主任の内緒の戦利品
飴型魔術具はめずらしい。
というか、魔術具を食べ物にしてしまうこと自体がめずらしい。
さらに、というか、そんな技術が公に出回れば、食べ物に魅了だの自白だの傀儡の魔術だの仕込み放題だ。だからファニーラは、自分がそのような技術を持つことを公開していない。食用魔術具だって自分のためにしか作らないし、用いるときだってこっそりだ。
知っているのはファニーラの家族と一部の職人仲間だけ。つまり、ファニーラと同程度かそれ以上に魔術具生成に長じた面々である。その彼らに食用魔術具の作り方を明かしたところ、『そんなのできるのおまえだけ』と口を揃えて言われてしまった。
ただ、便利なことは便利なのである。
たとえば魔術に使って消耗した魔素を強制的に補給する際、魔素を溶かし込んだ魔力回復ポーションと魔力練り込み飴のどちらが効率的かといえば、後者だ。溶かして薄くなったものと濃縮みっちりの差。
ファニーラはもともと大量に魔力を蓄えておける体質だけれど、万が一に備えて自分の魔力を飴として加工し保存している。このとき大気中の魔素を使えば他人にも与えられるものが作成できるが、魔素を使用するには術者の魔力経路を通す必要があるので、ファニーラ固有の影響を与えないようにするのが難しい。一応、暇があるときに作ってはいる。
いつなんどき、魔素欠乏症で命を危うくする誰かと遭遇するか分からないからだ。
今度こそは、そんな誰かを助けてやりたいと思うからだ。
……まあ、いまのところ、比較的生活の厳しいと言われる王都外周部にもそこまでピンチの人はいないようなので、ファニーラの出る幕はないのだった。
ついでに、現在、双子王子の戦いが終わった当日――この夜。
ひと気のない、建物もほぼない、そんな学園敷地のど真ん中にも、魔素飴を必要とする誰かはいない。
これからでっかい魔術を行使するファニーラ当人も、それに頼るつもりはない。
昼間のアレで相当に魔力を減らしはしたし回復しきってもいないが、ファニーラの手には飴よりももっと手っ取り早く外付け魔力供給源として働いてくれそうなものが鎮座している。
竜核である。
親指の先程度の塊で実に飴っぽいが、夜の闇よりも黒く、夜の星のようにまたたくそれは、正真正銘の竜核。第五王子から抜き取ったアレである。砕けたほうは心臓大のサイズだったようだが、あっちは囮かなにかだったのかとさえ思えるくらいの大小差だ。
ファニーラを経由して改めて実体化させたおかげか、それは彼女の魔力経路にも馴染む様子を見せていた。
となれば、ちょっと操ってみたくなるのが人の性というものではなかろうか。
ファニーラ、純粋な人族ではないけれど。
「着工は早いほうがいいからね」
うんうんと一人でうなずいたファニーラは、一年かけて準備した敷地内の仕掛けへと意識を泳がせた。
大丈夫。
ファニーラが足元から流した魔力は、きちんと各所の魔術具に接続された。きっちりと物理と魔術と経年劣化防御を仕込んでおいたから、状態も万全だ。
であれば、あとは魔術具を起動させるのみ。
ここで普段なら己の貯蔵魔力で事足りるところを、あえて減少中の身で外部供給源に頼ってみようというのが今日のファニーラの実験内容だ。
失敗しても、後日自分のが満タンになってから再挑戦すればいいのである。
竜核が暴走したらどうするんだという懸念は一瞬浮かんだが、たぶんそれはない。そういう直感は、ファニーラ、わりと当たる方だ。
手のひらの竜核に、ゆるくちょっかいをかけてみる。
……例えれば鼻先に指を差し出された猫が、戸惑ったあとに匂いを嗅いでくるような反応があった。ひくひく。ちょんちょん。ひくひく。――ぺろり。かわいらしくもくすぐったい感触は、ファニーラのちょっかいを許容するものだ。
あれだけ物騒な存在のなかにあったというのに、取り出してみたら愛らしくさえある。つまるところは魔力の塊たるそれを、どのように用いるかという話だろう。……あるいは囮と考えたあちらこそが、暴虐の権化であったということだろうか。
いまさらの問いである。だからファニーラは自問しないし、答えを誰かに求める予定もない。
今は粛々と、この場に立った目的を果たすだけだ。
『――復元魔術起動』
魔術具に接続するために伸ばしたファニーラの魔力をなぞって、竜核の魔力が運ばれる。到着した魔力は魔術具を起動させ、稼働させる糧となる。
……例えば炎を飛ばすとか。風に踊ってもらうとか。
そんな、一般的な現象を起こせないファニーラは、そのような役割を持つ魔術具に己の魔力を渡すことで、ようやく同等のことができるのだ。
だからファニーラは魔術具生成に長じるべく努力した。今もしている。
……半日とかからず瓦解した数多の建物を、土台から、そしてある程度の外観を見られる程度にととのえる復元魔術を広範囲に数分間で展開して実行して完遂するのだって、そのための魔術具を造り上げることさえできれば可能なのだ。
「さて……」
闇のまたたきを持つ竜核を用いたせいか、魔術具稼働中に光は生じなかった。
上空の風が雲を避けたことで降ってきた月明かりと自身のランタン型照明の助けを借りて、ファニーラは建物の仕上がりを確認する。己の眼だけでなく、小さな飛行型魔術具を飛ばして各方面からも見渡す念の入れようだ。予め撮影機で写しておいた当時の光景と見比べて相違がないことをたしかめ、満足げに息をついた。
といっても、もとの姿を取り戻すのが復元魔術だ。おかしな命令を設定していない限り、うっかりへんてこな形にするなんてことはありえない。ましてこの魔術具はすでに何度か使ったことがあるし、いや、それでも万が一を考えて、こうしてチェックを怠らないのがファニーラの真面目なところである。
商人は信用第一ですからね!
いまでこそ学園購買部主任の職を賜っているが、それももう契約期限だ。
無事、では全然ないけれど、卒業式も終わったいま、まもなくファニーラは以前の職に戻る。すなわち、各国をめぐる行商人兼魔術具職人に。
「よし、かんぺ……」
いい仕事をした、と飛行魔術具を回収していたファニーラの動きが一瞬止まる。
「あー」
講堂の土台のすみっこに、うさぎ型の焼印みたいなお焦げがついてしまっていた。
当たり前だが、壊れる前にはなかった代物である。
ファニーラ、うっかり調子こいたっぽい。
「……まあいいか」
これくらいなら、学園長や王家とて大目に見てくれるだろう。
一応報告書には記載しておくとして気分を切り替えたファニーラは、つづいて竜核の様子をたしかめることにした。
手のひらに乗ったまま、感触こそは硬くとも、ほんのりとやわらかくゆったりとした明滅……もとい暗滅を繰り返すそれは、ファニーラ自身すら相当量と思える魔術具を稼働したというのに、まったく消耗した気配がない。
なんというか、大海からスポイト一滴拝借しました、程度のような気がする。
さすが竜核。古の異物。遺物ではない、異物だ。
とうてい人の体に在っていいものではないと、ファニーラは改めて認識した。
だがしかし、これはたしかに素晴らしい。
破壊行為だのに使うつもりは毛頭ないが、これはある意味半永久機関的に魔術具の動力として使えるのではなかろうか。
王家も学園も、当の王子たちや巫女すら把握していないのだ。どうせ処分しに行くのだから、それまではちょっぴり恩恵に預かったっていいのではなかろうか。
商人はちょっとくらいずる賢くないとやってらんないからね!
ひとりほくそえんだファニーラは、意気揚々と現場を後にする。
翌日には真面目な商人もとい主任として、しっかり学園長に現場復旧の報告と、各建物の再建築に当たっておすすめの大工集団の紹介状を送っておいた。