後編
「ここまで来れば大丈夫かしら?」
本来なら学園への入学式にヒロインとヒーローであるアルベルト王太子殿下の仲睦まじい姿を目撃してショックを受けたゲームのソフィアは、それから数日から数週間に渡りヒロインへの嫌がらせを考えている頃だ。
乙女ゲームのシナリオ通りならば。
だが今は違う。
入学式前夜に邸を抜け出して今は隣国のリヴォルタ王国へ身分を隠して入国しているのだ。
自由だ、自由になれたのだ。
乙女ゲームのシナリオから外れて強制力の影響を受けないであろう物理的に遠い場所まで逃げてこれたのだ。
ソフィア一人の力ではなせないことだ。
五歳の頃から側に付いている侍女と一緒に隣国へと逃げたのだ。
年若い娘が身分を偽り隣国へ入国するのは至難の業だ。
それならば年上の侍女と姉妹として隣国へ渡れば多少は入国できる可能性はあるだろうと考えていたのだ。
思った通り、隣国の入国審査で多少は話が長くなったが難なく入国できた。
「ソフィア様、これからどうされるおつもりですか?」
やれやれと、ため息をつきながら侍女は今後について確認する。
『人攫い』をしたのだ。貴族令嬢で次期王太子妃を国から連れ出したのだ。
侍女は戻れば死罪に問われるだろう。その危険を冒してまでソフィアの望みを叶えたのだから最後まで付き添うつもりである。
「うーんと、確かあそこに家を用意してあるのよ」
王太子妃教育で学んだことを生かして商家の娘として隣国で伝手を作り家を用意していた。かなり無理をしたが全ては生き抜くためである。
「そんなことまでしていたのですか?一体いつの間に」
侍女は呆れながらも荷物を持ちソフィアの後についていく。
「用意するのって楽しいわね、わくわくしたのよ!また準備したいわ〜」
準備していた頃を思い出してルンルンとして足取りで家へと向かう。
ソフィアにとっては初めての遠出だ。遠足気分が抜けないでいる。
海沿いの街なら異国の人間がいても違和感がないだろうと考えて、海の近くの街に家を用意している。
仕事になるような食堂も近く、街中が発展している。
自国との違いに戸惑うことはあるだろうけど言葉や文化は習得済みなので問題ない。
強いて言うなら、侍女をつけずに行動できるのか、自身で生活を成り立たせることができるのか不安に思う程度だ。
そんな不安も青い海とまぶしい太陽の日差しの下では些細なことに感じられる。
ここに住まう人たちは活気に満ち溢れている。それを見ると自分もどうにかなるのではと思えるほどだ。
家にたどり着き僅かながらの荷物を運び入れる。馬車移動が長かったこともあり、家の中の掃除をしたら疲れが出てしまった。
情けないと思っていたところ、侍女が食事の支度をしてくれていたようで驚いた。
「料理できるの?」
出されたシチューを見て驚くしかない。いつの間にか買い揃えられていた食材と、料理ができる侍女であることに驚いたのだ。
「もちろんでございます。ソフィア様が困りませんようにと私も準備しておりましたから」
以前より侍女には隣国への逃走計画を伝えていた。この侍女ならば信頼できると確信していたからだ。
アルベルトの笑顔に頬を赤らめるところ以外は信用に値する。
「おいしぃ〜」
意外にも侍女の作ったシチューは味が良く、お腹も心も満たされるものだった。
「本日はお疲れでしょうから早めに寝支度を済ませましょう。また明日からは忙しくなりますでしょう?」
「そうね、明日からは私にもできるお仕事を探したり、ご近所さんにご挨拶しないとね!」
ソフィアは今後の生活を考えて楽しくて仕方がない。何もかも、全て、自分で考えて決めていけるのだ。
誰に気兼ねするでもなく、気軽に話しかけて笑い合える、そんな人間関係を作り友人だってできるはずだと。
海沿いの街での初めての生活は充実しており毎日が楽しい。ご近所さんとの関わることや初めての仕事も全てが新鮮だ。
自国を出てから半年が経過している。
お妃教育を受けない自由な時間、何もかも自分で決めることのできる自由な日々をソフィアは謳歌している。
よく笑いよく食べよく働く、次期王太子妃、ソフィアの中では断罪される婚約者であり続けるよりも今が本当の自分だと思えるくらい素のままでいられる。
自国にいたままでは経験できないことばかりだ。
日の出と共に目を覚まし日の入りと共に帰宅して寝支度まで済ませる。
変わらない毎日が心地よい。
「まだ私にできないことはあるけど、できるようになったら.....」
そうなったら付き添っている侍女はどうするのだろうか。
自分の我儘で連れ出した侍女にも自国に家族がいる。
考えるのを避けていた。
彼女にも家族がいるのだ。両親はどうなっている?娘が犯罪者になったことでお家取り潰しなどの罰を受けているのだろうか。
「あの、ね、国にいるあなたの家族はどうなっているのかしら?」
恐る恐る、聞きたくない答えが返ってくるようで怖い。侍女の家族の人生を壊したのは自分だから。
「ソフィア様、ご安心くださいませ。全て問題ないようにしております」
一介の侍女に、下位貴族出身の侍女に何ができると言うのだろうか。
「でも、、、私ばかり楽しんでいたわ。本当は気づいていたの、あなたの家族のこと、どうなっているんだろう、とか」
視線を下げて涙を堪える。
王族から重い罰を受けていれば首を刎ねられることだってある。
ソフィアは彼女を愛してくれた家族を裏切っているのだ。
「ソフィア様に付き添うと決めたのは私です。全て、何も問題ございません」
そう微笑む侍女はソフィアを慈しむように見つめる。
幼子に向ける視線のように、何も心配することはないのだと言い聞かせるように。
「ソフィア様、明日は海沿いにある新しくできたレストランへ行きましょう」
ヴィータ王国の食材をメインに使用している最近できたばかりのレストランへ行こうと侍女は話題を変える。
予約が必要な特別なレストランだ。
自国となるヴィータ王国の食材を使用した料理を食べることができる唯一のレストラン。
懐かしく思うのだろうか.....
.
.
.
.
.
.
昼に予約していたレストランは失礼のない程度の服を着用する、平民には珍しいドレスコードが必要な店だ。
豪商や裕福な商家向けのレストラン。
侍女は働いていた給金をためていたと言う。
半年が経過したことで、そろそろ自国の食材と味が恋しくなる頃だろうからと、奮発して予約してくれたらしい。
「私にも問題があるけど、いつまで侍女気分なの?」
「私はいつまでも、この先もずっと、ソフィア様の専属侍女でございます。あ、今は姉でございましょうか」
意地悪に笑う彼女が可愛らしくてソフィアも拗ねた真似をする。
姉妹としてレストランへと入店し、用意された特別室へと入る。
貴族が使用するのではないかと見間違うほどに洗練された部屋は、ヴィータ王国の調度品が使用されており懐かしさで胸がいっぱいになる。
飾られている花も、使用されている壁紙も、王城を思い出させるほど高価なものが使われている。
頼んでいたコース料理が運ばれる。前菜から始まり、どの品も王城で食べた味にそっくりだ。
「美味しいわ、懐かしくてヴィータ王国を思い出してしまうわ」
二度と戻ることのできない祖国となる国、今頃は王太子のアルベルトとヒロインが愛を育んでいる頃だろう。
悪役令嬢がいなくてもヒロイン補正でどうにかできているはずだ。
アルベルトと側近、再従兄弟であるサイラスもヒロインにメロメロになる、間違いのないようにイベントをこなしていけばハーレムルートだって開かれる、ヒロインにとって夢いっぱいの世界だ。
「う〜ん、おいひぃ」
口いっぱいに頬張りモグモグと食す。
ここでは誰にも咎められることはない。
「そんなに美味しいか?」
「えぇ、とっても!」
「それは良かった、全てソフィの好きなものばかりだからね」
と、食べることに夢中になっていたソフィアは話しかけてきた相手を見ていなかった。
幸せなお口の中、夢いっぱいになっていた口の中の素敵なお味に集中していたのだ。
恐る恐る声のした方を向くと、そこにはいないはずの男の姿
「あ、あ、あ、アルベルト様っ?!えっ?えぇっ?へ?」
そこには、とても良い笑顔でソフィアを見つめるアルベルトの姿があった。
あたりを見渡せば、壁へと移動しアルベルトの護衛と共に侍女が立っていた。
こちらを見ていない。下を見ている、床を。ソフィアを見てくれない。
ソフィアは慌てて立ち上がり席から離れる。
逃げようとした瞬間、アルベルトに腕を掴まれる。
強引に距離を縮められた。
「みーつけた」
第三者が見ると爽やかなのに甘さのある笑顔をしているのは間違いない、王太子のアルベルトだ。
笑顔、だ。
笑顔なのだ。
アルベルトの本性を知らない人からすれば、いや、アルベルトを理想の王子様として見ている人間からすれば、だ。
知っている、彼が心から笑っていないことを。その胸の内に怒りを隠していることを。
「ソフィ、君が僕から逃げられると思ったのかい?」
目を細めて口の端を上げて笑みを溢すアルベルトは、漸く手元に戻った玩具を大切そうに抱きしめ頭を撫でる。
腕の中に囲われたソフィアは『ひいっ』と小さな悲鳴をあげるが誰にも聞こえない。
アルベルトの近くにいる護衛と自分の侍女は此方を見ようともせず空気に徹している。
「捕まえた」
ちゅっ、と、リップ音を響かせて頬に口付けられるこの瞬間、ソフィアは捕らえられたと悟り運命に抗うのをやめた。
「どうして、、ここが?だって.....」
なぜアルベルトがこの国にいるのかわかっている。わかってしまった。だけど聞かずにはいられなかった。
「ソフィを何もできない侍女と他国へ行かせるわけにはいかないからね、彼女は王族に仕える護衛の訓練もされた特別な侍女なんだよ」
幼い頃、オルランド家へきた侍女は王族に仕えていた侍女だという。
一族が王家に仕え、代々、王妃、王太子妃、王女に仕えている家系だ。
幼い頃よりオルランド家にいたのだから王族とは無関係、それに、だ、下位貴族の出だと聞いていたのに違っていた。貴族ではない。
「ソフィは彼女の家族を心配してくれていたんだってね、優しいなぁ。心配しなくても皆、元気に王族に仕えてくれているから安心してね?」
ね?の言葉の後に目を細めて作る笑顔が怖い。
腕の中に囲われているソフィアは身動きができない。逃げ出すこともできない。
「あ、の、、、アルベルト様は何をしに?」
「何って、婚約者のソフィを迎えにきたんだよ。王太子妃教育の一環で隣国で過ごしていたソフィア迎えにね」
ソフィアが逃げ出した後、アルベルトがすぐに根回しをして行方不明、誘拐ではなく王太子妃教育の一環で隣国で民の暮らしを経験していることになった。
逃げ出す計画を侍女から入手していたアルベルトは隣国へと赴き前もって手続きをしてソフィアが入国できるように手配していたのだ。
入国の際に時間がかかったのは、王族扱いで入国をさせようとしていた入国管に事情の説明をしてヴィータ王国とリヴォルタ王国の書面を見せて理解してもらうためだった。
「最初から知っていた?」
「最初からね」
ソフィアに興味を持ち始めてから王妃に頼み込みソフィア付きの侍女から情報を得られるようにしていた。
最初は渋っていた侍女もアルベルトがソフィアに真剣に向き合う姿を見て納得して王妃からの命を受け入れアルベルトへと報告をしていた。
「気にしていた婚約破棄はしないよ?」
幼い頃に侍女へと話していた婚約破棄の話まで知っていた。
恥ずかしくなりソフィアは口をパクパクとさせる。
「安心して?僕もここに三ヶ月いてソフィを見守っていたからね、婚前旅行みたいになっているし、貴族会には帰国後の入籍を承認させている」
なんと、すでに貴族会へも手を回し四方を固められていた。
「もう、逃げられないから覚悟しろよ」
その言葉と共に抱きしめられた。
あぁ、きっと、捕らえられたかった。
最初から、愛されているとわかれば安心できたのかもしれない。
逃げることもなく運命に立ち向かうことだってできたのかもしれない。
でもそれは今だから言えること。
婚約破棄されるかもしれない恐怖のない半年の生活は有意義だった。
たとえ、アルベルトの三ヶ月の監視つきでも。
運命に抗ったことに満足したソフィアは大人しく婚約者のアルベルトに捕まった。
帰国後、アルベルトの言葉通り結婚式が行われた。学園在学中の異例の結婚だ。
「私、学園に入学してたのね」
「手続きだけなら出来るからね」
「学園生活....」
「怖がらなくても大丈夫、マナー違反する人がいたら即退学だから」
アルベルトはようやく手に入れたソフィアの憂いをなくし学園では仲睦まじい王太子夫妻として過ごした。
ソフィアはヒロインに出会うことなく学園で過ごしアルベルトとの幸せな時間を満喫するのだった。
読了ありがとうございます(❁ᴗ͈ˬᴗ͈)ペコリ。:.゜ஐ⋆*
執筆速度は遅いですが、また、新作を公開できたらと思っています。
お読みいただき本当にありがとうございました!
■完結済み
「男装令嬢は王太子から逃げられない〜義家族から逃げて王太子からの溺愛を知りました〜」
https://ncode.syosetu.com/n4328gm/