魅了魔法
長期戦になるのでは、と危惧したが、幸いなことにシンはすぐに見つかった。というよりシンは私たちを待っていたようだった。
その姿を見つけるや否やフィリップはつかつかと近づいていって襟首を掴み上げる。
「ジーナに何を言った?」
詰め寄られたシンは動じることなく、降参でもするように両手を上げる。
「落ち着け……。俺は魔力特性を見て、それを伝えただけだ」
「…………魅了の力がある、って?」
「えっ」
俗に言う魅了魔法……そんなものがあるのか、と考えていたらシン先生が同じことを言った。
「魅了魔法なんて存在しない……だろ?」
「それは今までの話、でしょ?」
「……個人情報だ。黙秘する。本人に聞け。それとも……本人が話さないことを、お前は俺の口から聞きたいのか?」
そう言われると、フィリップはあっさりと手を離した。
「そうだね。義兄さんは話さない。わざわざそれを言うために待ってたわけ?」
「お前に連れ回されるエリィが気の毒だからな」
「彼女を連れて来るって確信でもあったの?」
「ああ」
シン先生とフィリップが話しているところは初めて見たけれど、意外と関係は悪くないらしい。フィリップも普通に兄と呼んでいるし、シンも手のかかる弟でも相手にしてるように見える。
「…………帰るよ」
フィリップが踵を返そうとすると、シンが私とフィリップの間に割り込むように移動してきた。
「一人で帰れ。エリィ、会ったついでだ。魔力特性見てやるよ」
「え? で、でも」
「いいよ。行ってくれば」
フィリップはそう言うと、私には目もくれずにさっさと一人で行ってしまった。
「ここじゃなんだ。場所を変えよう」
そう言って返事も聞かずに歩き出してしまう。慌てて追いついて声をかけた。
「フィリップ様と、親しいんだね。いつ頃から知り合いなの?」
「三年前……くらいだな。親しいってほどでもないが」
あれ、意外と最近。
「義理の兄弟、って、もうちょっとギクシャクするのかと思ってた」
「この歳で別にそんなことはねえよ。向こうも俺には無頓着だしな。年齢的に俺が上だからって継承権が変わるわけでもない」
「……そっか」
中央校舎に向かって歩きながら、シンは口を開く。
「俺がグレイス家の養子になったのは、後ろ盾が必要だったからだ。宮廷魔道士に、ただの平民がってのは難しかった。そこに、グレイス公爵が声をかけてくれたんだ。貴族の身分があった方が何かと立ち回りやすいし、俺としても身分が高ければ言葉遣いを直さなくていいのは楽だしな」
「言葉遣い……そうなの?」
言われてみれば、貴族らしい口調ではない。でも、身分関係あるんだ。
「あのな……俺が平民だったら、生徒全員に丁寧に接しないとならないだろ」
「あ、ああ……! そっか、そうだよね。お前呼ばわりとかできないよね」
「グレイス家の名前と、宮廷魔道士って身分があるから、この態度がギリギリ許されてるんだよ。ま……そのお陰で、縁談の話も後を経たないんだが」
「エレノア様だったっけ。他にも話があるの?」
「そりゃあな。養子とはいえ、俺はグレイス家の人間になった。俺と一緒になればグレイス公爵家との強固な繋がりができるのは間違いない」
「モテモテじゃん」
「ははっ、グレイスの家がな」
「……美人な人たちにモテて、嬉しくないの?」
「俺は好きな子一人にモテた方が嬉しいね」
でも普通は、そうやって言い寄って来た美女を好きになっちゃうものなんじゃないだろうか。
「シン先生、好きな人いるんだ」
「いや、特にいない」
「え? そういう流れだったじゃん!」
「どういう流れだよ。お前だって殿下以外に言い寄られても困るだろ」
「それは私が殿下のことが好きだからだもん」
恋なんて知らなかったら、きっと簡単に靡いてしまう気がした。そしたら、そもそもこの学園にだって来ていなかっただろうし、想像でしかないけれど。今だって、殿下のことを考えただけでドキドキしてしまうし、なんだかちょっと口もとがニヤけてしまう。
シンは中央校舎に入ると、適当な空き教室に私を誘った。放課後の校舎、誰もいない空き教室で二人きり、相手がルキウス殿下だったら良かったのに。
「ほら手出せ。さっさとやるぞ」
「……これだけなら別に、外でやっても良かったじゃん」
ぶつくさ言いながら、右手を差し出す。
「あのな。魔力特性ってのは結構な個人情報なんだよ。公の場で見るもんじゃないんだ。そこ座れ」
シンが適当な椅子を足で引き寄せる。足癖が悪い。私が座ると、シンは私の右手を取った。男の人の力、私より大きい手。骨ばった骨格。あの頃とは、やっぱり少し変わった。
「……これ、何の時間?」
特に何も起こらなくて尋ねると、シンは呆れたみたいにため息を吐いた。
「お前がこっちに来るだろ普通」
「え? こっちって」
「もういい。俺が行く」
言うが早いか、シンの魔力が私の中に侵入してきた。
「ッ……ひゃ!」
思わず反射的に身をすくめた。内側を舐められてるみたいな、ゾクゾクした変な感覚。レジーナの時と同じ感じなのに、何かが違う。何が違うと、上手くは言えないのだけど。
なんとか言語化できないかと考えていたら、シンが手を離した。
「終わりだ。これは……」
「な、なに?」
「お前も、精神感応系だな。感情に働きかけるような魔力だ」
「……お前も、ってことは、レジーナが魅了魔法っていうのは、そうなの?」
「…………」
しまった、という顔。だが、沈黙が雄弁に肯定している。
「私も、魅了なの?」
だとしたら、私は、殿下にそれを使うのだろうか。いや、使わない。使いたくない。シンはここから誤魔化すのは無理と悟ったか、諦めたようにため息を吐いた。
「はあ……違う。魅了じゃない。人を惹きつけるっていうんじゃない。感情の……そうだな、増幅、固定、定着……あるいは、植え付けることも、できるかもな」
「…………それってさ、もしかして、すごい?」
「ああ。精神に干渉するタイプの魔法陣は今のところ未開発だ。お前にしか使えない。ただ……お前の魔力は濃度も粘度も低かったからな。他人の感情簡単に書き換えるみたいなのはできないだろうな。先に言っておくが……使おうとするなよ」
「しないって。人の感情に干渉するなんて、そんなこと」
「違う。他人もそうだが、自分にだ。お前の力は、お前自身の心の痛みさえ消せるかもしれない。自分の気持ちを無視するような魔法、使うもんじゃない」
その言葉にハッとした。自分の感情を意のままに操作できたら。
「わかった……使わない」
悲しみも、苦しみも、もう無縁になるのかもしれない。この恋慕さえも消してしまえるのかもしれない。ただ幸せだけを、感じられるようになったら。それは空恐ろしくて、同時に魅力的でもあって、これからずっと……苦しみから逃れたくなるたびに、この力の欲求に抗わないといけないのだと悟った。
「そうしてくれ。ま、使い方もわからないだろうけどな」
「あはは、それはそうかも」
「あと、言っておくがレジーナの魔力特性の話も人にするなよ。まだ学園にも報告してない個人情報なんだからな」
「うん。わかった」
「よし。じゃあ、また明日な」
「ッ……うん! また明日!」
シンが教室を出て行って、私も続いて教室を出る。そういえば、フィリップとレジーナはどうしただろう。早く戻ろうと思って足早に中央校舎を出たところで、物陰から人が飛び出して来た。
「エリィ!」
「ッな、だっ……レジーナ!?︎」
飛びかからんばかりの勢いで駆け寄って来て、私の背後に隠れたレジーナは周囲を気にしながら早口で話す。
「お願い、匿って欲しいの。フィルが来てしまうわ……!」