魔獣はまとめてぶっ飛ばすもの
王都をあとにして数時間。時刻としては、午後の一時。
太陽が中天から少し滑り始めるころまで、トライクは休みなく走り続けた。座席の振動対策もバッチリなので、夜行バスに慣れた若人であれば丸一日でも大丈夫だろうとファニーラは思っている。現に自分は大丈夫だ。なお夜行バスについては妄言として処理してほしい。そんなものはここにはない。
荷台のウェズが辛くないかというのは気にかけていたが、彼は彼なりに影として体の使い方を熟知しているおかげで、移動ダメージは少ないらしい。一行のなかでは一番箱入りに近く育ったレイルバートも、がんばっている。
とはいえ、まったく休憩なしというのも味気ない。いや、各人お花摘みの小休憩はしましたけど、それはそれ。急ぐ旅でもなし、昼食兼ねて一時間ほど滞在しても、おやつの時間には目的地に着くはずだ。
最初の目的地――ファニーラの行商先、かつ、レイルバートが希望した立ち寄り先でもある中都市までの距離が残り三分の一ほどになった頃合いで、一行は休憩することにした。
街道に点在する休憩所のひとつが目に入ったのと、間のいいことにそこが無人でもあったからだ。レイルバートにせよウェズにせよ、余人の目が少ないに越したことはない。
ふんふん、鼻歌とともにトライクを休憩所に寄せて停めたファニーラの後ろで、レイルバートとウェズが、よろよろと降り立った。
「酔いました?」
「……い、いえ……少し、そういうのでは……なく」
「……トライクえげつない……」
「そうですかねえ」
ファニーラは、青い顔してしゃがみこむふたりを、せめて屋根のある場所で休めと休憩所へ連行した。ぐったりと背もたれに寄りかかってはいるが、勧めた飲み物はきちんと摂取しているし、放っておいても大丈夫そうだ。
その間に、と、ファニーラはトライクの傍へ戻る。久しぶりに三人乗りなんてしたから、調子がおかしくなってないか、一応点検しておきたい。
端々をチェックしながら、もう一度屋根下のふたりを見る。顔色が少し戻ったようで、一安心。酔ったのでない、というのはほんとうだろう。走った場所は街道傍だけあってそこそこ平坦だったし、途中まではふたりとも元気だった。
となれば、考えられる原因はアレしかない。
魔獣退治と魔灰散らしだ。
ここに到着するより少し前――魔獣の発生を促す魔灰溜まりが、ファニーラたちの行く手に存在していたのだ。なにごともなければギルドに報告して注意を促すだけにするのだけれど、今回はすでに呑まれてしまった生物がいたらしい。まだ距離が遠い時点からも、みょこ、と異形に膨らむ黒いモノが、複数、視認できた。
王都などといった人の多いところでは、地脈に魔灰を流し込む仕掛けがあるが、自然のど真ん中に生じるものは、場所も時もランダムだ。街中のように事前対処はできない。発見者が散らしておくのが、旅人たちの暗黙の了解となっている。
ただ、今回のように、すでに魔獣と化したモノが出現している場合、話はちょっと違ってくる。倒せるならば善処してほしいけれど、無理はせずに通報だけでもいいからね、という感じである。いのちだいじに。
さてファニーラの場合はどうなるか。いままで、一人旅でも複数旅でも、魔灰溜まりから出てくる魔獣を見つけたならば、とる手段はひとつだった。
少し遅れて魔灰溜まりに気づいたレイルバートが背後のウェズを促そうとしたか、片手を彼女の腹から外した。いや、外そうとした。それを、きゅっと握って引き止める。
「ファニーラ、さん?」
ファニーラの視線はずっと魔灰溜まりを見据えているので確認はできないが、頭上の声はちょっと照れているような雰囲気がある。さらに、後部からウェズも声をあげた。体の向きも変えたようだ。なんとなく次の行動の予測がついたファニーラは、彼の言葉を途中で遮る。
「前方2時方向――魔灰溜まりですか。処分して……」
「いえ、そのまま乗っていてください」
「え」
「というか振り落とされないように、おふたりともしっかりつかまっててくださいね」
「えっ」
ふたりぶんの戸惑いを背にしたファニーラはレイルバートの腕から手を離し、グリップを握り込む。
そして、進行方向を魔灰溜まりへと調整し――一気に加速した。これまでの駆歩相当から襲歩すら越えた速度で直進する。雑草がちぎれて小石が飛び、地面も深いタイヤ跡を残して抉れていく。
「行きます! 『掃討盾起動』!」
あわててファニーラの腹を抱え込むレイルバートの腹にウェズがしがみついた瞬間、トライクの正面に高密度の魔力で構成された長方形の盾が出現した。車体全高を優に超え、横幅もトライク二台が並んで余裕があるほど。この大きさなら風の抵抗も相当のはずだが、そこは安心の魔力製。透湿性能は備えております。ただし魔獣は通さねえぜ!
――というわけで、どっかーん。である。
まだまだ魔灰溜まりから離れきれずにいた生まれかけの魔獣集団は、猛スピードで突っ込んできた巨大盾によって吹っ飛ばされた。半分ほどが即座に霧散して、魔核がころころ地面に転がる。魔獣を滅した証だ。残り半分はまだ形を保っているが、おかしな感じに千切れたり捻れたりと、散々なありさまだった。
はねられて落ちる魔獣を追い越したトライクは、地面を削りながら急停止した。うぐ、ぐえ、と衝撃を受け流しそこねた男性二名のうめきがこぼれる。
初心者にはキツイ運動だったろうかと思ったファニーラだが、獲物はまだ全滅していない。強引にレイルバートの腕をほどいて、地面へ降り立った。
「待っててくださいね。すぐトドメ刺してきます」
「ちょ、待、」
「助力、します!」
「無理しなくていいですよ! よれよれで近づいて反撃されるほうが怖いです!」
「いいえ!」
どちらかというと具合を慮って留まっていてほしいと思ったファニーラだったが、そこは男の沽券というものがあるのかもしれない。男性ふたりは意識をはっきりさせるためか、数度頭を振ってしっかりと自分の足で立った。
早速向かおうとしたウェズを、だが、レイルバートが押し止める。
「主殿」
「近づかなければいいんだろ」
しっかりと本名を隠して呼びかけるウェズの言葉を受けたレイルバートの視線が、魔獣たちへ向けられた。どうやら気力は持ち直したらしく、動作に揺らぎはない。
うむ? と。そのころには、ファニーラも体ごと主従を振り返っていた。物理攻撃のことしか考えていなかったが、彼らには攻撃魔術のあてでもあるのだろうか。けっこうバラけて落ちていったので、めんどうでもちまちま一体ずつ潰していくつもりだったのだが。
「ファニーラさんもそこにいてくださいね。――では」
ファニーラがうなずいたことを確認して、レイルバートの腕がまっすぐ、彼の視線が向く方向を示して掲げられる。
そうして紡がれる、一言。
『行け』
ばちばち、と、黒い雷がレイルバートの手のひらからほとばしった。黒い光線のひとつひとつが、的確に、うごめく魔獣たちを地に縫いつけるように突き立っていく。驚くべきことに、出現した雷は一筋の無駄もなく敵を魔核へと変えてのけた。
威力も軌道も、緻密な操作能力がなければできることではない。大雑把に体当たりしたファニーラとは、まったく反対だ。
「ふわあああ、すごおおおおおお」
感嘆の声をあげるファニーラの思考の片隅が、この黒いのどっかで見たぞと訴える。
「あ、黒竜のアレだ」
そう、それ。
規模は小さいが、あのラストバトルで白竜と巫女にビシバシやってた攻撃のひとつだ。現地ではファニーラだけが観戦できたが、学園敷地外からでもおそらく、空より降り注ぐ禍つ雷光の片鱗は見えたはず。さぞや人々を震わせただろう。
あの巨大な竜の外殻を失って人の器になった分、相当に慎ましい規模まで落とし込まれたようだが――その分、精度が上がっているように見受けられる。
「すっごいですね! 使えたんですか!」
「規模は段違いに落ちますが、因子がまだあるので。……怖くありませんか?」
「めっちゃ頼もしいです!」
「よかった」
少し不安げに問いかけてきたレイルバートだったが、ファニーラが笑って答えてみせれば、ほっと表情をゆるませた。
しかし、そもそもおかしなことを訊くものだ。
あのときもそうだし、今となればもちろんのこと、暴走するでもなしにきちんと操っているのだから、何を心配することがあろうか。まして、こうして旅をともにする仲間である彼を相手に。
念のためにと一体一体チェックにまわっていたウェズが、魔核を回収して戻ってくる。
風にさらわれた魔獣の残滓は、寄る辺を探すように自分たちが発生した場所――魔灰溜まりへ集っていた。材料となる生き物の死骸や、うっかり魔灰溜まりに飛び込んだ生ける虫だの動物だのはもう全部使われきっているだろう。
そもそも、残滓だけが再び凝ったところで、新しい魔獣が生成されることはない。一度魔獣と成った魔灰は、こうして倒され散ったあとにも材料となった異物はそのまま混ざり込んでいるからだ。これは地脈まで流されることによって濾過され、純粋な魔素へと巡っていくのである。
さて、魔獣の完全消滅が成れば、ここでの残り作業は魔灰溜まりの始末だけ。
訊けば、レイルバートもウェズも、魔灰溜まりの処理は未経験だという。王子は納得だけれど、影もそういうものなのか。驚いたファニーラにウェズが答えて曰く、
「自分は捨てられて回収されて売られて王都へ運ばれて逃げて殿下いや主殿に拾われたので」
とのことだった。重たいなあ。
拾われたあとはもう影として第五王子の専任となるべく、ひたすら修練に明け暮れてきたそうな。そりゃ外でいろいろやる機会もないだろう。一応、知識としては修めたらしい。
「じゃあ、おふたりとも最初ですから、私がやるのを見てみてください」
たどり着いた魔灰溜まりは、肘から指先までの直径ほどの面積を持っていた。ゆるく泡立つものがなければ、ただの影のようにも見えるだろう。が、そのような影をもたらす物体はないので怪しいとすぐ分かる。
これが他のなにかの影に紛れていたなら、発見の難度が上がるのだ。魔灰の探知機も開発されてそこそこ普及しているとはいえ、感知可能な距離の都合もある。今回のように出現中の魔獣どもがもっこもっこと主張していれば、視認できるから楽なのだけれど。
男性ふたりには少し離れた位置に待機してもらう。見やすいように少し横手に回る分には問題ないので、彼らを視界の端っこにおさめたまま、ファニーラは身をかがめた。
魔灰溜まりの縁から少しだけ離れた地面に、人差し指から薬指までの三本を揃えて軽く押しつける。
ファニーラは魔力を一般的な魔術のように現象としての形にできないけれど、これから行なうことは魔術ではない。やり方さえ間違わなければ、誰でもできる――地脈の召喚だ。深く深く地の底をめぐる脈動は、いわば世界の血液。何千本、何千万本と束ねられた輝く導管のほんの一筋をいざなう、ささやかな呼びかけ。
ファニーラが浮かべる映像はそういったものだが、脳裏に描くイメージは人それぞれだ。地の底深くから一筋を招くという認識を、たがえなければいい。
中指に魔力を集めて位置を固定したまま、人差し指と薬指で小さな円を描き、呼びかける。
『――みち、みちびきて、みちてゆけ』
指の腹にほんのりと熱が生まれれば、成功だ。
待つこと数秒――とぷん、と、魔灰溜まりの泡立ちが大きくなった。
「うわ……」
「なるほど……」
レイルバートとウェズの声を聞きながら、やってきた地脈の一筋が魔灰に触れ、誘い吸い込んでいく様を見送る。お風呂の栓を抜いたような、というのが適切かもしれない。
……前世のお風呂ではない。この世界のお風呂である。
さすがはゲームワールドというか、いや、ファニーラだって数百年生きてきた積み重ねがあるのでれっきとした現実世界として認識しているのだが。ともあれこの世界、魔術具云々魔術云々で、基本的な生活手段はファニーラの前世と似通ったものが多いのだ。魔術具として水道があったり下水を流せるようになっていたり浄化の魔術を用いた水質浄化槽があったり……電球じゃなくて魔術具の灯りがあったり……うん、成り立っているものは成り立っているのだから、深く考えないほうがいいと思う。
それにつけても電波の欲しさよ。雷喚ぶだけじゃ電気にはならないよね。
ふっと遠い目になるファニーラの背中は、微妙な侘しさを醸し出していた。