前編
二年前に途中まで書いていたものを、なんとか書き上げました。二年ぶりの小説投稿です。
楽しんでいただけると幸いです。
「みーつけた」
第三者が見ると爽やかなのに甘さのある笑顔をしているのはヴィータ王国の第一王子であり王太子のアルベルト・デ・ヴィータだ。
笑顔、だ。
笑顔なのだ。
アルベルトの本性を知らない人からすれば、いや、アルベルトを理想の王子様として見ている人間からすれば、だ。
知っている、彼が心から笑っていないことを。その胸の内に怒りを隠していることを。
見つかってしまったのは幼い頃からの婚約者である侯爵令嬢のソフィア・オルランドだ。
アルベルト、いや、運命から逃れるために幼い頃からの計画を実行に移して隣国、リヴォルタ王国へと逃亡したにも関わらず僅か三ヶ月で敢えなく捕えられてしまった。
捕食者の、次期国王となるべく風格を持ったアルベルトは手に鞭を持っているかのような幻覚さえ引き起こさせるほど怒りに満ちた笑顔をソフィアに向けている。
「ソフィ、君が僕から逃げられると思ったのかい?」
目を細めて口の端を上げて笑みを溢すアルベルトは、漸く手元に戻った玩具を大切そうに抱きしめ頭を撫でる。
腕の中に囲われたソフィアは『ひいっ』と小さな悲鳴をあげるが誰にも聞こえない。
アルベルトの近くにいる護衛は、此方を見ようともせず空気に徹している。
「捕まえた」
ちゅっ、と、リップ音を響かせて頬に口付けられるこの瞬間、ソフィアは捕らえられたと悟り運命に抗うのをやめた。
そもそも、逃げることに意味などなく必要なかったのだ。この世界の運命に『抗った』という事実だけでも残したかった、ただそれだけだ。
幼い頃からの計画を実行に移したくなった、ただそれだけなのだ。
自分は何の抵抗せず堕ちていくのではなく、運命に抗い抵抗したのだ、それでも自分を欲して求めてくれるのなら……その現実を受け入れようと決めていた。
愛されるのが怖かっただけだーーーーー
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「ここが乙女ゲームの世界で私が悪役令嬢なら舞台に立たなければいいのよ」
五歳になった夏、ソフィアは王城へと招かれて顔合わせをした相手は二歳年上のヴィータ王国の王子であるアルベルトだ。
濃い蜂蜜色の髪に深い海のように濃い青い色の瞳。
端正な顔立ちで、将来は既婚未婚に関わらず女性を虜にするだろう、そう思わせるほど美しい少年にポーっと見惚れていたソフィアは話半分だった、が、突然目眩が襲い王族の前で倒れてしまう。
そして次に目が覚めると、所謂『前世の記憶』を持っていた。
この世界は前世で言うところの乙女ゲームの世界であり、ヴィータ王国の王太子となるアルベルト・デ・ヴィータは学園へ入学してから運命の乙女に出逢い愛を知る。
完璧すぎる程の容姿と頭脳、立ち振る舞いから令嬢方に人気のあるアルベルトは自ら婚約を希望した。
もちろん、女避けのための婚約者として隣に立たせるために。
そんな本心は知らされず、ソフィアは婚約者に選ばれたことで舞い上がり常にアルベルトを追い掛け他の令嬢を牽制した。それがアルベルトの狙いだと知らずに、だ。
でも今、ソフィアは前世の記憶を思い出したことで、このままではアルベルトに嫌われて婚約を破棄される、嫌われないように行動したところで強制力やヒロインの魅力に抗えずアルベルトが恋に落ちる可能性を考えることができる。
ならば、断罪された後に国外へ追放されても生きていけるよう準備をすればいいと決意した。
婚約してから学園へ入学する十六歳までの間は週に数度、王城へと通いお妃教育を受けている。国外に追放されてもお妃教育で学ぶ語学で言葉には困らない、他国の文化や風習を学ぶことで溶け込みやすくなる。
お妃教育で学ぶことの全てを国外追放後に利用すべく、苦労しながらも真面目に取り組んだ。そのかいあって、優秀なアルベルトの隣に立つに相応しいとまで言われるほど成長した。
お妃教育のために王城へ通ってはいるもののアルベルトと顔を合わせるのは多くて月に二回程度。それが五歳から十三歳までの八年間も続いた。
だが多くて月に二回、は、最初の数年だけだ。その後は月に一度会うかどうかだ。
二歳年上のアルベルトが学園へ入学する前の年になり突然、週に一度お茶を共にする時間が設けられた。
ソフィアはお妃教育の講義のない空いた時間は王城内にある図書室で本を読み、時間になればアルベルトには何も告げずに帰宅していた。
週に一度のお茶会をするようになったのは偶然にもアルベルトが図書室から移動するソフィアの姿を見かけたことがキッカケだった。アルベルトは友人でもある同い年の再従兄のサイラスと共に王城内を移動している途中、ソフィアが図書室から出てくる姿を見かけたのだ。
淡いクリーム色の髪がふわりと揺れる。
前を向いて歩く姿に、アルベルトは一瞬、目を奪われた。
子供だ、たった二歳しか違わないが、子供だと。そう思っていた自身の婚約者は気づけば十三歳になっていた。
大人からすれば子供の年齢かもしれない。
だが、遠くから見たソフィアの歩き姿、女を連想させるメリハリのある身体つきに魅入っ てしまった。
「子供だと思っていたのに既に女性ですね。子供扱いをするなんて申し訳ないと思わないのか」
チクリ、と、アルベルトが今まさに思っていたことをサイラスに指摘され胸が痛む。
面倒な婚約者選びのお茶会に参加するのが嫌で、愛想を振り撒くくらいなら他に時間を使った方が有用だ。そう考えていたからこそ、婚約者選定という面倒ごとに時間を費やさないために先手を打って婚約者を指名した。
オルランド侯爵家には我儘な娘がいて手を拱いている。だが、その娘は成長したら美しくなるだろうと噂されていた。だから利用価値があると考えたのだ。
我儘な娘なら、お妃教育も上手くいかないだろう。度が過ぎる態度や行動をとるなら諌めてみるが無理なら婚約を解消すればいい。
自分が学園を卒業するまでに、本当の意味で自分の隣に立つに相応しい令嬢を見つけ出せばいい。
アルベルトはそう考えて『女避けの婚約者』として選んだのがソフィア・オルランド侯爵令嬢。
「こ、子供扱いはしていない」
「そうか?ソフィア嬢が子供だからと言う理由でデビュタントもまだだろ?お前も諦めて彼女を連れて夜会に参加しろよ。毎回、俺ばかり令嬢の相手はキツい」
令嬢達に囲まれるのが嫌でアルベルトは夜会に参加していない。パートナーとなるソフィアが幼いことを理由にしていた。
再従兄弟のサイラスは公爵家の嫡男なので貴族にとって必要な人脈づくりのために早々に社交界へデビューしていた。
「……久しぶりに全身を見た気がする」
「はぁ?!」
「数ヶ月に一度は会っていたが立ち姿の記憶がない。よく見ていなかったせいかもしれない」
「ま、じ、かよ」
サイラスは驚愕し目を丸くする。
再従兄弟のアルベルトがソフィアに興味を持っていないのは知っていたが、姿を記憶していない程だとは思わなかったからだ。
「興味がなかったから」
「興味を持て!いらないなら俺の婚約者にしたいんだけど?」
思わず出た言葉は本音に近い。サイラスとて令嬢方からのアプローチには殆困っているのだ。
ソフィアのように美しい凛とした令嬢なら、是非とも次期公爵夫人として迎え入れたいとさえ思った。
「なんでサイラスの婚約者って話になるんだよ!」
「アルベルトはソフィア嬢に興味がないんだろ?そんな男に嫁いで王妃の責務を背負わせるくらいなら公爵夫人の方が幸せだよ」
「馬鹿を言うな。彼女は私の婚約者だ」
「婚約者として接したことはあるのか?」
「あ、る」
「なさそうだな」
アルベルトとサイラスが軽く言い合っている間にソフィアは帰宅してしまった。
挨拶をしてくれても、と、アルベルトは感じたが、それは自分のせいなのだと思い出す。
以前は、お妃教育が終わり帰宅する前にソフィアはアルベルトの執務室へと顔を出して挨拶をしていた。数年も前のことだが。
だが挨拶だけで返すことは出来ず二言三言のやり取りが必要なことから挨拶は不要だと言付けた。それもあり、この数年は顔を合わせる機会が減っていた。
思い返せばソフィアの態度はアルベルトの想定とは違っていた。
もっと婚約者としての義務や務めを求めてくると考えていた。我儘娘なのだから贈り物を強請られたり一緒にいる時間を求められると考えていたのに、初めて会った頃から一切の我儘を言われたことがない。
その日の深夜、一人で部屋にいて思い出すのは初めて会った日と今日見かけたソフィアの姿だ。
今までのソフィアのことを思い出しても、アルベルトとの婚約を喜んでいるようには感じられない。喜んでいるだろう、と、アルベルトは思い込んでいたのだ。
「馬鹿みたいだな。女避けだなんて、そんな失礼なことを考えていたなんて、自惚れてるよ」
ポツリと呟いた言葉は自分の胸に突き刺さる。
アルベルトは持て囃されて奢っていたのは自分で、ソフィア以上に我儘だったことに気づき自嘲する。
翌日からアルベルトのソフィアに対する態度が変わった。突然、大きな変化を見せると警戒されるかもしれないと考えたアルベルトは会う機会を増やしたのだ。
週に一度のお茶会で時間を共にし偶然を装って図書室で待ち伏せ、執務の合間を縫って、王城内にいるソフィアを探して時間を共に過ごすよう努めた。
もちろん、ソフィアを喜ばせるために贈り物をして気を引こうともした。
それを一年続けたのにソフィアの態度は全く変わらない。お妃教育で身につけた笑顔を貼り付けてアルベルトから距離を取っているのだ。
(ソフィアの心からの笑顔を見たい……)
いつしかアルベルトは心の底からソフィアの笑顔にしたいと思うようになっていた。
お茶会の時間では話題を振りソフィアを楽しませることに追力している。お妃教育でわからないことがある、と、ソフィアが溢せばアルベルトが時間を作り教えている。
アルベルトが十六歳になる年に学園へ入学して、自分がソフィアに相手にされていないことを思い知らされる。
周りに集まる令嬢とソフィアの態度が全く違うのだ。
学園へ入学する前の王城で父親に付いてきた令嬢がアルベルトを見かけた際の態度とソフィアの態度の違いに薄々気づいてはいた。
だが学園へ入学して明らかに違うと理解した。
ーーーー自分はソフィアに相手にされていない
それからアルベルトはソフィアへの態度を大きく変える。
自然に気づいてもらうだけではダメだ、と。最初の頃の態度のせいで、ソフィアは自分に対して心を閉ざしたのだと考えたからだ。
なら、無理矢理にでも抉じ開けて自分を見てもらおう、ソフィアが学園へ入学するまでには互いに想いあっている状態にしたいとアルベルトは考えたのだ。
アルベルトは直ぐに行動へ移した。週に一度だったお茶会を毎日にし、夕刻、学園から帰宅した後にソフィアとの時間を作ったのだ。
生徒会があって時間に間に合わない日は遣いを出し、学園から帰宅する前にオルランド侯爵邸に立ち寄りソフィアとお茶をしてから帰路についた。
それが二年も続けばソフィアは以前よりも心を開いてくれるようになった。
以前は見られなかった自然の笑顔を見せてくれるようになったのだ。
だが、学園への入学が近づくにつれてソフィアの態度に変化がみられたのだ。もちろん、悪い方に。
事あるごとに他人行儀なのだ。
それにとんでもないことまで言う始末だ。
「心を通わせたい方がいましたら教えてくださいませ。私、お二人の邪魔をするつもりはございません」
ふわり、と、微笑んだソフィアの表情は哀しそうで……アルベルトの心は自分にないのを理解している、とでも言いたげだ。
「私が他の女性を?あり得ない」
「私との婚約は気の迷いですわ。罪悪感がおありなら気になさらずに。殿下ももとよりそのつもりなのでしょう?」
アルベルトは目を見開いて驚いた。
ソフィアが婚約の目的に気付いていたとは思ってもみなかったからだ。
ならば……ソフィアにはアルベルトの全てが罪悪感や婚約者としての義務として映っていたということだ。
「ど、ういうこと?」
言葉が吃ってしまった。
これではまるで、気づかれたことに驚いたみたいだ。取り繕おうとするが上手く言葉を繋ぐことができない。
「違ったのですか?」
キョトンとした表情で首を傾げて問う姿は愛らしくアルベルトの胸を締め付ける。
当初の目的はソフィアの言う通りだからだ。
だが今は違う。
ーーーソフィアと過ごす穏やかな時間が好きだ
ーーーソフィアの微笑みが好きだ
ーーー本を読み集中している横顔が好きだ
ーーー辛いお妃教育にも真面目に取り組んでいる姿が好きだ
なによりも……いや、ソフィアの全てが愛おしい。
三話完結、毎日20時更新です。
一話目のみ21時の投稿でした。
明日からは20時に投稿です。
■完結済み
「男装令嬢は王太子から逃げられない〜義家族から逃げて王太子からの溺愛を知りました〜」
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