ラストバトルの隅っこで・後
「…………」
ファニーラは目を凝らす。
同族から神の足元を撃つくらいはできるだろうとおちょくられる量の魔力を蓄えて体内を巡らせる彼女の五感は、やや特殊な能力を有していた。
たとえば瞳。視力がいい。それだけではなく、人であれば相当魔術に熟達しなければ叶わない魔力の流れを視認することができる。実はデメリットもあるのだが、それはさておき。
魔術具の鑑定に大変役立つその能力は常に垂れ流しで、だから今のファニーラが見るそれは、きっと、空目ではないのだ。
竜核は、壊れてなどいなかった。
厳密には――ふたつ存在するうちのひとつだけ、壊れている。ひとつは、無傷だ。
初めて知った。
原作でもゲームでも、こんなことは記されていなかった。
竜核が複数、存在するなど。
もう結界維持は良かろうと、講堂分だけ残して魔力を切ったファニーラは、改めて、徐々に高度を下げている黒竜を凝視した。結界のほうはすぐに消えるものではない。爆発的に満たした魔力が消費され尽くすまで、残念ながら出入り不可だ。皆さんもうしばらく引きこもっていてください。
さて、と考える。
黒竜の身が崩れているのだから、竜核のひとつを壊した意味はあったはずだ。
だが、第六王子とヒロインがそれで満足したようなのはどういうことか。追撃をかける様子も、警戒する姿勢もない。彼らの背中から感じられるのは、いたましげに見守る雰囲気だけだ。
まさかと思うが、まさかとしか思えない。
もしや、竜核の存在に、ふたりとも気がついていない?
しかし倒しきらなければ展開としての終幕には辿り着かないはずだが――
(あっ)
そうか、と、ファニーラはゲームの情報を思い出した。
たしか続編が企画されていたはずだ。残念ながらプレイする機会には恵まれなかったが、かつての生前、プロローグ的な情報は見た。
――倒されたはずの黒竜が蘇り……的な。
(それか!)
ついでにもうひとつ思い出した。
ゲームのエンドロールで流れるカットインのひとつに、物騒なものがあったのだ。結ばれたヒロインと相手だの、学園風景だの生徒たちだの日常だの行事だのが映し出されるなか――エンドマークの入る一瞬前に、小高い丘から学園を見下ろす人影のカットが存在した。
深くフードをかぶったマント姿で、すごく怪しい人物だった。
もちろんその正体についてはSNSでも紛糾したが――たいそう分かりにくいフードの影となった内側部分に、宝石のような輝きが描写されていることに気づく人が出始めた。しかも、色が違う。緑だという人がいて、青という人がいた。
つまり、2パターン。
ちなみに、緑は第五王子の瞳の色で、青は第六王子の瞳の色である。
さらに、王子たちは自分の瞳の色の宝石をイヤーカフとして日常的に装着していて――
(それか――――!!)
ふたつある竜核。壊れていない、ひとつ。
次作をほのめかすカットイン。
ファニーラはすぐさま動いた。
なぜと彼女に問う者はここにいないが、問われたら笑顔でこう言った。
ゲーム展開はプレイヤーの数だけある。マルチエンドも同様だ。
つまりゲームは人生だ。だからして、選択は少なくとも人の数だけあるのだと。
状況は収束に向かっている。
ファニーラが展開した結界は、まだまだ稼働中。中の人たちも閉じこもり中。
ヒロインと第六王子は疲労困憊らしく、立ち尽くして黒竜の墜落を見届けるのに手一杯。
未だ上空に居残る暗雲が少しずつ薄れていくなか、ファニーラはヒロインたちの死角になる位置で黒竜の落下予想地点近くに身を潜めた。
魔灰から身を守る防御陣が施されたマント(開発中)にくるまったファニーラは、さながら茶色の巨大芋虫だ。
なにしろ、魔灰は生物と相性が悪い。
大量に摂取したり長時間接触したりすると、心身に変調をきたすのだ。防御を固めるに越したことはない。
もともとは魔術を使った際に必ず発生する代物で、人間や一部の生き物が大気中の魔素を取り込んで消費する際、どうしてもゼロにできない、いわば排泄物の一種である。微量適量であれば循環を経て魔素に戻るが、今回の黒竜みたいなこんなデカブツの残したものは、専門家の手によって一気に回収処分する必要がある。自然拡散を待っていたら、学園及び周辺地域が惨事になる。
まあ、そのへんの手配は王家とか学園の偉いところがやっているのでご安心。魔灰に慌てふためいた大昔と違って、今は各国の主要都市に魔素の処理設備がちゃんと備えられるようになったのだ。
芋虫と巫女と王子が見守るなか、とうとう黒竜が地に落ちた。
落下中からその兆候はあったが、衝撃で黒竜の崩壊が本格的になる。
ぐずぐずと崩れていくその魔灰に、ファニーラはすかさず潜り込んだ。視界を守るゴーグルごしに、竜核の微弱な魔力をたどる。……あまりにもか弱いそれは、だから巫女たちの目を逃れてしまうのだろう。そして予想だが、今回黒竜化した第五王子の体内にとどまって力を再び蓄えて次作フラグが――
(もういいよ)
ファニーラは思う。
推しは第六王子だし、彼の恋が実って嬉しいのはもちろんだが、恋に破れた挙げ句に恋した女性と実の弟からこてんぱんにされた第五王子が、またしても倒される立場になってしまうなんて、あんまりではないか。
匍匐前進で魔灰の中を突き進んだファニーラは、やがてたどり着いた気絶中の第五王子の肉体に触れて、己の予想を確信した。
彼の内側をめぐる、二種の魔力。本人のものと、黒竜のもの。後者を回収するのがファニーラの目的だ。これはきっと、彼女にしかできない。
いいじゃないかマルチエンド。この世界はファニーラの現実だ。ゲームだけれどゲームじゃないのだ。
(ファーストキスだったらすみません)
意識のない第五王子に、こっそり謝るファニーラ。もちろん効果はない。
だって魔力のやりとりは、皮膚越しよりも粘膜越し。より深く接することができれば望ましい。
道徳と倫理を大きく逸脱せずその条件を達成できる手段といえば――ちょっとディープなソレが最善だ。
大丈夫、大丈夫。
なにしろファニーラは購買部の主任である。ゲームではアイテムショップの店員だった。つまり大人なのだ。人間とは年の数え方や成長速度が違うけど。
だから自分こそがファーストキスなのだとか、相手の同意がないだろってことには目を瞑る。事態は一刻を争うのだ。
ファニーラは物理的にも目を瞑って――ゴーグルをちょっぴりぶつけつつ、第五王子と唇を重ねた。ついでに舌も突っ込んだ。恋人同士がよくやるようなぐちゅぐちょ動きは不要なので、粘膜を触れ合わせたまま静止して魔力を選び吸い上げる。
自身の貯蔵が、結界展開のためにほぼ空になっていたのが幸いした。
戦いで消耗しきった黒竜の魔力は、かろうじて竜核をひとつ維持するのが限度だったらしい。それでさえファニーラの貯蔵庫に貯めるばかりでは溢れて器を破壊しそうな量ではあるが、吸い上げる端から放出するので問題ない。
口内から取り込んだ魔力は、ファニーラの魔力経路を一巡りさせればわずかに馴染む。馴染んだところで手のひらに誘い、結晶化するよう促していけば――さして時間もかからず、第五王子の体内にあった竜核は、ファニーラの手に握られた。
最後に残滓がないかを探り、舌を戻して唇を離す。わずかに唾液がつながって離れる感触があった。
「……」
よしよし、と眠る第五王子の呼吸をたしかめ、頭を撫でて、ファニーラはひとつの魔術具を取り出した。
購買部でお買い上げの生徒たちにサービスしていた色とりどりの飴玉――に、よく似たそれは、実際に飴だ。口にふくんでいる間、魔灰の影響を軽減する結界で使用者の肉体を包む効果がある。
なにしろここは黒竜の魔力の残り滓の中なのだ。竜核を失ったことで只人に戻った第五王子が、魔灰からさらに変な影響を受けたら本末転倒というもの。
かといってファニーラのマントは残しておけないし、効果としては焼け石に水程度としても、これくらいはしておくべきだろう。きっともうそろそろ、講堂の結界も解けてヒロインたちの体も動かせるようになるころだ。適当予想だが。
誰かがここに至る前にと、ファニーラは早々に撤退した。