何の根拠もない自信
「か、匿うってどうやって」
下手したら本当に私の命が危ない。フィリップならやりかねない。
「二人が出掛けたのを見計らって出て来たの。フィルだけ先に戻ったのよね? でも、私がいないことに気がついたらきっとまた探しに来るわ」
「ちょ、ちょっと待ってください。何があったのか説明してください。ええっと……とりあえずさっきの空き教室に戻りましょう」
レジーナと共に、さっきまでシンと二人でいた空き教室に入って適当な椅子に座る。窓の外はまだ茜色だが、時期に暗くなるだろう。既にだいぶ薄暗い教室の中で、レジーナは真剣な様子で頭を下げた。
「私……その、まずは、ごめんなさい」
「え? 何がですか?」
「サフィアのこと……。私は、冷たい態度だったと思う。でも、ああやって私に近づいてくる人たちのせいで、フィルに迷惑をかけるわけにはいかないの。私は彼の正妻だけれど、それでもまだエリィのように愛人になろうとしている子たちはいるから」
「それは……私も、すみません。サフィア様に諭されました。レジーナの立場上仕方のないことだからって。でも……彼女は、悪い人ではないと思います。彼女は家を継ぐ立場で、愛人っていうのは、無理だと思いますし」
「家を継ぐ……? エリィ、彼女の家名を聞いたの?」
驚いたようなレジーナの反応に、しまったと思いつつ頷いた。他言しないと約束した手前、レジーナに言うのも憚られる。
「ええと……サフィアという名前に、心当たりがあったので。でも、他言しないと約束したんです」
「ふふっ、エリィらしいわ」
少し緊張が解けたように笑ったレジーナに私は改めて尋ねた。
「それで、シン先生に魔力特性を見てもらったんですよね?」
レジーナは表情を引き締める。
「ええ……魅了の力がある、って、言われたの」
「……でも、フィリップ様に、その魔法は使ってないんですよね?」
レジーナは言いづらそうに顔を俯ける。
「わからない、の。私は、たしかに彼とどこで会ったのかわからないし。魔力特性のことも知らなかった。使った覚えもない。でもね……私……」
「……心当たりでも、あるんですか?」
促すように尋ねると、レジーナはぎゅっと手を握りしめて、絞り出すように言った。
「魔力暴走を、起こしたことがあるの」
魔力暴走とは、その名の通り魔力が暴走することで、感情が昂ったり極度の緊張状態で起こるものだ。魔力のコントロールが効かずに暴発する。まだ感情のコントロールが効かない子供が起こすことが多いが、大人でもないわけじゃない。ちなみに、子供はそもそも周囲に影響を及ぼすほどの魔力量を持っていないため魔力暴走を起こしても気が付かないことがほとんどだ。
「その時に巻き込んだってことですか?」
「それしか考えられないもの。フィルと会う少し前で、私は……パーティに参席していたの。そこで、一人のご令嬢が魔力暴走を起こして、近くにいた私がそれに触発された。慌ててその場を離れて、会場から離れて庭に出たところで抑えきれなくなって……」
魔力暴走は近くにいる人にも伝染する、と聞いたことがある。おそらくそういうことだろう。
「そこに、フィリップ様が……?」
「誰もいないと思ったの。でも……周りも薄暗くて、私はその場で失神したから、後のことはわからなくて。親切な方が、倒れている私を見つけて運んでくださったとしか……でも、もしあの植え込みの向こうに彼がいたなら……」
レジーナは真っ青な顔になる。
「ですが、それはもう何年か前のことなんですよね? 今までずっと魅了されている、なんてことあり得るんですか?」
それに、フィリップはレジーナが魅了魔法を使えることを、そしてそれに自覚がないことを察している様子だった。自分が魅了魔法をかけられたとわかっていて、それを責め立てないどころか秘匿するなんてことあるだろうか。
「私も……シンお義兄様に同じことを聞いたの。私の魔力の粘度と濃度なら、魔力暴走すれば何年も持つこともあるかもしれない、って」
「…………それで、逃げたんですか? 授業に戻って来なかったのも……?」
レジーナは青白い顔で頷いた。
「……怖く、なったの。魅了魔法なんじゃないか、って揶揄されてたのは知っていたから。絶対に違うと思ってた。そんな魔力特性聞いたこともないし、私はフィルに会ったこともなかったんだから。でも……でも、本当にそうだった。もし、誰かが聞いていたら。責められたらと思ったら……」
自分が大好きな人を、他ならぬ自分自身がその心を捻じ曲げていた。何も知らずに無邪気に笑っていた。そんなことがわかった日には、それは動転もするだろう。逃げ出したくもなるだろう。顔を合わせるのが恐ろしくなるだろう。
レジーナは本来名門の公爵家に嫁ぐような家の出じゃない。周囲の視線は厳しかったはずだ。それでもきっと、フィリップだけは味方だった。その唯一の味方さえ、味方ではなかったなら。
「……ありがとうございます。私のところに、来てくれて」
「ううん。ごめんなさい。私……エリィの他に、頼れる相手がいなくて」
頼って貰えたのは嬉しい。けれど…….結局のところ、ただの平民の私にできることなどないのだ。だから、辛辣かもしれないけれど、言わないといけない。
「…………レジーナ。私が匿って、事態が好転するとは思えません」
「ッ……なら、ならどうすればいいの!?︎ 彼に捨てられたら……私に行く場所なんてないのよ! 魔力特性は教職員の間で共有される。生徒たちに直接開示されることはなくても、絶対にどこかから出まわるの。魅了魔法で次期公爵様に取り入ったって噂が、きっと数日中には立ってる。フィルの耳にもきっと入る。運が良くてもフィルの家に軟禁される。運が悪ければ、罪に問われて処刑されるかもしれない。私は……どうすればよかったのよ…………!」
ここまで取り乱したレジーナを見るのは初めてで、私も驚いていた。レジーナの言葉は確信に満ちていて、否定や慰めなんて焼け石に水だとわかる。
だから私は、否定も慰めもせずに、ただ告げた。
「帰りましょう。レジーナ」
「ッ……エリィ! どうして…………ううん、どうして、じゃないわよね。ごめんなさい。貴女を、巻き込んではいけないのに。帰るなら、一人で」
「一緒に帰るんです! レジーナは悪くないです。逃げる必要なんてありません。それに……シン先生も、フィリップ様も、敵じゃないと思います。きちんと話せば、味方してくれるはずです。いえ、私が味方させます。だから、帰りましょう。大丈夫です。私がいます」
わざわざフィリップを待っていたシンも、レジーナの魅了魔法をなんでか察してたフィリップも、きっと本心からレジーナを見捨てるなんてことはしない……と思う。思いたい。まだフィリップとも知り合ったばかりで、シンのことだって大して知ってるわけじゃない。それでも、きっとレジーナはそういう言葉を求めて私のところまで来たのだと思った。
こんなただの平民がいたって、何にも大丈夫じゃないと思う。はっきり言って少しも頼りにならないと思う。そんなことは、彼女だってきっとよくわかってる。それでも、不安と恐怖でたまらなくて、一人で立ち向かう勇気が出なくて、それで私のところまで来たのなら、私にはこれしかできない。こんな何の根拠もない自信しか、分けてあげられない。
レジーナはじっと私を見て、やがて「うん」と頷いた。
私は黙って立ち上がって、レジーナに手を差し出す。レジーナは差し出した手をギュッと握り返してくれた。
「……ありがとう。不思議ね、エリィがいると、勇気が湧いてくるわ」
レジーナが立ち上がる。その顔は、無理して笑ってるみたいに見えた。




