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虫に向ける眼差しの方がまだ優しい

 私が口をつぐむと、フィリップは目付きを鋭くしたまま、私を無視して食堂を出て行った。それからすぐ、ほとんど入れ替わるみたいにロレンスが入って来た。眼鏡の奥の、深い緑色の瞳が私を見る。


「今、フィリップが険しい顔して出て来たけど、何かあった?」

「あ、その……」


 答えようとして、迷った。こういう話を、あまり他人に漏らしていいものだろうか。そんな私の迷いを敏感に察知したのか、ロレンスは適当な椅子を引いて座ると口を開いた。


「口外はしないよ。それに……フィリップとの付き合いは、僕の方が長い」


 チラリと私に向けられた目は、いいから話せ、と語っていた。口調も物腰も柔らかい人だが、これでも内には色々と飼っているのかもしれない。


「……フィリップ様が、レジーナに好かれていないのではないかと悩んでおられて。その……彼女は、私といる時の方が、楽しそうだと」


 私の言葉が意外だったのか、ロレンスは目を瞬くと、おかしそうに笑った。


「ははは、なるほどね……そういう話か。エリンちゃん、あまりフィリップを責めないであげて欲しいな。あいつは本気でわからないんだよ。レジーナさんに会うまでのあいつは、なんというか本当に……鉄仮面というか、表情筋がまったく動かない奴だった。あいつが初めて心を動かした相手がレジーナさんなんだ」

「ええと……大好きな相手、ってことですか?」


 そんなことは見てればわかるけど。


「そうだけど、それだけじゃない。フィリップには、友人もいなかった。僕と一緒にいることは多かったけれどね。個人的に雑談をしたり、面白いことで笑ったり、僕に興味を持ったり、そういうことは一切なかった。だから……たぶん、友人に向ける感情と恋人に向ける感情の違いが、よくわかってないんだよ。フィリップは、好意ってのを一つしか知らないから」

「そんな、こと……あるんですか? 友達はいなかったとしても、家族とか、憧れる相手とか」


 誰にも好意を抱かないなんて、そんなこと。ロレンスは、ふと寂しげな顔をして、すぐに真顔に戻った。


「たぶん……フィリップにとっては、等しく他人なんだ」

「それは……なんというか、寂しい、ですね」

「ははは、エリンちゃんからすればそうかもね。でも……僕は正直、羨ましいとも思うよ」

「え?」

「それじゃ、僕はもう行くよ。フィリップのことが気になって来ただけだしね」


 言葉の意図は気になったが、私がそれを聞く前にロレンスはさっさと出て行ってしまった。


「……私も、部屋に戻ろ」


 目指すと決めたからには、勉強をしなければならないし。それに夕飯までもまだ時間がある。

 その日の夕飯には六人全員が揃っていて、タキが久しぶりに腕を奮った絶品のいちごタルトが振る舞われた。

 翌日から、早速授業が始まった。

 必修は五科目。シンが教える魔道学に始まり、他に史学・語学・生物学・算術がある。試験は年に三回。加えて選択が三科目。魔道学・剣術・工学の三つでこちらも試験は同じく年三回。卒業要件は、必修五科目の試験にすべて合格することと、選択三科目いずれかの試験に年三回合格することだ。魔道学が必修と選択の両方にあるのは、筆記と実技の違いらしい。選択の方はすべて実技なのだという。

 そんな説明を担任のシン先生はツラツラと述べる。今日も相変わらずぼさぼさの黒髪に着崩したシャツの出立ちだ。


「……ま、概要はこんなとこだな。選択は全部受けても構わない。あと卒業要件はあくまで試験の合格だ。出席点はないから合格できるなら好きなだけサボっていい。質問はあるか?」


 一瞬の静寂の後で、一番に手を挙げたのは私だった。目線で話すように促されて口を開く。


「その年三回の試験というのは、具体的にはいつでしょうか? 上位に入れば成績優秀者として特典があると聞きました」


 私の発言に教室で忍び笑いが起きる。平民が成績優秀者になれるわけないじゃん、という囁きが聞こえた。


「へえ、耳が早いな。三度の試験は五月と九月と翌年一月だ。五月には前年度の総復習みたいな試験をやるんだが、一年については実力試験だ。ここで不合格になる奴はそういないから安心していい。で、成績優秀者だったな。試験の結果、学年の上位五名になった者には特典が三つある。まず、所属する寮への人材や食材の優先配分。次に、部活動をはじめとした学内の活動への資金援助。最後に、特別講義の受講資格だ」


 食材の優先配分……タキが融通して貰えると言っていたのはもしかしたら殿下が成績優秀者だからなのかもしれない。だって殿下なら絶対一番だと思うし。


「……特別講義とはなんですか?」


 クラスメイトの誰かがそう声を上げた。


「この学園では国内屈指の専門家が教師を務めてる。好きな教員に個別指導をして貰えるってことだ。例えば、俺なら高度な魔法を教えてやれる。副騎士団長を指名して剣を教わることもできる。王宮付きの薬師に毒薬の作り方を聞いたり……って感じの個別講義を一つだけ受けられるってわけだ。エリン嬢、他に質問は?」

「大丈夫です。ありがとうございます」

「ああ、そうだ。言い忘れた。午後の魔道学は演習場に集合だ。中央校舎の裏手にある。選択の方だが、初回だけは全員参加だから遅れんなよ」


 そういえば昨日、中央校舎の裏手でそれっぽい場所を見た。あそこが演習場だろう。

 それから間もなく、午前授業終了の鐘がなった。昼休憩にクラスメイトが散っていく中、私はごそごそと鞄を取り出す。タキにお願いして弁当を作って貰ったのだ。どんな献立かなあ、とわくわくしながら取り出そうとしたところで背後からレジーナに声をかけられた。


「エリィ。昼食をご一緒しない?」

「えっと、私はお弁当で……」

「大丈夫よ、持ってくればいいわ。フィルに誘われているの。もしかしたら殿下もいらっしゃるかも」

「行きます!」


 例えお昼が食べられなくとも、そっちの方が優先だ!

 ……という心構えで行ったのだが、レジーナに連れられて行った空き教室にはフィリップしか……いや、フィリップと美味しそうな料理しかなかった。そしてフィリップは私を見て、露骨に嫌そうな顔をした。虫に向ける眼差しの方がまだ優しいんじゃないかと思うくらい嫌そうな眼差しだった。ちょっとさすがに酷くないだろうか。


「なんでいるの?」

「私がお誘いいたしましたわ。エリィを教室に残して行けませんもの」

「えっ、そのようなお気遣いは」

「それくらいはさせてちょうだい。グレイス家の人間と親しくしていて損はないわ」


 それは本当にその通りで押し黙る。初日にアレだけ悪目立ちしたのに、私が露骨な嫌がらせなどを受けていないのはレジーナが一緒にいてくれるから……かもしれない。


「……ジーナは随分その子を贔屓にしてるね」


 フィリップがじとっとした目を私に向けてくる。こんなことで嫉妬しないで欲しのだが、それはそれとしてレジーナが私を贔屓にしてるというのは私自身も感じているところだった。教室でもレジーナが他の子に声をかけるところは見ないし、彼女が声をかけられてもやんわりといなしている。まるで他人との関わりを避けているようでもあり、尚のこと私と親しくしてくれているのが不思議だ。

 なんて答えるのだろう、とレジーナの表情を窺うと、レジーナは柔らかく微笑んでいた。


「……エリィは、特別ですもの」


 しんみりと噛み締めるみたいにそう呟く。大変に嬉しいのだが、今はまずい。殺気を感じてフィリップの方を見ると、苦虫でも噛み潰したみたいな顔をしていた。


「と、友達として! ですよね、レジーナ!」

「え? ええ、それはもちろんだけど……私は、ただの友達以上だと思ってるわ」


 びきっとフィリップの額に青筋が浮かぶ。だが、レジーナがフィリップの方を見ると、その顔は一瞬で柔らかくなった。あまりの変わり身の速さに二度見してしまう。

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