第二話 兄について
いつも読んで頂き、ありがとうございます。
事件があった月から、更に三ヶ月が過ぎた。
ミユウは十歳の誕生日を迎え、両親や優しい使用人達に囲まれて、楽しくて穏やかな時間を過ごした。
そして、その日の夜。
晩餐が終わると両親は何か一言、二言会話をしていた。母親が夫婦の部屋がある方へ向かい、父親が執務室へ向かうのを見て、ミユウはそっと父親を追いかけて行った。
執務室の重たそうなドアを見つめて、大きく一つ息を吐き、ドアをノックする。
「バッカスか?入れ」
父親は執事の名前をいい、入室を許可した。
ミユウはゆっくりと重たいドアを開けて中へ入ると、父親は執務机から顔を上げ、心底驚いた顔でミユウを見つめた。
「……どうした、ミユウ。何かあったか?」
「お父様、私、今日で約束の十歳になりました。教えてください」
「な……なんの話だったかな?」
父親はどこか居心地悪そうに言う。
「私が池に落ちた時に助けてくれた人のことです」
真っ直ぐ見つめてくる意志の強そうな瞳を見て、父親は深く息を吐き出した。
「覚えていたのか……」
と、独り言の様に呟くと、執務机の鍵付きの引出しを開け、写真立てを手に、ソファへ歩み寄った。
父親が長椅子に腰掛けるとミユウを手招きし、自分の隣に座る様にソファを軽く叩く。ミユウは大人しく父親の隣に座ると、父親は優しく頭を撫でた。
「ミユウが知りたいのは、この少年の事だね?」と、写真立ての中の人物を見せる。
二つ折りの写真立ての中には、まだ幼い顔立ちの男の子と、池で助けてくれた時に出会った少年の写真が入っていた。
どちらも目線はこちらを向いておらず、自然体の彼がそこに写っている。
「彼はレイという名前で、ミユウの兄だ」
「お兄様?」
兄という言葉に、胸の奥にチクリと針が刺さったような、鈍い痛みを感じる。
「そう。レイ・ロバーツ。正真正銘、私の息子で、ミユウの兄だ。年齢は七歳離れているけどね」
「お兄様……。でも、一緒にご飯を食べたり、お茶を飲んだりした事が無いです。ご飯は家族一緒に食べるものだと、お母様はいつもおっしゃってます」
その問いに、父親は一瞬顔を硬らせたが、直ぐに寂し気な表情を見せた。
「レイはね十二歳の時から、この屋敷には住んでいないんだ」
「十二歳……」
ミユウは暫し考えるように視線を下ろすと、すぐに父親を見上げる。
「なら、私が五歳の時はまだ居たんですよね?なぜ、一度も会うことがなかったのですか?」
父親は眉間に皺を寄せ、困った様に瞬きを繰り返した。
「……そうだね……。どこから話そうか……」
何かを思案する様に、父親は視線を泳がせた。暫くして「お母様には秘密の話だ。約束出来るか?」と訊いた。
ミユウがゆっくり深く頷くと、父親は兄レイの話を静かに始めた。
ミユウとレイの母親が違うこと。その事から、ミユウの母親がレイを嫌っていたこと。ミユウが生まれてからは、屋敷の中では「居ない存在」として扱われていたこと。ミユウが池でレイに助けられ、レイに興味を持った事で家を追い出す様な事を言ってしまったこと。そしてその翌朝にレイが黙って家を出て行ってしまったこと。当時は母親の手前、大々的に探す事が出来なかったこと。父親は今でもそれを深く後悔をしていること。そして、今は何処にいて何をしているか分かっていること。
掻い摘んだ話ではあっただろうが、とてもショックな話だった。
レイが家を出て行ったことは、少なからず自分のせいでもある。その事が、酷く胸の奥を抉った。
もし自分があと二年後に家を出て行けと言われたら、どうだろうかと考えた。恐らく、三日も生きられないかも知れない。
レイを思うと、ミユウは涙を止める事が出来なかった。自分が生まれて来なければとも思った。自分がレイに興味を示さなければと後悔にも似た思いが胸を締め付けた。
初めて恋をした相手。
それは、実の兄だった。
これが恋だと知ったのは、五年前。池に落ちて助けられて以来、何度も使用人のユーリに話ていた。
ある時、ユーリに「お嬢様は、あの彼に恋でもしてしまったみたいですね」と困った様に笑いながら言われた時だった。ユーリとしては、冗談として言ったのかも知れないし、そうじゃないかも知れない。ミユウがあまりにも熱心に兄の事を訊くから、呆れて言ったのかも知れないし、子供だからと微笑ましく思っただけかも知れない。
恋とは何かを訊ねると、ユーリは笑いながら「毎日、相手のことが気になること。今のお嬢様そのものです」と言った。そして、「この事は、他の人には内緒ですよ?その恋は、お嬢様と私だけの秘密です」とも言った。
実の兄妹では恋は実らないのだと知ったのは、十三歳の時。
十歳から十八歳までが通う、一般教育を学ぶ学園で仲良くなった同世代の女子生徒達とランチを食べている時だった。
流行りの恋愛小説について話をしている最中に気が付いた。
ユーリが何故、他の人には内緒だと言ったのか、理解出来た。実の兄に恋をしているなど、本来ならあってはならない事だからだ。
その事実を知った夜、ミユウは一人静かに泣いた。
そして、その想いに蓋をして、頑丈な鍵をかけて忘れる事にした。
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