それでも確かな情が滲んでいる
と、いうわけで……私はタキに厨房を案内してもらうことにした。
ここの厨房はタキ一人で管理しているらしい。洗い物や食事を運んだりといったことは手の空いた使用人が手伝ってくれたりもするらしいが、調理は完全にタキ一人だという。
棚にずらりと並んだ見たことも聞いたこともない調味料の数々に私は感嘆のため息を吐いた。
「すごい……調味料がたくさん……」
「毎月、申請した量だけ貰えるんです。高価なものとかも、殿下がいらっしゃるからか結構融通していただけて」
「わあ! お砂糖がこんなに……ね、もしかしてお菓子とかも作れるの?」
「はい。デザートもボクが作りますから、一応。ただ、皆さんあまり甘い物は召し上がらないので……」
「そうなのかあ、食べてみたいなあ……」
「でしたら、今日のお夕飯にはご用意いたしますね!」
「本当!? 楽しみ……!」
と、私がはしゃいだ声を上げた時だった。ガチャリと音がして使用人室に通じる方の扉が開く。入って来たのはアンナだ。今日も黒髪を清潔感あるお団子にまとめてメイド服を着ている。
「あ、おはようございます!」
「おはようございます……」
明るく挨拶したタキに引き換え、私は少し遠慮がちに挨拶する。自分より身分の高いはずの人間が、しかし私よりも働いているという状況がどうにも慣れず、後ろめたさを感じてしまう。
「おはようございます。タキ、今日も美味しかったです。ごちそうさまでした」
そう言うアンナの手元には食べ終えた食器を乗せた盆があった。
「ありがとうございます。アンナさん」
「いえ、こちらこそ。ところで……なぜあなたがこちらに?」
アンナの淡々とした言葉と視線が私に突き刺さる。別に責めているわけではないのだろうが、なんとなく居心地の悪さを感じて萎縮してしまう。
「え、えと……タキに、厨房を紹介していただいておりました。その、お邪魔でしたら出て行きますので……」
「そうですか。別に邪魔ではありません。では、私はこれで」
用は済んだとばかりにアンナは盆を置くとさっさと厨房を出て行ってしまった。
「あ、食器。私が洗うね!」
役に立つチャンス! と思ったのだが、さりげなくタキが遮るように私の前に立った。
「大丈夫です。今日の当番はキエラさんなので」
「そっ……か。……なら、私はもう行くね。ありがとうタキ」
「いえ、とんでもないです! お疲れ様です」
「うん……お疲れ様」
疲れてなどいない。だって私は、何もしていないのだから。食堂を通って広間に出るとアンナが掃除をしていた。そのまま素通りするのも憚られて声をかける。
「アンナさん……私も何かお手伝いしましょうか? その……やることもないので……」
「あなたに手伝わせては、私が叱られてしまいます」
「……そうですか」
やっぱりダメか……。それにしてもやることがないというのは落ち着かない。これまで余暇にやることといえば勉強か、それでなければ母の手仕事を手伝っていた。明日からの予習でもしていようか……。
「何をしているんだ?」
階上から声をかけられて弾かれたように振り返った。ちょうど階段を降りてきたのはルキウス殿下だ。
「ちょうど部屋に戻ろうかと思っていたところですわ。殿下はお出かけですか?」
「あぁ、学生会の仕事があってな」
「がくせーかい……ですか?」
耳慣れない言葉におうむ返しに聞き返す。
「学園内のイベントの企画・運営をする学生組織だ。学園側がやればいいんだが、人手が足りないからな。学生に丸投げだ。それもやりたがる人間がいないから結局僕がやることになる」
後半が愚痴っぽくなっていることから不満が窺える。
「……そうなのですね。面白そうなのに……私にもお手伝いできることがあれば仰ってください」
「何も面白いことなどない。成功させたところで何もなく、かといってつまらないものをやれば責められるのだからな」
「裏方なのですね。殿下でも裏方になることがあるなんて、意外ですわ」
「……と、いうわけで僕はもう行くが、興味があるなら一緒に来るか?」
行きたい! と思ったが……。
「申し訳ございません。とても行きたいのですが、タキにお昼を頼んでしまったので……」
内心歯噛みするが、殿下は残念そうにする素振りもなく、淡々と答えた。
「そうか。ではな」
「はい」
「「いってらっしゃいませ」」
アンナとハモった。
「ああ、行ってくる」
「……どうして、行かれなかったのですか?」
パタンと扉が閉まるまで殿下を見送ったところで、アンナが尋ねた。
「え? 言った通りです。お昼を頼んでしまったので」
「それくらい、断れば良いでしょう」
「もう準備してくれているかもしれないじゃないですか」
それに、タキが落胆するかもと思うと気が引ける。私としては至極当然のことを答えたつもりだったのだが、アンナは妙な顔をしていた。
「まぁ……あなたが構わなければ良いのですが……」
「ええ?」
話は終わりとばかりにさっさと仕事に戻るアンナに、それ以上声をかけることは憚られて、私はいまひとつ釈然としないまま部屋に戻ったのだった。
とはいえ、部屋に戻ったところでやることは何もない。相変わらずだだっ広くて殺風景な部屋だ。大きな机と立派な寝台もこの広い部屋では小さく見える。机の上に積み上げられた教本や学内の紹介冊子を手持ち無沙汰に手に取った。
「そういえば、学生会……って言ってたっけ」
その辺りは関係ないからとあまり真面目に読んでいなかった。課外活動系の情報がまとめられた一冊を取り出すと、私は寝台にごろりと横になった。スプリングの効いた寝台の寝心地は最高に贅沢だ。
ページを捲ると、昨日は読み飛ばした「学生会」の文字が目に飛び込んでくる。書いてあるのは殿下から聞いたことと大差ない。
「聖夜祭、魔道大会……対抗戦……? ふうん、色々あるんだなぁ……」
正直なところ、イベントごとにあまり興味はない。殿下のことだけ考えてここまで来たから。ただ、殿下がいるのであれば学生会には入りたいし、そうなればこういうものとも無縁ではいられないだろう。
「こっちのは……部活動……?」
昨日もチラリと見た。この冊子のメインコンテンツ。有志のグループ活動みたいなものらしい。さすが、貴族は暇を持て余しているということか。内容は剣技などの運動系、魔道系から茶会や刺繍といったものまで多岐にわたる。
ざっと流し見て、パタンと閉じた。こういう活動をするにもお金がかかる。学業と違って部活動は娯楽の類だから活動費は当然ながら自費だ。だから、私のような平民には無縁のもの。
冊子には部活動の紹介イベントがあると書いてあった。学生会についてもそこで色々と知れるかもしれない。
その後も特にやることはなく、暇潰しに教本を読み耽っていたら昼の鐘がなった。
もうそんな時間か、と起き上がって、軽く身嗜みを整えてから部屋を出ると、ちょうど隣の部屋からフィリップも出てきたところだった。
「あ、こんにちは」
「……ぅん」
ものすごく眠たそうに返事とも唸りともつかない声で応えたフィリップは、私の前を通り過ぎてさっさと階段を降りていく。寝起きなのだろうか……。いや、でももう昼だしさすがに……。
後を追って階段を降りると、こちらも眠そうなレジーナがフィリップに抱きすくめられていた。
「あ、おはよう……エリィ」
「おはようございます、レジーナ」
抱きすくめられたままフィリップの肩越しに挨拶したレジーナに、内心、おはようって時間か……? とは思ったが同じように挨拶を返す。
「フィル、もうわかりましたから、離してください」
「……ぐぅ」
「フィル! ちょっと、寝な……!」
「っと、危ない」
フィリップにのしかかられてバランスを崩したレジーナを咄嗟に支えに駆け寄ってきたのはロレンスだ。
「あ、ありがとうございます」
「ロレンス、ジーナに触らないで」
「お前が寝るからだろう」
目を覚ました途端にロレンスを睨み付けるフィリップにロレンスが呆れたように言う。
「フィル。いい加減に離してください」
「……わかった」
渋々ながらフィリップがレジーナから離れる。改めて見ても、やはりレジーナがフィリップのことを好いていないようには見えなかった。どこか呆れの混じる声には、それでも確かな情が滲んでいるように聞こえる。
ここまで読んでくださりありがとうございます!現時点で8万字ほど書いており、最終的に30万字くらい書けたらいいなと思っています。
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