すごい才能なんて、たまたま偶然持っているはずもない
一度教室に戻って弁当箱を置いてから、レジーナと二人で演習場へと向かう。昨日と同じ道を通って中央校舎の裏へまわると、そこにはもうクラスの半数くらいの人が集まっていた。賑々しく談笑している様子も上品だ。さすが貴族。だが、その視線が地面の方に向いているのにふと気がついた。
「足元に何かあるのでしょうか?」
「ああ、きっと魔法陣だと思うわ」
「魔法陣……」
私も見てみたい、と胸が疼く。実のところ、本物の魔法陣というものは見たことがない。昨日、魔道具開発部に行った時にそれっぽいのが描かれた紙切れを見た気もするが、殿下を見るのに忙しくて、あまりじっくりと見られなかった。それに教本にも、サンプルは載っていたが、実際に発動するような魔法陣ではなかった。
集団に近づくと、私とレジーナに気がついたクラスメイトがさっと道を開ける。それによって、地面に描かれた魔法陣がよく見えた。半径が二メートルもあろうかという巨大な円形の魔法陣だ。円の中で複雑な紋様が蛇みたいにのたくっている。
魔法陣を眺める私たちを周囲が遠巻きに見守る中、不意に声をかけてきた女生徒がいた。
「グレイス夫人、ごきげんよう。ご昼食はどちらで召し上がられたのですか? ご一緒したかったです」
朝もレジーナに声をかけていた子だ。長い銀の髪を後ろで一つにまとめて三つ編みにしている、なんだか幻想的で綺麗な子。名前は忘れたけど。それにしても銀髪は珍しい気がする。クラスにも彼女一人しかいない。
「夫に呼ばれておりましたの。今後も親しい間柄の者だけで昼食は取るつもりで……ごめんなさい」
朝と同じで、レジーナはやはり突き放すようなことを笑顔で言う。だが、女生徒には少しも応えた様子がなく、貼り付けたような微笑でさらに尋ねてきた。
「それはつまり、エリンさんも親しい間柄、ということでしょうか?」
名前覚えられてた。私は覚えてないのに。なんか申し訳ないな……。
「ええ。もちろんですわ」
レジーナが即答すると、彼女は僅かに驚いたような表情を見せた。だが、すぐにもとの微笑に戻る。なんだかほとんど表情の変わらない人だ。
「そうですか……こう言ってはなんですが、彼女は平民でしょう? グレイス次期公爵夫人であられるレジーナ様が、そのように親しくされる身分の方とは思えないのですが、彼女にはそれだけの何かがあるのですか?」
そんなものない、と思ったのだが、レジーナはよくぞ聞いてくれたとばかりに胸を張って言った。
「ございますわ。彼女は既に国内だけでなく、近隣の諸外国の名家に至るまで、すべての貴族に精通しておりますのよ」
…………それだけ? と思ったのだが、目の前の女生徒は信じ難そうに眉根を寄せていた。それはもちろん頑張って覚えたし、当時は得意に思ったりもしたけれど。生憎と比較する相手がいなくて、果たして誇れるほどのことなのかよくわからなかったのだ。レジーナは褒めてくれたが、正直半分くらいはお世辞だと思っていた。
「すべて……ですか。それが事実なら、レジーナ様が目を止められるのも納得します。ですが、にわかには信じられません。国内だけで、男爵家まで含めれば一千家にも及ぶんですよ」
反応からして、結構誇れそうだ。
「エリィなら、貴女の姓を聞いただけで領地の場所から特産品、仲の良い貴族から領内の経営状況に至るまで答えられますわ」
勝手に喧嘩を売らないで欲しいのだが、幸いなことに相手が喧嘩を買う前に邪魔が入った。
「全員集まってるかー?」
シンが来たのだ。いつの間にか私の背後に現れていたシンが、指先をひょこひょこ動かして人数を数える。距離を取ろうと移動すると、自然と先ほどの女生徒に近づいた。
「後ほど、ゆっくりお話を聞かせていただきたいです」
耳元で囁かれて、思わず肩が跳ねた。まずい、名前を思い出さなくては。
「よし、揃ってるな。んじゃ、第一回魔道学の授業を始めよう」
そう言って、シンはおもむろに靴先で、タンと地面を、より正確に言うと地面に描かれた魔法陣の端を踏んだ。途端、ぶわっと地面に描かれていた魔法陣全体が光り輝く。
「きゃあっ」
「眩しっ……!」
光は一瞬で、思わず目を覆った生徒たちの前で弱まって消える。
「今日はこいつで、お前らの魔力測定をする。測るのは魔力濃度と魔力粘度だ。濃度が高いほど、今みたいな光の光量が強くなる。粘度が高いほど光の伝播が遅い。一応言っておくと、濃度が高いほど粘度も高くなる傾向にある。じゃあ、まずは……義妹殿からやってみるか?」
義妹殿、と呼ばれたレジーナは、一瞬驚いたようにびくりとしてから、ゆっくりと前に進み出た。それに対して、自然と私を含めた他の生徒たちは魔法陣から距離を取る。
「ここに立って、魔力を流せばよろしかったでしょうか?」
「ああ。やり方はわかるな?」
「もちろんですわ。お義兄様に教えていただきましたもの」
レジーナは軽く息を吐いて、集中するためか目を伏せる。レジーナの足元の魔法陣が眩い光を放った。だが、シンの時みたいに魔法陣全体ではない。光はレジーナの足元から、徐々に魔法陣の端に向けてじわじわと広がっていく。
「……さすが、フィリップ様が見初めただけのことはある方ですね」
先ほどの名前のわからない女生徒が隣で呟いた。どうやらこれは公爵家への嫁入りに納得するだけのものらしい。光の強さもシンの方が凄かった気がするが……いや、それはシンが凄まじいということなのでは……。
「よし。次」
測定はさくさくと進んでいった。粘度と濃度が比例関係にあるのはその通りらしく、弱い光が一瞬で魔法陣全体から出るか、あるいはレジーナのように強い光がゆっくり広がるかという生徒がほとんどだ。
でも、これだけ見てもシンのように強い光が一瞬で広がる人はもちろん、レジーナほど強い光を放てる者さえいない。本当にすごい人たちらしい。
「次。エリン嬢」
見惚れるみたいに眺めていたら、突然シンに名前を呼ばれてはっとする。そそくさと魔法陣の上に立って……固まった。さて、どうすればいいのだろう。
「ああ……レジーナ、手伝えるか?」
シンが察したようにレジーナに声をかける。
「はい。わかりましたわ」
レジーナが近づいてきて、戸惑う私の肩に手を置いた。
「え? えっと……!?︎」
驚いて思わず語尾が跳ねた。何かが、自分の中に入ってきた。どこか不快で、どこかくすぐったくて、なんとなくゾワゾワする。フィリップがレジーナにしていたことを思い出した。たぶん今、レジーナの魔力が私の中に流れ込んでいるのだ。
「できそうかしら?」
レジーナが手を離して、はたと我に返った。
「は、はい……たぶん」
自分の中に当たり前にあって、あまりに当たり前過ぎて意識したこともない何かが、実は自分の意思で動かせるのだと、気がついたとでも言おうか。わかってしまえばそれは、自分で自分の手足を動かすくらいに容易に、足の裏から、魔法陣へ。魔法陣の中を私の魔力が流れていくのが、感覚としてわかった。そして同時に、魔法陣が光を放つ……とても弱い光を。
「よし。次」
シン先生の声で慌てて魔力の放出を切り上げる。ふらふらと魔法陣の上から退いて。
「…………はあ」
なんかこう、全然パッとしなかった。魔力は一瞬で魔法陣の端まで届いて、けれど微弱な光。粘度が低くて濃度も低い。
「典型的な、ヘタれるタイプですね」
先ほどの銀髪の女生徒がまた近くに来ていた。彼女も先ほど測定していて、その光は私より強くて……粘度はたぶん同じくらい。上位互換、という言葉が頭に浮かんだ。
「仕方ないわ。濃度や粘度は生まれ持ったものだもの」
レジーナが慰めるように言う。やはり私は凡人……。そんなすごい才能なんて、たまたま偶然持っているはずもない。
「ありがとうございます」
「気落ちするほどのことではないと思います。魔力がまったくない方もいらっしゃいますから」
今度は銀髪の女生徒までもフォローするみたいに言う。というか、いい加減に名前……彼女も呼ばれたはずなのだが、ちゃんと聞いていなかった。
なんてことを考えている間に全員の魔力測定は完了した。