第十六話 会食
読んで頂き、ありがとうございます。
実は本日2022年6月9日は「若潮」なんです。
皆さま、夢にお気をつけを……。
では、よろしくお願いします。
記録庫のドアが幾分、乱暴に開けられた。アッシュは目だけを動かし、その主を見る。
入ってきたのはレイだった。
レイが乱暴に物を扱うことは滅多にない。いつも落ち着きを払っていて、初対面の人物から見ると冷淡にすら見える。だが、一度レイと会話をし、彼の笑顔を見ると、どんな人物でも彼に心惹かれる。
ただ唯一、彼の心を乱す事があるとすれば、彼が尊敬するウィルと妹のミユウが絡んだ時だろう。
「アッシュ、何か変わった動きは?」
レイは足早に室内を歩くと、二階へ上がった。
アッシュはコンピューター画面を見ながら「いいえ」と短く応える。
「ウィルの方はどうですか?」
レイは本を捲り、アッシュに背を向けたまま「こっちもまだだ」と答えた。
本を棚に戻すと両手を腰に当て息を吐き出し、再び棚から別の本を取り出す。
「こうなったら、明け方を待とうかと思う」
レイは背を向けたまま言う。
「明け方は、多くのハンターが活動的になります。その中からウィルを探し出すのは難しいのでは?」
「それでも、アッシュがまとめてくれた今までのデータを見る限り、多くが起床時間に一番近いレム睡眠時に行われている」
レイは本を閉じると、後ろを振り向きアッシュを見下ろした。
アッシュはコンピューターの前に座りながら、口元に手を当て考えるような格好でレイの話しを聞いている。
「確かに……。時間が経てば経つほどレム睡眠時間は延びるから、彼等からしたら危険度は下がりますしね……」
「それだけじゃない。ハンター達が活動的になることで、それに紛れることだって出来る」
「紛れる?」
アッシュは二階を見上げた。
レイは「そう」というと、階段を下りてきた。
「この二千年代は、他の年代よりも世界各地でハンターの出現率が高い。今のこの日本だって俺たちがここに来て、まだ三週間足らず。それにも拘わらず、俺たちがハンターを検挙したのは四十一件。これは、なかなかの検挙率だと思うぞ?うまく逃げられたのだって何件かある。そう考えると、その中に紛れて注意の目を逸らすことだって出来ると思わないか」
そういうと、レイは本のあるページを開き、アッシュに差し出した。
「これを見てくれ。二千年に入ってからの薬物依存症者が病院に入った人数表だ。年々上がっている。この中にはアルコール中毒者も入っているが、二千年後半は殆どが薬物だ」
「なぜ、こんなにも二千年代に集中しているのでしょうか……」
アッシュは本を見ながらレイに訊いた。
「恐らくだが、この二千年代の現実界は世界各国、テクノロジーが発展して豊かになった。その豊かさも一つの要因じゃ無いだろうか。二千年代に見ている夢を、二千年代の人間に売る。同じ時代の人間が見た夢なら、極端に現実離れしすぎず『薬物は危険ではない』という、間違った知識が植え付けられる」
「確かに、苦労した時代の世界を夢見るより、豊かな時代であれば夢の質も良いですからね。それに、極端に違う幻想が見えると、恐怖を感じる。でも、ある程度、現実離れしていても、知っている風景だったりすると、安心する……」
「そう。そうすることで、服用者はまた手を出す。手を出すと言うことは『売れる』売れると言うことは『夢喰い』が増える」
二人は本を見つめ、暫し沈黙した。
「あの……」と、聞き逃しそうなほど小さな声がし、レイはアッシュを目をやった。眉間に皺を寄せ、戸惑う様に言葉を続ける。
「ウィルは、一体何のためにメモリーレムを……?」
「……わからない。しかし、メモリーレムは幻想夢や空想夢と違って、どんな加工をしても人間は飲むことは出来ない……。それに、まだウィルが関係しているとは決まっていない」
レイはアッシュの目の前にある本に視線を戻し、睨み付けるように見た。アッシュはレイの顔を見て、思い付いた事を口にする。
「でも……例えば、ダークログスターの生き物が絡んでいたとしたら?彼等は、人間のメモリーレムを食べることが出来ます。彼等は人間のメモリーレムを口にすれば不老不死になると思っていると聞いたことがあります。過去に彼等が我々の仲間を拉致し、多くの人間のメモリーレムを奪おうとしたことがある。今回の法術師が消える事件も、それに関係があるかも知れないのでは?」
「ウィルが、あの野蛮な生き物と関わっているとでも言うのか?」
レイは鋭い視線をアッシュに向け、底冷えする様な冷たい声を発した。
ダークログスター。
レムアドミニスターの真裏に位置する世界。異世界人を故意に転生させ奴隷とし、使えなくなると、その人間の魂を喰らう。レムアドミニスターは時空間の歪みの真ん中である為、転生させずとも向こうからやって来る。奴等にとって、この世界は涎が出るほど欲しい様で何度となく乗っ取ろうと、争いを仕掛けて来ている。真裏の世界とは言え、彼等とレムアドミニスターの人間は、似ても似つかない。彼等は人の皮を被った野蛮な生き物だ。
レイの声は落ち着いていたが、仄かに高揚した顔をしていた。
アッシュは黙ったまま、レイの目を見返えす。その顔は、レイとは異なり人形のような感情のない表情をしていた。
二人が黙って顔をつきあわせていると、記録庫のドアが開き、ミユウが部屋に入ってきた。
「ただいま」
二人はドアを振り向き「おかえり」と、穏やかな声で返す。が、二人の顔つきが微妙に強張っているのを感じ取ったミユウは小首をかしげ「どうかした?」と訊ねる。レイは小さく微笑むと「いや」と首を振り、「本日の二宮圭」について訊いた。
「今日も平穏無事に……。でも、今日が正念場かもしれないでしょ?だから私、今からお隣さんに夕飯をお呼ばれされに行って来ます!」
ミユウは両手を腰に当て「この考えどうよ?」とでも言うかのように、誇らしげに宣言する。
「夕飯を、お呼ばれされに行ってくる?文法、変じゃないか?」
レイは困惑顔で首をかしげ、訊き返すと。
「合っているわよ。だって、まだ招待されてないもの。今から招待される予定だから」
「なんだ、それ?」
「とにかく、行ってくるね!多分、お泊まりまでは無理だろうけど」
ミユウはニヤリと笑う。
その顔にレイは目を大きく見開くと、一気に顔が赤く染まり……。
「当たり前だ!外泊は許さん!しかも、男子の家なんぞ、以ての外だ!!」
大声で言うレイの言葉を、ミユウは「はいはーい」と軽く流し、笑いながら軽やかに記録庫を出て行った。
「ミユウ!!」
レイの声はゆっくり閉まっていく記録庫のドアに虚しく当たって静かに閉じた。
「ミユウは大丈夫ですよ」
笑いながら言うアッシュをレイは顔を赤くして、恨めしそうに横目で見た。
ーーーーー
「まぁ、まぁ!女の子がうちに遊びに来るなんて初めてよ!」
そう言いながら、圭の母親の塔子はミユウをハイテンションで迎え入れた。
居間には以前、圭が話しをしていた「単身赴任中」の父親がソファーに座ってテレビを見ていてた。
挨拶をすると、父親は彼女を見て、どこか懐かしそうな、泣きそうな顔でじっと見つめてきた。その視線にミユウが戸惑っていると、圭が居間に入って来て漸く我に返ったように「よく来たね」とミユウを歓迎した。
ミユウは戸惑いつつ微笑んで「お邪魔します」と答えた。
二宮家の家の中は、小綺麗に整頓されており、かと言って生活感がないわけでは無い、温もりを感じる部屋だった。棚の上には家族写真も添えられ幸せな家族そのものだとミユウは感じた。
夕飯に招待されるのは簡単で、あっという間に塔子がミユウの分も用意し、持て成してくれた。
「今日は、お父さんが好きなビーフシチューなのよ。瀬川さんはビーフシチュー、好きかしら?」
塔子が愉しげに訊ねて来て、本当に喜んで持て成してくれているのだと感じ、ミユウの心には嬉しさと、ほんの少しの罪悪感が浮かび上がる。
「はい、大好きです」と笑顔で応えたが、上手く自然な笑顔になっていたか自信がない。しかし、塔子や圭が和かな笑みを浮かべているのを見て、大丈夫、と心の中で呟いた。
夕飯はビーフシチューとサラダ、ガーリックの効いたカリカリのフランスパン、とろりと蕩けるアボカドエッグにカリッカリの海老カツ、コリコリと歯応えの良いタコのマリネと盛り沢山だった。
塔子の料理はどれもこれも美味しくて、ミユウはいつもより多く食べてしまい、食べ終わる頃にはデザートが食べられないのではと思ったが、そこは別腹。ブルーベリーとヨーグルトのアイスをしっかり腹に納めた。
二宮一家と共に食事をし談笑を楽しんでいると、気が付けば、あっという間に時計の針が九時を指そうとしていた。
「私、そろそろ失礼します」
ミユウが席を立つと、塔子は「泊まっていけばいいのに」と言ったが、圭は呆れた顔をして「母さん……」と諭す様な声を出す。
「あのさ……。明日は学校もあるし、瀬川さんの家は隣りだし。それに、あんまり無理言うと瀬川さん、もう遊びに来なくなるよ?」
塔子は「それも嫌だわ」と言って、ミユウの手を取る。
「また、いつでも遊びに来てね?」
「はい、ありがとうございます。あ、お夕飯、とっても美味しかったです」
ミユウは塔子の手を取り返し、にっこりと輝く笑顔を見せると、塔子は満面の笑みを浮かべ何度も頷く。
二宮一家は見送りに玄関先まで出てきてくれた。
「それじゃあ、お休みなさい」
ミユウが深くお辞儀をすると、圭と塔子は「お休み」と返事をしが、圭の父だけは夜空を見上げていた。
「いい宵月だ……」
「え?」
ミユウは圭の父親を見つめると、圭の父親は「あぁ」と言い、ミユウを見返す。
その顔は優しく微笑んでいて、何故か懐かしい気持ちが湧き出し、ミユウの心がふわっと温かくなる気がした。
「ほら、月だよ。確か今日は若潮だったな。あと四日もすれば満月だ」
圭はミユウに「親父、天文学者なんだ」と言った。
ミユウは驚いた顔で圭を見て「そうなんですね」と返事をして微笑む。その顔は僅かに強張っていたが、闇夜に上手く溶け込んでいた。ミユウは「それじゃあ」と言ってその場を去った。圭の父親の声が耳に残る。
『……今日は若潮だったな』
ミユウは洋館の門を開ける手を止めて振り向いた。二宮一家はもうそこには居なかった。
「天文学者だし……偶然……よね?」
空を見上げると、ふっくらした月がミユウを見下ろしていた。
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