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「いいんだ、タクト。無理をするな。目的は果たせる。私は大義のために死ねるなら本望だ。」
「じゃあどうして俺を向かわせているんだ!まだ希望を手放したくないってことだろ!」
返答はなかった。そうこうしているうちに、リリスの姿が見えてきた。
開けているからまだ距離はある。
そんなとき、上空に暗い影が見えた。
とてつもなく巨大で、はじめは雲だと思った。
けれどそんな考えを吹き飛ばすかのような咆哮があたりに響き渡った。
――龍だ。
氷龍カセルドラク。リリスによるとこの地に国ができるずっと昔からこの木も育たない極寒の山を住みかとし、ひとたび龍の庭に踏み入れば命をとられるとして人々に恐れられている。
震えあがり体が固まったが、幸い移動はリリスが代わりに担ってくれている。
「一応聞いておく。何をするつもりだ?」
彼女から着た返答によってはっとする。固まってる場合じゃない。俺がなんとかしないと。
「残っている魔力を全部俺に移して離れてくれ!さすがに魔力が空っぽなら狙われないはずだ!」
「しかし、移せる魔力をすべて移しても龍はおそらく私を狙うぞ。おそらく、魔法に使う分だけでなく肉体に宿る魔力が引き寄せてしまうみたいだ」
「うまくいくかはわからない、だけどやってみる!リリスがいうにはこの教科書のどっかに魔法があるんだろ!?俺が思う通りなら、できるはずだ」
そうこうするうちにリリスのもとへとたどり着いた。
「何をするかはわからないが、賭けてみるのも悪くない。頼んだぞ、私の勇者。」
リリスから大量の魔力が送られてきた。体に力がみなぎってくる感じだ。
「まかせてくれ。絶対に君を死なせない」
ふたたびリリスと別方向に飛び始める。龍が近づいたからか、あたりは吹雪に包まれた。
俺は教科書の23ページを開いた。
~「人間は考える葦である。たとえ全世界がそんな小さな物であるといえ、人間はまだ自然の中でもっともすぐれたものであるといえる。たとえ彼がそんなとても弱い物であるといえ、彼はそれでも考える葦である。」 - ブレーズ・パスカル、『パンセ』第6章~
想いが魔法になると言っていた。このパスカルの言葉は、人間は弱い存在だが、「考える」ことで自然を生き抜く力を得るということだ。
そして考えることができるという俺は、霊体ではあるが精霊などとは違う、れっきとした肉体をもった人間であると
想いは形になり、俺の肉体が頭から足の先まで実体として生成された。
「肉体を作ったのか!?いや、まさかタクト!囮になるつもりか!肉体をもってしまったお前をすぐにあちらの世界に戻すことはできない!霊体とはちがう、死んでしまうぞ!」
「大丈夫だ、俺にはリリスみたいに死ぬ覚悟なんてできないし、そのつもりもない。」
「龍が、向きをかえた。」
格好つけていったが、正直なんにも策はない。俺には何にも浮かばなかった。
何にもできない俺の代わりに、リリスが魔法で着々と俺を山頂へと運んでくれる。
この高さまで俺が来ているということは、少なくとも王女たちは峰を超えられただろうか。
リリスが越えられるまで時間を稼がなければ。
何か使えるものはないかと教科書に目を通すが焦ってしまい情報が頭に入らない。
つるっと手が滑り教科書を落とすが、地面に衝突したら謎の力で手元にかえってきた。こんなことにまでリリスは手をまわしていたみたいだ。もはや自分が情けなくなってくる。
と、もはや現実逃避し始めている自分がいた。もう無理なんだろうか。
何も努力せず、何も為せず、その場しのぎで生きてきた結果がこれだ。ある意味名誉の死かもしれない。
――グオオオオオ‼
あたりに龍の咆哮が響き渡った。
血の気が引く。ちゃんと囮にはなれたみたいだけど、やっぱ怖すぎるなあ。
その時、リリスによってかけられていたはずの飛行魔法がとぎれ、その場に降り立った。着地もゆっくりで、防寒用の魔法までかけてくれていたみたいで寒さもない。
「リリス。あったばかりで迷惑かもしれないけど、一目ぼれしました。俺は君のためにこの世界にやってきたんだ。」
テレパシーでそう伝えた。
返答がなかったので、ちゃんと伝わっているかわからない。伝わっているといいな。
あたりは吹雪で一面真っ白で何も見えないが、龍の気配は恐ろしいほどに感じた。一思いにやってくれ。
「――タクト。ありがとう。私は君を呼んで正解だった。」
テレパシーではなく、声だ。
「どうしてここに!?龍から逃げないと!」
「問題ない。それに君に貸したものを返してもらわないといけなくなってな。」
体の力ががくっとぬけた。そういうと俺がもっていた魔力をリリスが全て吸収したみたいだ。
「さあ、タクト。これがお前のくれた力だ」
吹雪がおさまり、ついに上空に龍の姿があらわになった。
リリスは杖を構えると、空中に文字が現れる。
"Ignis draconis, natura est. Natura et homines concordant, se commiscent. Hominibus timorem dracones habent, etiam carnes potentes magicas. Dracones homines non vincunt, necessitas et fata inevitabilia sunt. Sed homines suam vitam mutare possunt.
Dracones, iam pars sum tua, tu pars mea es.
Si me vorare velis, non resistam. Sed et ego te vorabo. Coniuncti sumus."
龍がリリスに突進する。リリスは逃げるどころか龍に向かって飛び出した。
一瞬だった。
龍は一口でリリスを食べてしまった。
「そんな・・・」
俺は体に力も入らない。龍は再び上空に戻り、旋回している。
地面にうずくまるだけの俺の小ささを強く感じた。
なんにもできなかった。
俺が囮にとは言ったけれど、覚悟は決まらず、おそらくそんな俺の代わりになってくれたのだろう。
「リリス・・・ごめん」
「謝ることはない。この通り無事だ」
「リリス!?」
声のした方を見上げると、そこには美しい角と翼、尾を持つ女性が立っていた。その姿はまるで幻想的でありながら、不思議な安らぎをもたらしてくれた。
その女性は、銀の髪を風になびかせ、水晶色の鱗に覆われた柔らかな肌を持っていた。その目は深い知恵と理解を湛え、強い意志を秘めているように見えた。その角は高くそびえ立ち、自然の中で生まれた偉大な力と誇りを象徴していた。
俺はただ、その美しさに見とれ、感動に打たれた。この龍の女性は、自然の一部として完璧に調和しており、その姿はまさに自然の神秘の一端を示しているように感じられた。
「龍と合体したんだ。すごいだろう」
驚きとともに、俺はリリスに見とれていた。リリスは微笑みながら、優しく頷いた。
「もう大丈夫。さあ、二人と合流しよう」とリリスが言った。
彼女の言葉に安心感が込められていた。俺は彼女の無事を実感し、心からの安堵を感じた。
そして、やはり俺は何もせず、彼女の魔法によって山を越えた。
リリスの飛行魔法によってその後は快適な空の旅となった。風音はするが結界によって守られ、寒さも感じず、呼吸も問題ない。荒涼とした高地を抜けると、標高が下がるしたがって木々が増えてきた。あまりにも高速で木々の間をすりぬけていくので、まるでジェットコースターにでも乗っているかのようだ。俺の腕の中にはリリスがいて、ちょうど俺の目線の位置に角がある。
バランスをとるように左右に傾くさまがかわいらしい。
「ということでな、タクトの持ってきた本の解析をしたら龍を取り込めることに気が付いたんだ!」
ということで、俺の腕の中にいる天才魔女、リリスは倫理の教科書を読み込んだ結果世界の真理に気が付き、龍と一体化することで問題を解決することにしたらしい。
本当に何を言っているのか全然わからなかった。龍は自然そのものであり、人は自然を利用するものである。龍は人を食らうが、人も龍を食らうことができる。だからそうしたのだと。
「俺、もっとがんばんないとなあ」
「私がこの結論に至れたのはタクトのおかげだ。本はもちろんだが、私は最後にあきらめてしまっていた。自分一人が犠牲になればいいと。だけどそれではだめだったんだ。タクトに恩を返せなくなってしまうからな。」
「恩?俺結局なんにもできてないよ」
「できていたさ。私は君のおかげで自分を大事にしないといけないと気づけたからな。私は今まで魔法を極めるために生きて、宮廷魔法使いになってからは王族のために尽くしてきた。そのうちに自分というものの価値を忘れてしまっていたんだろう。自分の命くらいならばがんばって拾わなくてもいいかと。だけど君にとって私は大事な命なんだろう?」
冷たく澄んだ空気が心地よく俺たちを包み込む。白銀の神秘的な森の中はやけに静かで、神秘的な木漏れ日が差している。雪は深く、どこまでも白い。
やがて、二人は止まり、雪に覆われた地面の上に立った。彼らの顔は赤らんでおり、寒さと興奮がその身を駆け巡る。そんな中、彼らの唇がふれあった。最初は軽く触れ合うだけだったが、次第に情熱が高まり、熱いキスへと変わっていく。
彼らの心は一つになり、雪山の森の中で愛と喜びが溢れ出す。その瞬間、時間は止まり、世界は彼らだけのものとなった。
キスの余韻がまだ心に残る中、二人は山のふもとに向かって飛び始めた。木々の間を抜けると、次第に景色が変わり、雪山の厳しさから解放された平地が広がっていた。陽光がやわらかく降り注ぎ、雪解け水が流れる小川の音が聞こえる。
やがて、仲間たちとの合流点に到着した。彼らは笑顔で迎え入れ、喜びと安堵が空気を満たした。騎士は、二人の変化を尋ね、彼らの冒険の物語を興味津々で聞いた。
山のふもとでの再会は、新たな旅の始まりを示していた。
これから王女たちは、身分を隠して新たな人生を歩んでいくことになる。騎士やほかの仲間たちはそれを支えていくのだろう。そしてもちろんリリスも。
俺は、ここにいたい。
まだ始まったばかりなのに、リリスと離れ離れになるなんていやだ。リリスだってきっと一緒にいたいといってくれる。魔法を教えてもらって、一緒に冒険なんてするのもいいだろう。幸せな未来への希望と勇気が湧き上がってくる。
「タクト。ここでお別れだ。本当に世話になった。ありがとう。」
唐突なリリスからの言葉に気が動転する。たしかに最初はそういう約束だった。山を越えたら元の世界に帰すと。だけど二人の関係はその時とはちがうじゃないか。もしかしたら俺が元の世界に残してきたものを心配してくれているのかもしれない。たしかに家族や友人は悲しむだろうが、それ以上に俺はリリスをあきらめられない。俺の中で唯一なんだ。リリスのいない世界になど戻りたくない。
「俺は、ここに残ってリリスと生きていきたい」
そのとき、強い風が吹いた。その風は仲間たちの緩んだ空気を流し去り、刺すような冷たい空気を運んでくる。リリスは翼を広げ、俺を抱えると空中に飛びあがった。
猛烈な勢いで高度をあげ、葉の間を抜けて中空に浮かぶ。森の上から見た世界は、静寂と広がりに満ちていて、どこまでも続いている。
リリスはその強いまなざしで俺をみつめている。
「タクトはここに残るべきではないと私は思う。」
「元の世界のことは気にしなくていい!こっちでもなんとかやってくよ!リリスと離れたくないんだ」
「話をきけ。私はお前と離れるとは言っていない。私がお前の世界に行くんだ。」
「・・・は?」
「お前の本は世界のことをなんでも教えてくれたぞ。私は世界を渡る魔法を作れたんだ。今までは偶然つながった世界から人を連れてきて戻すことしかできなかったが、こちらから世界を指定して送りたいものを自由に移動できるようになった。もちろん私自身もな。しかも龍の魔力のおかげで自由自在だ。しかし私も龍と一体化したことでこの山の管理をしないといけなくなったからな。こちらにもたびたび帰ってくることはあるだろう。まあそれも問題ない。それにタクトの世界にはほかにもたくさんの本があるのだろう?楽しみで仕方がないよ」
えーと?つまり地球の、日本に?リリスがくるの?
「まじ?」
リリスは誇らしげに胸をはり、風に白銀の髪をなびかせる。その姿はまるで世界を掌握した自然の王者のようだった。もともとのかわいらしい顔立ちに龍が混ざりさらに美しくなったリリスは、神々しさにあふれていた。彼女がそういうならばきっと何の問題もなくできるのであろうと感じさせる。
「だからその、みんなに聞かれると…恥ずかしいだろう。私もタクトと生きていきたい。ついていってもいいか?」
リリスの顔は耳まで真っ赤にそまり、それでも強いまなざしでこちらを見つめてくる。
急に仲間たちから離れて宙にとびあがったのは照れていたからだったらしい。
「なんだよそれ、かわいいなあ。こちらこそよろしくおねがいします」
抱き合い、キスをした。
その後、俺はリリスの魔法によって元の世界に戻された。
起きたらまだ倫理の授業中で、体がガクンっとなり大きな音を立てたことでみんなに笑われた。
寝ていたことは寝ていたけどさあ・・・。
体も何も変化がないから、まさか夢だったなんてことないよな・・?
と思った瞬間、目の前に魔法陣が現れた。
ものすごい光を放つそれに、周囲の生徒も先生もちょっとしたパニックになっている。
さすがに本気で思っていたわけじゃないけど、一瞬の心配をはじけ飛ばすにはちょうどいい騒ぎだ。むしろこの異様な光景に、安堵すら覚えた。
「タクト!全部片づけてきたぞ!さあ本を読ませてくれ!」
白銀の髪、水晶色の角に、同じく水晶色の鱗に覆われた左腕に翼と尾、あまりにも神々しい存在感を放つその人は、もう我慢できないとばかりにまるで子犬のように俺に飛びついた。
「おつかれさま。図書室いこっか。」
みんながあっけにとられる中、思えば初めて、俺とリリスは手をつないで並んで歩きだした。