叶わぬ夢を語る愚者
「ふっ……はははははっ!」
唐突に、張り詰めた緊張感を破る爆笑が響いた。笑ったのは護衛その一、今朝話しかけてきた赤毛の体育会系だ。
「レオ」
咎めるようにその二である緑眼鏡が声をあげる。
「威勢よすぎだろ。ははっ、俺は好きだぜこういうの」
「ありがとうございます」
にこりと笑顔を向ける。一人でも笑ってくれて、なんというか救われた。
「あれ……君、今朝の子じゃないか?」
眼鏡の方が気がついた。まさかあれだけの会話で覚えられていたとは意外だ。その証拠に赤毛は少し考える素振りを見せている。
「はい。今朝方はお世話になりました」
そこで赤毛も思い出したらしい。
「あーっ! あの時の子か。雰囲気違うから気がつかなかったぜ」
「今朝……?」
この場で初めて声を発したその三はピンときていないようだった。紺色の髪の根暗男である。彼とは今朝も言葉を交わしていないから、覚えていなくとも仕方ないだろう。
「レオが話しかけた子だよ。東校舎の方まで来てた」
眼鏡の指摘で紺色も思い出したらしい。
「あぁ、そういえば……なんで話しかけたの? レオ」
「迷ってんだと思ったんだよ。けどこの様子じゃ、ルキウスを見に来ただけだっだみたいだな」
それに同意するように眼鏡がクスリと笑う。
「ふふっ、そうだね。けど、正門で待ってれば良かったのに。東校舎は遠かったでしょう?」
そこなんだ、気にするとこ。
「正門は人通りが多いですから。通行の邪魔になってはいけませんし、何より殿下のお姿がよく見えませんわ」
「……それにしても! 側室とは驚きましたわ。自ら妾を望むなど、淑女として恥ずかしくないのかしら」
自分が除け者にされていることにいよいよ我慢ならなくなったのだろう。キャサリンが割って入ってきた。エレノアが微笑を浮かべて応じる。
「本当にその通りですが、キャサリン様。仕方ありませんわ。彼女は、平民ですもの」
刹那。空気が凍りついたような感覚がした。しかしそれはすぐに掻き消えて、キャサリンが打って変わって憐憫を滲ませた視線を向ける。
「あら、そうでしたの。それは、仕方ありませんわね……」
敵視するにも値しない、と。大人が子供の戯言を笑うように、叶わぬ夢を語る愚者を見下ろす目を向ける。
こんな視線を、幾度となく向けられた。母にも、父にも、隣人たちにも。私が本気だとわかる前は笑い飛ばして、本気だとわかるや憐れむような目を向けてきた。これくらい想定内だ。なのに、一瞬言葉に詰まった。ルキウス殿下にまで同じ目で見られたら。そう思ったら怖くなって、貼り付けた笑顔を保つだけで精一杯だった。
「平民で何が悪い! ん、ですか。ここでは身分の差はないってさっきお、あ、あなたがたが、言ってたじゃないですか!」
唐突に、慣れない丁寧語で、私の前に割り入ってきた人がいた。見慣れた茶髪は……。
「……リタ?」
「エ、エリィ……行くぞ!」
名前を呼ばれてハッとする。言葉に詰まった、ほんの一瞬の間。それでも、リタが来なければ、その僅かな間は決定的な勝敗を分ける間になっていた。
「……ふっ、素敵な騎士様がいるじゃないの」
失笑したのはキャサリン。
「お似合いですわよ」
エレノアも穏やかに微笑んで言葉を添える。
「あっ、すみませ……申し訳ございません皆さま。お見苦しいところを。行きましょう、リタ」
思わず素が出かかったのを慌てて取り繕って、リタの腕をむんずと掴む。
「いや、こちらこそ非礼を詫びよう。その者の言う通りだ。ここで身分は関係ない」
「寛大なお言葉に感謝いたします。失礼いたしますわ」
改めて殿下に礼をして、足早にその場を後にする。あんなに練習したのに、最後の最後でボロが出たことが悔しくてならなかった。
☆☆☆☆☆
「身の程を弁えない方がいるものね」
エリンが足早に立ち去った後でキャサリンが呟く。エレノアもまた、同情とも哀れみともつかぬ視線でエリンの背中を見送っていた。
一方で、ルキウスは旧来の友人三人と視線を交わす。
「……そうなのか?」
赤毛の青年の言葉に、ルキウスは肩をすくめる。
「さあ、な」
呟いて、去っていく黒髪に視線を投げる。他の三人もそれに追随するように視線を向けた。何かを訝しむような、それでいて何かを期待するような視線を。
☆☆☆☆☆
「おい、エリィ。離せよ……離せったら!」
ブンとリタが私の手を振り払う。リタの手を引いて歩いていたら、いつの間にかもといた壁際まで戻って来ていた。けれど、どこへ行ったのかレジーナの姿はない。リタに向き直って顔を顰める。
「なんで来たのよ」
「……なんか、いじめられてるみたいだったから」
余計なことをして、と八つ当たりしたいのをグッと堪えて礼を言った。
「…………ありがとう。助かったわ。けど……もうあんなことしなくていいから」
「……そうかよ。悪かったな、余計なことして」
不貞腐れたように言うリタを見ていると、なぜだかほんの少し安心した。貴族ばかりがいるこの場所で、数少ない平民の仲間だからだろうか。
「本当よ。これくらい、いじめられたうちに入らないわ」
ふふん、と胸を張ってみせる。それは本音であると同時に強がりでもあった。
「……そんなこと言って、また泣きべそかかされるぞ」
リタが揶揄うみたいにニヤニヤ笑う。
「そっ……んな、ことくらいで、負けないから。じゃあ、私はもう行くわね」
リタの軽口に釣られて声を荒げそうになりかけたのを慌てて飲み込んだ。こんな場所で大声で騒いだりなんてしたら、悪い方向に噂になってしまう。
リタと別れた私はレジーナを探しに行くことにした。紹介したい人がいると言っていたから、その人に会いに行ったのかもしれない。壁沿いに歩きつつ広間の中を見渡していると、不意に壁の向こうから声が聞こえてきた。
「……ちょっと、こんな……で」
聞き違いようのないレジーナの声だ。何か揉めているらしい様子で、微かに聞こえる声にはいつもの穏やかさがない。外への出口を探すと、すぐ先に渡り廊下への出口があった。西校舎に繋がる渡り廊下だろう。
「……別……も、見て……」
向かおうとしたところで、別の声も聞こえた。今度は男の声だ。まさか無理矢理言い寄られているのだろうか。足早に渡り廊下まで行って広間を出ると、果たしてレジーナはすぐに見つかった。渡り廊下から少し逸れた壁際、こちらに背を向けて立つレジーナと、その細い手首を捕らえる男の顔はレジーナに覆い被さるように俯いていてよく見えない。
「声が聞こえちゃ……やっ、あぅ」
「なら黙ってれば」
揶揄うように笑い混じりの声。迷っている場合じゃない。
「まあ、昼間からお盛んですこと」
せいぜい胸を張って聞こえよがしにそう言うと、レジーナがバッとこちらを向いた。眼鏡がずれ落ちて、ふわふわの三つ編みも少しばかり乱れている。
次いで男も煩わしげに顔を上げた。ようやく見えたその顔は見覚えのあるものだった。見たのはついさっき、ルキウス殿下の護衛をしていた一人、紺色の髪の根暗男である。
「エリィ!」
レジーナが驚いた顔をする。
「私のお友だちに不埒な真似をしないでくださいます?」
精一杯の勇気を振り絞って言ったのだが、二人ともキョトンとこちらを見ている。何かおかしなことを言っただろうか、と内心焦っていると、レジーナが吹き出した。
「っふ……くくっ……ごめん。ありがとう、エリィ。でも、大丈夫。ちょうど良かったわ。彼を紹介しておきたかったの」
レジーナはずり落ちた眼鏡をきちんと掛け直す。
「え……? ええっと……? お二人は、どのようなご関係で……?」
戸惑いながらの私の問いに簡潔に答えたのは男の方だった。
「夫婦だ」
「…………お邪魔しました」
つまりは、夫婦仲良く逢引の最中だった、と。レジーナ結婚してたんだなあ、と思いつつ踵を返しかけると、レジーナが慌てたように叫んだ。
「待って! 邪魔じゃないから!」
「……本当ですか?」
「本当! 来てくれて助かったわ。あのままだったら、私……」
途切れた言葉の先、レジーナは恥ずかしそうに頬を赤く染める。見ているこちらまで照れてしまいそうだ。