し考えて、ようやく思い出したらしい。
「ああ……気にしていませんわ」
「そ、そうなのですか?」
なら、ゆっくり話を、というのはなんだったのか。てっきり目を付けられたものと思っていたのに。
「ええ。たしかに、意外と評されたのには驚きましたけれど」
そう言ってエレノアはふふっと笑う。
「すみません。ありがとうございます」
「いいえ。こちらこそ。そういえば、レジーナ様はいらっしゃいませんのね」
「はい。残念ですが、急なお話で予定が合わず……」
「仕方ありませんわ。次は、予定が合うといいですわね」
次があるのか……。戦慄していると、やたらと豪勢な馬車がロータリーに入って来た。磨き抜かれた真っ白い外観を繊細そうな装飾品が飾り立てる。いったいどこの高位貴族……と思って見守っていると、やがて停車した馬車から降りて来たのはキャサリンだった。
今日も気合の入った金髪カールだ。キャサリンは見るからに高そうな扇を口元に当てて、私たちの方を真っ直ぐに見た。通りがかった生徒が何事かとこちらを盗み見ていく。
「ごきげんよう。お待たせしてしまいましたわね」
「ごきげんよう、キャサリン様。本日はお招き感謝いたしますわ」
二人の堂に入った態度に、早速気後れするがビビってばかりもいられない。私もスカートの裾を摘んで、できるだけ優雅に頭を下げた。
「お招きありがとうございます。キャサリン様。残念ながらレジーナは予定が合いませんでしたが、本日はよろしくお願いいたします」
私の言葉に、キャサリンは目に見えて不機嫌そうな顔になる。
「ま。お話したかったですのに。まあ……急なお誘いになってしまいましたし仕方ありませんわね。それに……彼女がいない方が話しやすいこともございますわ」
「そ、そうでしょうか……」
キャサリンは今度は含むところがありそうに微笑んでいる。なんかもう帰りたい。
「立ち話もなんですから参りましょう。本日はどちらでお話いたしますの?」
エレノアがやんわりと本題を促すと、キャサリンは得意げに胸を張って答えてくれた。
「光栄に思いなさい。私の別宅にご招待いたしますわ! さ、お乗りになって」
そう、先ほどの豪勢な馬車を示した。
馬車の車内も外観に負けず劣らず豪勢だった。シワひとつ付けることも許されなさそうな座席に恐る恐る座る。何かしでかしたら一発で一家崩壊の危機だろうな、と思うと背筋が凍る思いだ。
エレノアは私の隣に座り、向かいにキャサリンが座って、馬車は揺れも少なく走り出した。
「エリン。そのように緊張なさらなくて大丈夫よ」
エレノアが優しげな微笑み……いや、半ば呆れた苦笑と共に声をかけてくれる。
「あ、ありがとうございます……」
無理を言わないで欲しい。この状況で緊張しない平民がいたら、それは余程の馬鹿か心臓に剛毛でも生えているに違いない。
「ところで貴女。その手に持っている包みはなんですの?」
キャサリンの視線が私の包みに向けられる。
「あ、これは……寮のシェフの方が用意してくださったのです。冷めても美味しい焼き菓子だそうで、よろしければご一緒にいただけると嬉しいですわ」
「まあ、お気遣い感謝いたしますわ。私のシェフの作る焼き菓子も美味ですのよ。ぜひご賞味なさって」
「はい。楽しみです」
この緊張で味がわかればいいんだけど。
そうして馬車に揺られること数十分。到着したクネフ家の別宅というお屋敷は、それはもう立派だった。門から玄関口までに私の家が丸二つ入るだろう。屋敷の中に入れば、床から手すりに至るまで鏡のように磨き抜かれている。家三つ分ほどの距離を歩いて、中庭に出ればそこも家九つ分くらいの広さがある。
「別宅ですのであまり広くないのですが、私たちが内緒話をするには充分な広さですわ。さ、どうぞおかけになって」
そう言って、中庭の中央にぽつんとあるテーブルと椅子を示す。一応植木もあるにはあるが、あまり大きくはない。全体的に閑散とした印象だ。人の潜む隙などどこにもない。なるほど、確かに内緒話にはもってこいである。
「エリン。ぼんやりしてどうかなさいましたか?」
エレノアに声をかけられて、はたと我に返った。あまりの豪勢さに圧倒されていた。
「いえ。とても立派なお屋敷ですので見惚れておりました。今参りますわ」
「当然ですわ! 平民がこのような屋敷に入れることなど一生に一度あるかないかですもの。目に焼き付けていかれるとよろしいですわ」
側室になると目標を掲げている身としては一生に一度では困るのだが。
「そうですわね。私もいつか、こちらより立派なお屋敷に住めるように頑張りますわ」
今しも椅子の背に手を置こうとしていたキャサリンが、瞳をキラリと輝かせて私の方を振り向いた。
「あーはっはっはっ! 住むですって。平民の貴女が?」
こんなにも高笑いをされているのに、不思議と彼女の言葉には侮蔑を感じない。
「ええ。殿下の側室になれば、当然ですもの」
「本気ですのね! 初めて聞いた時には現実が見えていないお馬鹿さんと思っておりましたが、やはり考えを改めなければなりませんわね。貴女の心臓には剛毛でも生えているに違いありませんわ!」
なぜだろう。考えを改めてくれたはずなのに、褒められた気がしない。釈然としないでいると、使用人らしい女性がワゴンを押して中庭に入ってきた。丈の短い草が一面に生えた中庭だが、よく見れば一際丈の低い草が小径のように連なっている。
正確にその小径を進んできたワゴンの上には、美味しそうな茶菓子が乗ったティースタンドと人数分のティーカップとポットが整列していた。
「冷めないうちにいただきましょう」
エレノアがにこりと笑う。
「そうでしたわ。さ、おかけになって」
ワゴンを押してきた女性がささっと移動して座りやすいように椅子を引いてくれる。私たちがそれぞれに腰掛けたところで、ティースタンドやティーカップもテーブルに並べられた。
「ああ、そうだわ。キャサリン様、エリンのお茶菓子も盛り付けていただきましょう?」
エレノアが思い出したように言うのを聞いて、私は慌てて膝の上に置いていた包みをテーブルに乗せる。
「そうでしたわ。貴女、こちらの包みを。中身をお皿に移して持ってきてちょうだい」
「はい。かしこまりました」
女性の手が伸びてきて、私は恐縮しつつ包みを渡す。おそらく、きちんと厨房の方で毒味もして持って来るのだろう。




