夢見る乙女なんかいない
当初は秘密裏に行なうつもりだった竜核ファイヤー計画をファニーラが第五王子に打ち明けたのは、荷物の整理を終えた翌日。待ち合わせ先の商業ギルドの応接室であった。現地の入口前でこんにちは、である。
責任者を待つふたりきりの時間だが、当たり前のように甘い空気なんかない。購買部主任と生徒だぞ。あってたまるか。
お天気話から始まった世間話でジャブを繰り出したあと、目的地が合致するなら目的もそうではないかと右フック的に仕掛けてみたところ、見事正解を引き当てた。
「……というつもりだったんですが、王子殿下のお出かけも同じ理由でしょうか? あ、心臓絞られない範囲でお願いします」
「察してくれる方にまで隠しとおすほどじゃないですよ。ファニーラ店長も、あれの所有者として一部認められているはずです」
「へえ」
「私から吸い出して固形化するときに、ご自身の魔力経路を使ったでしょう? 馴染んだということは、そういうことです」
「なるほどー」
たしかに、やけに素直に使われてくれると思ったものだ。が、納得したファニーラの胸中にふと、別の懸念がよぎった。
大丈夫です、と笑う第五王子に、おずおずと挙手してみせる。
「……もしかしてあのときお目覚めでしたか」
「うっすらとですが」
ファニーラは、己のこめかみに中指の第二関節をゴリッと当てた。
第五王子は、ほんのりと頬を赤らめた。
「刺激的でした」
「猥褻罪の軽減はどうすればいいでしょうか」
「訴えるつもりはないので」
「ありがとうございます」
せっかくおおらかに流してくれようとしているお心を無駄にはするまい。ファニーラは即座に受け入れて頭を下げる。
もし裏があって将来脅しの材料にでもされたら、時効になるまで逃げ切ろう。
「殿下。あれは人道的行為としてお願いします」
「え?」
「アレを取り出すためでしたので。いわゆるノーカンで」
「…………」
王子に不満げな顔をされた。
「いや、ちゃんと、ほら。想う方とされたほうがいい思い出になるでしょう? 巫女さまのことは残念だったかもしれませんが……」
「巫女? どうして彼女が?」
「へ?」
きょとんとしたあと、また不満げな(略)。
「……彼女とは別に何もありませんでしたよ。何かをとも思ったこともないです」
「あれ?」
首をかしげたファニーラは、学園での記憶を辿る。
基本的に購買部に常在していたので、学生たちの生活にそう関わったわけではないのだが、お買い物に訪れたときの光景ならばある程度は記憶に残っているはずだ。
そういえば、前世走馬灯の衝撃で、それ以前の記憶がちょっとわちゃくちゃになっている気がする。
あまつさえ、
「……あら」
いかん。前世および原作フィルタがかかってしまっていたようだ。
少なくともファニーラが目にした範囲で、巫女と第五王子がふたりきりだった光景はない。ふたりがいるときは、第六王子や他の誰かが常にいた。
逆に、第六王子と巫女のセットならよくあった。
というか購買部に訪れる第五王子は、だいたいソロだった。買い物ついでによく飴をねだられたものだ。
念のためにだが、個人サービスではない。
お買い上げのお客様におひとつどうぞの全員サービス。大箱に入った徳用品だ。
ただ、特定の色を好むお客にはファニーラが別途取り出して手渡すほうが早いので、そうしていた。
第五王子もその一人だった。自分の瞳の色だからなのか、毎回緑色の飴を指定されていたのだ。
味は全部一緒なのにな。
「そうでしたね。すみません、きっと顔が似てるから混ざっちゃったんです」
「似てるだけですからね。ちゃんと俺の顔、覚えてくださいね。……緑のほうですよ」
ずい、と身を寄せてファニーラを覗き込むのは、瞳の色を主張しているのか。
緑の一言で済ませるには多くの色を含む彼の瞳は、原作やゲームでは分からなかった現実ならではの透明感だ。かつての印象から翡翠と思い込んでいたが、間近でつぶさに見せてもらえた今は、感じる趣が違う。
ファニーラは、その色彩をスフェーンのようだと感じた。ダイヤモンドよりも遥かに光を踊らせ、見ようによっては金や黒といったまったく別系統の彩りを覗かせる宝石だ。
「殿下の眼は楽しい色ですね」
正直な感想をこぼせば、スフェーンの輝きが何度も隠され現される。瞳の持ち主が、せわしなくまたたきしたせいだ。
そうして、はは、と、彼が小さく笑うことで、輝きはまぶたに隠れてしまった。
「楽しい、ですか? 見ていて?」
「目玉収集が趣味の人には気をつけてください」
「いや怖いから」
軽く繰り出される裏拳を受けて、ファニーラも笑い――ちょっと心配になってきた。
自分たち以外誰もいるはずのない室内を、思わずぐるりと見渡してつぶやく。
「旅の間に殿下とこんなことしてたら、護衛の人から怒られますかね」
「護衛はついてきませんよ」
「え?」
「同伴者一名はファニーラ店長ですから」
当たり前のことを当たり前に告げるような第五王子の言葉に、ファニーラの目は丸くなった。
だって仮にもじゃなくて正真正銘王族だぞ。継承権下位とはいえ、ガチンコのお一人様で放り出していいはずないだろ。ましてや『空の滅び』なんて物騒な場所に向かうというのに。
同伴者一名は表向きで、せめて影の数人くらいは着いてくるかと思っていた。思い込みで確認しなかったのはファニーラのミスだ。けれどあのときは驚いて、そこまで考えが回らなかったのだ。自分も悪いが話を持ちかけたあちらも悪い。
つまり極論、ファニーラの任務には旅の先導だけでなく、護衛役も含まれているのだろうか。報酬の前金はけっこうなものをいただいて恐縮したが、世慣れしてないお坊ちゃんを連れて行くにはちょっと不足しているぞ正直。今からでも増額交渉に行くか?
いやいや、その前に王子本人に確認だ。
「護衛といいますか……同伴者一名は承知していますが、影のひとりふたりくらいは?」
「あ、影の存在はご存知だったんですね」
おずおずと尋ねれば、それは一人ついてきます、と王子は言った。
それでも一人かよ、とファニーラは思った。
『影』とは文字通り、対象の視界にすら入らないようなところから当人を守る護衛――のようなものだ。護衛が専門ではない。ついでに表立っては行えないことなんかを、主の命に応じて実行する。おてんとさまの下で堂々と護衛したり用に当たる騎士とは真逆の立ち位置だ。
剣や盾の代わりに暗器を携え隠行を磨いた彼らは、味方ならたしかに頼もしい。だが、それと知らなければ、きっと暗殺者と間違えると思う。
「一度ご紹介お願いできますか。うっかり爆撃したくないです」
「分かりました。今はまだ選別中なので、当日には顔合わせさせます」
「お願いします。……ところで、王子殿下はどの程度戦えますか?」
世の中いくら平和といっても、魔素あるかぎり魔灰は出る。魔灰あるかぎり魔獣は出る。ついでにヒトデナシのたぐいも出る。強盗とか山賊とか。
味方の戦力確認、大事。
ファニーラの問いを受けた第五王子は、はにかむように腕を曲げてみせた。学園の制服に似たシルエットの上着のなかで、上腕二頭筋が上品に存在を主張している。
「俺たちはあの役割を持って生まれた時点でどちらかが山脈に向かうことははっきりしていたので、戦闘訓練は騎士からも影からもしっかり受けています。ファニーラさんの足は引っ張りません。あと、基本的に認識阻害の結界は常時展開してますから、そうそう王族とはばれないかと」
「ちょっと待って情報量が多すぎます」
「はい」
いつのまにか一人称が王子っぽくなくなってるとか口調がくだけてきてるとか店長呼びじゃなくなってるとか……これはもうファニーラが退職したので問題ないとして。
影から戦闘訓練受ける王族とか。どういうことだ。
「王子様が闇にまぎれて暗躍とかしたらアウトでは?」
「でも、闇討ちに対処するには闇討ちの手段を知るしかないですし。……ファニーラさん、けっこう王族に夢を見てます?」
「夢というか雲の上の方々ですね。あと、夢見る乙女の年齢は過ぎてる三桁ババアですよ」
「ハーフなんですよね。種族のお歳的には充分乙女では?」
「まあ、末っ子ではありますが……いや、殿下、論点が」
「あ。殿下呼びはナシで。一見をごまかせても、呼び方でばれたら意味がありません」
「ああ……そうですね」
変な方向で一人納得している第五王子にツッコんだファニーラだが、結局そのまま流された。
「じゃあ、……あー、本名ママはまずいですよね。何か偽名でも……」
何も言わない第五王子の態度を承諾と判断し、ファニーラは彼の偽名候補を考え始めた。
偽名だからと適当にはできない。本名からかけ離れては、慣れるまでに時間がかかる。近すぎても関連付けられる懸念はある。レイルバートから遠すぎず、そして本人だと悟られないような偽名が必要だ。
さてどうしようかと天井を見上げたファニーラを見ていた第五王子が、何やらひらめいたらしい。そっと身を寄せてきて耳打ちした。
「本名ルート、愛称ルーでいきましょう」
「殿下が大丈夫でしたらそうしましょう。ではルートさ、「ルーで」……」
「ルーで」
「…………」
「ルー、ですよ」
「……ルーさん」
「……今のところはそれでいいです」
満足そうにしつつもいささか物足りなさ気な感をかもしだす第五王子へファニーラが理不尽を覚えるのも、無理はないはずだ。
なんだこのゴリ押し。
第五王子ってこんな強気な子だったっけ?
原作ではいかにも王子様だったし、実際こっちの学園生していたときもどちらかというと優等生的な控えめさを前面に出していたような覚えがあるのだが。
ファニーラのそんな感情を読んだか、第五王子――もといレイルバートもといルート、いや、やっぱりレイルバートが、面白いものを見つけた子供のような表情で言う。
「ファニーラさん、押しに弱いんですね」
「身分に弱いんです」
「……じゃあ、身分で迫ったら陥落するタイプですか?」
「逃げるタイプですねえ」
「残念」
なにが残念なのか。
肩をすくめるレイルバートに問おうとしたところで、部屋の扉がノックされた。
今日も業務に忙殺されているギルド長が、ようやくファニーラとの面談時間を確保してやってきたのだ。
彼にとっては勝手知ったる本拠地の応接室である。ノックから間を置かず扉を開き、「よう」とファニーラへ笑いかけた。
ご覧くださり、ありがとうございます。
投稿日付で作品タイトルと概要の変更、編集をしましたメモ。今後もなにかいい感じのが出てきたらこっそり差し替える予感です。