噂の出どころ
「……エリン」
「ッ……すみません! 私、失礼なことを」
意外だ、とか伯爵家のご令嬢に対して言っていい言葉じゃない。慌てて弁明しようとしたが、それを遮ってエレノアは続けた。
「ここでは人の耳もございます。貴女とは後日ごゆっくりお話させていただきたいですわ」
一方的にそれだけ言い置いて、エレノアは返事も聞かずに足を早めて行ってしまった。直後に上から生徒たちの集団が降りてきて、私も慌てて階段を降りきる。
どういうことかわからないが、たぶんまずい。目を付けられた気がする。後日ごゆっくり何をされるのだろうか。やはり失礼を言い過ぎたかもしれない。
果たしてどうすれば許してもらえるだろうか、と悶々としながら帰路につく。相変わらず少し緊張しながら馬車に乗って帰寮すると、ちょうどレオンが玄関の扉を開けたところに行き当たった。
「ん。ああ、今帰りか」
「はい。レオン様は、これからお出かけですか?」
「ああ。ちょっとシャワー浴びに戻っただけだからな。帰りは十八時まわっちまうから、飯は先に済ませてくれていいぜ」
そういえば昨日も夕飯の食卓にいなかった。ロレンスは自主練だとか言っていたが……。
「どちらへ行かれるのですか?」
「この、尞区画の端の方に武道場だとかがあるんだ。そこに汗を流しにな。興味があるなら、エリンも行くか?」
正直なところ、興味はあった。魔道学、剣術、工学……一応は選択科目のそれらだって、殿下の側室になるためにはどれも人並み以上にできないといけないと思う。見初めて貰える、なんて思わない。それなら少しでも役に立てるように、側に置きたいと思って貰えるように、勉学も武道もできないと……いけない……行きたい、のだが……。
「…………本日、ロレンス様はいらっしゃいましたか?」
「ロレンス? あいつに何か用があるのか? 今日はいると思うが」
「すみません……! レオン様、武道場は後日またよろしくお願いします!」
「ははは、了解だ。また今度な」
朗らかに笑って、馬車には乗らないのかそのまま角を曲がっていったレオンを見送って、私も屋敷に入った。
ロレンスには勉強を見てもらいたい。いつもいるわけじゃないから、いる時にはできるだけお願いしたい、という思いは確かにある。だが、今日はそれよりも、頼みたいことがあるのだ。
「キャサリン・クネフ様を紹介していただけませんか?」
ロレンスの部屋で、そう切り出した私に部屋の主人であるロレンスは目を瞬かせた。
「キャサリン様を?」
「はい。どうしても、お話したいのですわ。ご紹介いただけるだけで構いませんから」
エレノアとサフィアは同学年だからどうとでもなった。けれど、キャサリンは三年生の先輩。おまけに接点といえば歓迎会の時と、今朝のレジーナとの対峙のみ。つまるところ、一人で押しかけられるだけの繋がりがない。下手したらキャサリン親衛隊的な人に摘み出される。今朝も取り巻き連れてたし。
「僕もあんまり親しいわけじゃないんだけど……ルキウスに頼んだ方がいいんじゃない?」
「お忙しい殿下に頼むのは、気が引けますので」
ロレンス以外も考えはした。例えば、レジーナは今朝興味を持たれていた。とはいえキャサリンと話すために巻き込んだとフィリップに知れたら絶対にいい顔はされない。フィリップは言わずもがな人を紹介とかできるわけない。レオンは立場的に彼女と接点があるかも怪しい。
「……彼女と何を話したいの?」
やっぱり聞かれるか……。ロレンス相手に誤魔化しが通用するとは思えない。けれど……この話をするにはレジーナの魅了についても明かさなければいけない。
迷った末、私は慎重に切り出した。
「ロレンス様は……レジーナの噂について、聞き及んでおりますか?」
ロレンスはすぐに心当たりのある顔をした。
「ああ、彼女は魅了魔法が使える……っていう? エリンちゃんもそう思ってるの?」
ロレンスの問いは無視して、話を先に進める。
「その噂ですわ。実は……その噂の出どころを知りたくて。キャサリン様なら何かご存知かもしれないのです」
「へえ……。まあ、そういうことなら構わないよ。紹介しよう」
「えっ、よろしいのですか!?︎」
「うん。けど……本当に顔見知りってくらいなんだ。どうするかな…………とりあえず明後日の昼休み、空けておいてくれる?」
「はい! ありがとうございます!」
そして翌々日の昼休み。事前に言われていた空き教室で待っていると、ロレンスがキャサリンを連れて扉から入って来た。
「ごめんね。待った?」
「いえ、今来たところですわ」
きちんと居住まいを正して答える。ロレンスには色々と教えて貰っていることもあって、自然と背筋が伸びる。
「まあ、平民の有名人ではございませんの。私とお話したいというのは貴女ですの?」
ロレンスの後ろから顔を覗かせたキャサリンが私を見てクスリと微笑む。どことなく見下したような視線。シンが言っていた、平民相手は油断するとはこういうことなのだろう。そういえば今日は取り巻きを連れていない。置いてきたらしい。
「お会いできて光栄ですわ、キャサリン様。本日はお時間を作ってくださり、ありがとうございます」
「どういたしまして。それで、お話とはなんですの?」
「レジーナの魔力特性のお話についてですわ。どちらで、どなたから伺われたのか、お聞かせいただきたくて」
「そんなことですの? 三日前に……部活動でお友達からですわ。皆さん話しておられましたから、言い出したのがどなたかまではわかりませんけれど」
「ご友人の方ですか……」
まあ、はっきり兄に聞いたなんて言うわけないか。とはいえ、もう少し話してみないとこの話の真偽もわからない。どう話を持っていくべきかと思案していると、キャサリンが続けて言った。
「ええ。あまり本気にしていなかったのですが、その後で寮に戻ったらお兄様にも同じ話をされましたの」
「え?」
噂を聞いた後で、兄にも同じ話を聞いた?
「面白いことになると思いましたのに、フィリップ様は相変わらずのご様子ですし。そういえばロレンス様はどうお考えですの? ご友人ですわよね?」
ロレンスは肩をすくめる。
「友人……ではありますが、僕が何か言うことではございませんよ。これは彼の問題ですから。彼が決めることです」
「つまらないお答えですこと。貴女はどうですの? せっかくグレイス夫人に取り入ったのに、この事態。どう動くかは考えておられますの?」
別に取り入ったつもりはないんだけど。
「もちろんですわ。皆さまがレジーナを目の敵にしている今こそ、彼女に恩を売るチャンスですもの」
「ッふ、あははっ……貴女は面白いですわ! それで、聞きたいことはそれだけですの? 貴女にはもう少し教えて差し上げてもよろしくってよ」
そうは言われても、私は困惑していた。キャサリンが真っ先に兄に聞いたのなら話は早いのだが、先に友達に聞いたとなると噂の出どころ自体は別なのかもしれない。
「その……お友達が、キャサリン様のお兄様から先に伺っていた、なんてことは」
苦し紛れのひと言をキャサリンは一笑に付した。
「あり得ませんわ。私のお兄様はお馬鹿さんですけれど、さすがに生徒の個人情報を身内の私以外に話すほど愚かではございませんわ」
「あはは……お馬鹿さん、なんですか」
「ええ。嘆かわしいことですわ。あのお兄様が継ぐのですから、クネフ家のお先は暗いですわね……。せめて優秀な方とご結婚できると良いのですけれど……」
自分の家、自分の兄弟の話なのに、キャサリンは他人事みたいに言う。
「……お時間、ありがとうございました。参考になりましたわ」
「もうよろしいんですの? また今度、ごゆっくりお話しましょうね。ごきげんよう」
優雅に教室を出ていくキャサリンに頭を下げて見送ってから、顔を上げた私は目の前にあった机に両手を置いて頽れた。




