ただ手を重ねて体を寄せているだけなのに
「ジーナ、そんなことより早く食べよう」
フィリップが隣に座るようにとレジーナを手招く。そういえばここは空き教室だ。私たち以外には誰もいない。にも関わらず美味しそうな料理が湯気を立てていて、元より高価そうな机も椅子も相まってさながらレストランのようだ。レストランなんて行ったことないんだけど。
「ええ。エリィもどうぞ」
「いえ、私は」
「君の分はないよ」
答える前にフィリップが辛辣に言った。
「お弁当が……ありますので……」
レジーナが不思議そうにフィリップを見る。
「……お二人とも、何かあったのですか?」
「何もないよ」
フィリップが即答して、私を射殺さんばかりの目で見る。それは何かあったと言っているようなものなのでは、と思ったが、何も言うなという言外の圧を感じて私もシラを切ることにした。
「特に何も。レジーナと親しい私に妬いているのではないですか?」
冗談めかして言うと、フィリップの目元がぴくりと動く。レジーナもまた、否定できなさそうな顔で苦笑した。
「まさか……いくらフィルでも、そんなことはございませんよね……?」
「早く食べないと冷めるよ」
レジーナの言葉を無視してフィリップは食事を始める。レジーナもそれを見て隣に座って、私もまた近くにあったソファに腰掛けて、持ってきたお弁当を広げた。もう少し近くに引き寄せられれば良かったのだが、重量感ある革張りのソファに大きめのテーブルという貴族仕様、それに加えて床には赤の絨毯だ。おいそれとは動かせない。
「そういえば、そのお料理はどうされたのですか?」
私の問いをフィリップは綺麗に無視する。
「フィル、私も気になりますわ。ご用意いただけるとは聞いておりましたが、このような出来立てをいただけるなんて思いませんでした」
「学内にある食堂で提供されてる献立。それを平民を雇ってここまで運ばせた」
レジーナとはカフェに立ち寄っただけだが、それとは別に食堂も数ヶ所に点在していた。その中のどこかだろう。
「平民を雇って……? 生徒を、ということですの?」
「そう。向こうも部活動の活動費だとか、帰省するときの旅費だとかが必要みたいで。学内でできるアルバイトを探してたから僕が雇った。これから毎日この部屋にこの量の食事を運んでもらう。日給金貨一枚で」
「き、金貨一枚ですか!?︎」
思わず聞き返したら、うるさそうな目で一瞥された。やはり私の問いは無視される。昼休憩のせいぜい十数分を働いただけで金貨一枚は破格すぎる。肉体労働を丸一日して金貨一枚が相場だ。だが、驚いているのは私だけらしく、レジーナは平然としている。
「確かに割は良いと思いますが、驚くほどでしょうか?」
「僕らの口に入るものを運ぶんだ。その額に見合った責任がある。それに、毒を盛ろうって奴に買収されないとも限らない。こっちに従ってた方が得だと思ってもらわないと困る」
「なるほど……」
それにしてもめちゃくちゃ美味しい仕事だ。ちょっと羨ましい。月に金貨二十枚あれば、部活動の活動費にも足りるだろう。
その後、冷めていてもなお美味しいお弁当に舌鼓を打って、食べ終えた頃には昼休憩が半分終わっていた。
「ジーナ、午後は教室?」
こちらも優雅に食事を終えたフィリップがレジーナに尋ねる。
「あ、いえ。演習場とシン先生が仰ってましたわ」
「ああ……そっか、魔道学か。ジーナは魔力測定したことなかったよね?」
「一応、簡易的なもので濃度と粘度は測りましたが……魔力量はございませんわ」
「なら僕が測るよ。手を出して」
フィリップがレジーナに手を差し出して、レジーナがおずおずと手を重ねる。それを私はドキドキしながら見守る。魔法と言われても、私のような平民には縁遠いものだ。それを当たり前に持っていて、当たり前に語っていることに、ドキドキした。
私からすれば二人は手を触れ合わせているだけ。なのに、レジーナが唐突にびくっと身を竦ませた。
「……んっ、くすぐったいですわ」
「すぐに済むよ」
フィリップが身を乗り出すようにしてレジーナを抱き寄せる。
「……んっ、あっ。身体の、中が……ぞくぞくして……」
なんとなく目を逸らした。なんだろう、ただ手を重ねて体を寄せているだけなのに、なんだかすごくいかがわしいものを見ているような気分になる。
「終わり。二等級ってところかな」
フィリップがそう言って、レジーナの手を離す。対するレジーナは顔を真っ赤にして恥じらっていた。いったい何が起きたというのか。
「あ、ありがとうございます」
「かなり濃度と粘度が高い。発動に時間はかかっても高威力の魔法が使えるタイプだ。後でジーナにもやり方を教えるね」
「……あの、二等級って上の方ですよね。すごいんですか?」
私の問いにフィリップは呆れた顔をした。平民はそんなことも知らないのか、とでも言いたげな目付きだ。無知なのはその通りで、実のところ粘度とか濃度とかの概念も昨日教本を読んで知ったくらいである。入学試験に魔道学は含まれないのだ。
そんなざっくりした知識によると、粘度は発動速度に影響し、濃度は威力に影響するらしい。
「……そうだね。魔力量を測る基準は五等級から一等級、それに特級。二等級は優れている方ではあるけど、貴族の中では珍しくない」
答えてくれた。あまりにも無知だったからだろうか。
「けど、魔法って解明されたの割と最近なんですよね。なのに、貴族の方が強い力を持ってるんですか?」
「それは知ってるんだ。それは、貴族の祖先はもともと地域の有力者だったから。全ての家がそうではないけど、魔法陣なしで効力を発揮できる魔力量と優れた魔力特性を持った人が権力を持つことになるのは当然でしょ」
なるほど。たしかに、未来予知とか天候操作みたいなことができれば偉くなれそうな気がする。そんな魔法があるのかは知らないけど。ちなみに魔力特性というのは、魔力の適正みたいなものらしい。必ずしもあるわけではないが、それがあると魔法陣なしで魔法を使える……いわゆる超能力的な使い方ができるのだとか。
「あ、あの……私の魔力量も測っていただけたりは……」
好奇心に負けて言ってみると、フィリップは呆れたというより、ドン引きしたような顔をした。レジーナまでちょっと驚いた顔をしている。
「君は知らないのかもしれないけど、魔力量を測るっていうのは、他人の魔力に自分の中を探らせるってことなの。恋人とか、せめて家族や友人に頼むものだよ」
「ええ……エリィは、殿下に頼むのが良いかと思うわ」
殿下に……。ルキウス殿下に手を取られて、自分の中を……想像してブワワっと頬が熱くなった。恥ずかしいというか、畏れ多すぎる。
「……わかりました。すみません」
「魔力量はともかく、粘度と濃度については今日測定すると思うよ。それに義兄さんなら、魔力特性も」
フィリップが言いかけたところで、遠慮がちに教室の扉が叩かれた。一斉に視線を向けた前で、そろそろと扉が開き、顔を覗かせた男子生徒が視線に驚いたようにびくっとする。
「あ、えー……と、食器を下げに来ました」
「ああ、もうそんな時間か。行こう、ジーナ。じゃあ、後はよろしく」
「はい!」
フィリップたちが出ていくのに、私も慌てて空になった弁当箱を片付けるとそそくさと後に続く。私も手伝うべきでは……いや、でもあの人は仕事をしているわけで、私がやるとなるとあの人がクビになってしまうのでは……などと考えている間にフィリップとは解散する流れになっていた。