これくらいは想定内
「んっふふふふっ」
「もう、笑いすぎです」
場所は変わって、中央校舎。一階の大広間に私たちは来ていた。何かと言えば、歓迎会兼親睦会だ。広間にはテーブルが分散して配置されていて、各々に立食パーティを楽しんでいる。
周囲を行き来する生徒たちばかりでなく、教師までが先ほどからチラチラと私の姿を見ていっていた。平民は目立つというだけでなく、早速私の自己紹介の話が広がっているからだろう。
「ふっ……あはは。ごめんなさい。だってまさか、教室の真ん中で宣言するなんて」
レジーナがもう何度目かの感想を漏らす。
「…………私は、本気ですから」
このまま順当に行けば、私はリタと結婚させられるのだろう。けれど私は恋をしたのだ。叶えない道理などない。そしてそのためには、まず王子の視界に入らなければならない。何もせずに平民の小娘が運良く王族とお近づきになれるだなんてのは、御伽話だけだ。
「ええ、もちろん。わかってるわよ。エリィならきっと殿下のお心を射止められるわ」
「そう言ってくださるのはレジーナ様だけです……」
「あ、それ。その呼び方、やめて欲しいわ。敬称は外していいわよ。ここでは貴族も平民も平等。そうでしょう?」
「え……で、ですが……そんなの、建前でしょう……」
「使える建前は利用すべきよ」
そう悪戯っぽく笑うレジーナに、こくりと頷く。
「わかりました…………レジーナ」
「うん。よくできました」
ふふっと笑う。その時、にわかに広間がざわついた。あちこちで女生徒が色めき立つ。上級生が来たのだ。さらに言うなら、殿下たちご一行が来た。
「私も行ってきます」
「うん、いってらっしゃい」
レジーナに見送られて一歩を踏み出した。女生徒が群がるであろう殿下のもとへ。
☆☆☆☆☆
ルキウスのもとへ向かうエリンを見送ったレジーナは、口元に優しい笑みを滲ませて呟いた。
「でも……側室はいただけないわね。貴女なら、正室になれるもの」
つまりは、王妃に。レジーナは確信に満ちた微笑で人波の向こうへ消えていくエリンを見送るのだった。
☆☆☆☆☆
私が殿下のもとへ行くとそこにはすでに人だかりができていた。しかし皆遠巻きに眺めるばかりで話しかけようとはしない。というより、話しかけられないのだろう。身分が下の者から大した用もなく発言するのはマナー違反だ。私もまた遠巻きに様子を窺うしかできない。
今朝見た時と変わらず、美しい金の髪をした殿下の周囲には、よく見れば今朝も見かけた護衛のような男が三人ついていた。二人は今朝話した赤髪体育会系と薄い緑髪の眼鏡。あと一人は朝は見なかった……いや、いたかな。いたかもしれない。ただ殿下が眩し過ぎて眼中に入らなかっただけで。ともかく、残り一人は紺色の髪をした、なんだか根暗そうな男だった。さらりとした長い前髪に隠れた瞳はどこを見ているのかよくわからないが、これはこれでミステリアスな美形だ。
「殿下。お久しぶりにございます」
そう声がした方を見ると、一人の下級生が進み出たところだった。優雅な所作で頭を下げた、おそらくは高位の貴族。それなりに親しい仲であれば話しかけても失礼にならない。全員が同じ制服姿だというのに、不思議とそこに美しいドレスが見えた気がした。
「ああ、久しいな。入学おめでとう。歓迎するよ、エレノア」
優雅に微笑む顔が美しい。良いものを見せてくれてありがとう、とエレノアには是非とも感謝を伝えたい。
「ありがとうございます。光栄ですわ」
胸に片手を添えて、小首を傾げるように礼を言う彼女は、一言で言ってとても美しい。薄い茶髪は腰に届くほどに長い。長い手足に小さな顔、殿下の周りにはあのレベルの美人がそれこそ星の数ほどいるのだろう。
「……ここにいる皆も歓迎する。ここでは身分の差はない。何かわからないことがあれば、先輩として頼って貰えればと思う」
その場にいる皆に殿下がそう告げる。これで、一応は許可が下りたわけだ。
「……そ、その! 殿下、お会いできて嬉しいですわ!」
そう進み出た一人を皮切りに、私も私もと他も追随する。そしてそれを護衛らしき三人がいなしていた。殿下は三人の美男子に守られながら笑顔で応対する。実に絵になる光景だ。
しかしそれも長くは続かず、間もなく第三の勢力が現れた。すなわち、殿下と同学年の女生徒たちである。
「新入生の皆さま、歓迎いたしますわ。ですが……あまり殿下にばかり頼ってはいけませんよ」
優雅に扇子を仰ぎつつ登場したのはドリルのようにカールした金髪を垂らした女性。濃いめの化粧もしつこすぎず、真っ赤な口紅がよく映える。そんな彼女の言葉は、口調こそ優しげだが目が笑っていない。
「殿下はとても頼りになるお方ですから、仕方ありませんわ」
「そうですわね。殿下はお優しいですから」
「えぇ、本当に。ですが、そのように取り合うなど……はしたないですわ」
一歩遅れて続く女生徒方もやはり批判的な言葉を口にする。新入生の大半はそれに萎縮するように距離をとった。まぁ、はしたないとは思う。他の子を押し退けたりしている子もいたし。
残ったのは元より身分の高い数人だけだ。踏んだ場数が違うのか、双方ともに譲らぬ構えで殿下を挟んで向き合う。
「そう言うな。頼られるのは嬉しいよ」
と、殿下が言えば先輩方が即座に褒め称える。
「さすが殿下はお優しいですわね」
「本当に慈悲深くていらっしゃいますわ。このような場でもなければお近付きになれない方も多いですもの」
「ですが、殿下にばかり負担をかけるわけには参りません。私にも遠慮なく頼ってくださいね?」
対する新入生も負けてはいない。
「頼りにしておりますわ、キャサリン様」
「本日はご歓迎くださりありがとうございます」
「お優しい先輩方がいらっしゃって安心いたしました」
どうやら先輩の代表格らしい金髪カールはキャサリンというらしい。静かに火花を散らす彼女らを、護衛三人が呆れ顔で眺め、殿下もまた表情の読めない微笑で静観していた。
「そういえば殿下、今日自己紹介で面白いことを言っていた子がいましたのよ」
そう、おもむろに声を上げたのは新入生の一人だった。見覚えがある子だ。クラスメイトだろう。周りの子たちもクスクスと忍び笑いを漏らす。
「へえ」
興味なさげに相槌を打つ殿下に、興味を引こうとさらに新入生たちは言葉を重ねる。
「私も聞きたかったですわ」
「えぇ、本当に聞かせて差し上げたかったですわ……っふ、ふふっ……」
「いけませんわ……っふ、笑っては……」
「何を仰ったの? 私も気になりますわ」
その姿に先輩方も興味を引かれた様子だ。同じく遠巻きに見ている生徒の視線がチラチラと私に集まる。護衛三人もまた、興味があるかは微妙だが、話題を振った女生徒に視線を投げていた。
「それがですね……」
ここだ。このタイミングを待っていた。自己紹介であれだけ目立ったのだ。噂話と恋の話が好きな女の子たちの話題に上がらないわけがない。まして、殿下の気を引く話題を出そうと思えばそれが話に上るのは必然。
「殿下の側室になりたい、と私が申し上げたのですわ」
凛と背筋を伸ばして、堂々とした足取りで進み出る。全員の視線が、一斉に私に集まった。緊張で心臓がうるさい。言葉遣いも、所作も、この日のために覚えてきた。街中で時折見かける貴族の様子を観察し、レジーナにも見てもらった。
最初に声を発したのは、他ならぬ殿下だった。
「……っふ。側室でいいのか?」
「殿下には既に素晴らしいご婚約者様がいらっしゃるではありませんか」
「ああ、そうだな。だが……あいにくと側室を持つ気はないんだ」
これは効いた。告白される前から振られたというか、ここまでの努力を他ならぬ本人に一蹴されたような。しかし、ここでめげるわけにはいかない。これくらいは想定内だ。はっきり言われると少しだけショックなだけだ。
「……でしたら私が、その気にして差し上げますわ。申し遅れました。私、エリンと申します。以後、お見知りおきいただけましたら幸いでございますわ」




