いざ出発
車輪の音も軽快に、魔導トライクは街道を行く。
天気は上々、晴れ渡り。空を行く鳥にも時折すれ違う野生動物にも、今のところ異常はなし。馬車を追い抜けば手を振り振られ、馬とのチェイスは自粛一択。徒歩の一人旅にかち合えばたまには同乗もさせるのだけれど、今回ばかりはそれもなし。
ファニーラ操るトライクは、街道から少し離れた整備されていない部分を進んでいた。街道の利用は基本的に徒歩や騎乗、馬車などが優先されるので、というか、トライクなんて乗ってるのファニーラだけなので。他所様の馬を怯えさせても困るし、うっかり衝突事故とか起こしても困るし。つまり、いつもの道程である。
いつもと違うのは――同行者がいることだ。ファニーラがトライクで移動するのは一人旅のときが多い。だから、今回のようなパターンは珍しかった。
まあ、トライクは数人乗ってもつぶれませんし? 百人はさすがに無理ですけど。
今回乗車しているのは、百人どころかたったの三人である。安心、安心。
その三人のうちのひとり、ファニーラの後ろに座ってぎゅっと彼女の腹を抱いているレイルバートは、出発時点から楽しそうに周囲の景色を眺めているようだ。時折、ファニーラやもうひとりの同行者に、あれこれと語りかけている。
竜のことがあって生まれてこの方王都から出たことがないというレイルバートにとって、見るもの聞くもの何もかもが新鮮なのだろう。
なおもうひとりのウェズはというと、レイルバートと背中合わせに腰掛けて主に背後の警戒役を買って出ていた。別に用心とか要らんとファニーラは言ったが、何か仕事をしていないと落ち着かないらしい。というか、影のくせして堂々と旅に付き合っていること自体、座りが悪いんだそうだ。本人は明言しないが、だから仕事で気を紛らしたい、ということもあるんだろう。
気持ちは分かる。よくよく分かるが、仕方ない。
移動手段がトライクである以上、馬車のように屋根に乗ってもらうわけにも、徒歩のようにこっそり着いてきてもらうわけにも、騎乗のように並走してもらうわけにもいかないのだから。
そしてファニーラは道程を最速で踏破できるトライク利用を譲る気はなかった。
――彼らがこんな旅の仕方をすることになった理由については、王都出発前まで遡る。
謎じゃない謎のおじいちゃんと別れたファニーラが身の回りのことをこまごまやりつつ待つことしばらく。ちょっと息を荒くしたレイルバートとウェズが揃ってやってきたので、彼女のいるテーブルの人口密度は三倍になった。
育ちのよいお坊ちゃんと黒頭巾ちゃんなんてペアは、あっという間に周囲の注目を集めてしまう。思わず遠い目になったファニーラは、バタバタしていたせいで渡し忘れていた身分証と、ついでに造り上げておいたイヤーカフをレイルバートに渡した。
彼がもともと付けているものに追加して違和感ないように成形したので目新しくもないはずなのに、なぜか捧げ持たれて感謝を告げられてしまった。いそいそと付けたあと、どうですかと喜色満面に問われたけれど、だから、ほんとほとんどそのままなんだってば。もともとつけてるイヤーカフが5ミリくらい長くなったように見えるだけなんだってば。とは言えず、うんうん似合うよと笑っておいた。きらめく笑顔が降ってきた。
そんなレイルバートにはちょっと申し訳ないが、イヤーカフの機能が予定と違っていることも合わせて説明するファニーラである。
「違う、というと?」
「瞳と髪に着色します。魔素でうすーく膜をつくって、光の屈折をごまかすんです」
「……へえ!」
認識阻害は近づいたりしっかり注目されてしまえばおしまいだけれど、ファニーラの作ったこれなら、よりバレにくいはずだ。
「耳につけたままでなくても、体から、そうですね……身長以上離さなければ効果はあるようになってます。今から利用者登録と色の設定をしてしまいましょう」
「おまかせします」
「いや色の希望は出してくださいね」
などとやりつつ、金黒色の髪を焦げ茶色に。彩り踊るスフェーンは、琥珀色に。鏡やガラスなどに映った姿を本人が見た場合にも反映されるので、手鏡を貸してみせたところ、違和感に苦笑いを隠せぬレイルバートがいた。
ちなみにファニーラが眼鏡を外すと、いつもの金黒色とスフェーンの共演のまま見えたりする。もともとの体質のせいもあるが、見えないようにもできたが、そのままにした。
だって、その昔から好きな色合いなのだ。黒混じってるけど。推しじゃないほうだったけど。じゃなくても、キャラクターとしては好きだったし。今こうしてレイルバートとして生きる彼にだって、好意はあるし。
学園購買部のころは前世のゲーム記憶が出てきてなかったこともあって、一般的な生徒と関係者の関係だったと思う。それでも、ほら、ああいうゲームだったからか、基本、顔がいい人が多いわけだし。眼福を楽しんでいた記憶は、たしかにあるのだ。
ともあれこれでレイルバートのほうは解決したとして、問題はもうひとつ。ウェズだ。
怪しさ炸裂してるから黒頭巾をどうにかしろと言ってみたが、首を横に振られた。職業病ですね気持ちは分かる。分かるが、お天道様の下じゃ逆に悪目立ちするって自分でも分かってるよね?
「顔を出すことに慣れていません」
「今からおてんとさまのしたで行軍ですよ。慣れてください」
「いえ、こっそりついていきますから……」
そこでファニーラは首をかしげた。
「どうやって?」
ウェズも首をかしげた。
「どうって……徒歩ならそれなりに。馬はもちろん乗れます。距離を置いて付き添います。もし馬車を使うようでしたら、屋根を拝借して隠行で潜みます。周囲の警戒をさせていただければと」
「屋根の上でどうやって潜むんですか」
「できるだけ平たく、うつ伏せに同化します。隠形術の一種で――魔素で体を覆って、ある程度素材になじむように錯覚させられますので」
なるほどカメレオンか。
レイルバートにあげたイヤーカフの類似機能かつ広面積版ともいえる。おもしろそうだ。今度そんなマントも開発してみようかな、と考えるファニーラだったが、現在の問題はそれではないので、脳内のアイデアボックスに突っ込んでおいた。
それから、首をそれまでと反対側にかしげて、さらに質問しますよと前フリしたのちにこう言った。
「徒歩でも馬でも馬車でもないです。移動用の魔術具を使います」
「……え」
「馬の駆歩くらいで休憩なしで移動できるので」
「な……なるほど……」
求められる方向性を察したらしいウェズの、フードに隠れていない顎部分。そこに、つぅと冷や汗が伝うのが見えた。
ふと、レイルバートが割り込んでくる。先日同乗したことを思い出したらしい。
「あれ、そんなに速い乗り物だったんですか?」
「あのときは街中でしたから。ゆっくりペースで行きました」
「なるほど」
さてここで、ウェズに質問である。
「――ついてこれます?」
「……無理ですね」
フードの下で、むっちゃくちゃ悔しそうに唇を歪められてしまった。単純に技量のなさを嘆いているだけだと分かってはいるものの、ひんまがりっぷりがすさまじい。わりと素直かこの影。
「座席に二人乗り、後ろの荷台部分に一人乗りできますよ。観念してどうぞ」
道交法何それ以下略。
「……、……分かりました……」
それでようやく。しぶしぶながら、ウェズはうなずいた。搭乗時、どういう姿勢であれば一番フードが風に煽られなくて済むだろうかと姿勢を検証する念の入れっぷりも見せてくれはしたが。
結果として、ファニーラの後ろがいいと言いはるレイルバートを風よけにして後ろ向きに座るという移動体勢が出来上がったのである。
「ルーさん。風の当たりが強かったら、体高を低くすると楽になります。私にかぶさって大丈夫です」
「はい。よろこんで」
出発後、速度が上がり切る前にファニーラがそう伝えたところ、レイルバートはうれしそうな声で応じた。そしてすぐ身を寄せてきた。気が早い。
「……りんごのお姫様に出逢えてご機嫌ですね、殿下」
「こら、ルートって呼べ。でも、うん、そうだな。たぶん今、人生でいちばんうれしい」
などと小声で交わされる会話は風の向きもあって、ファニーラの耳に届く前にさっさと後方へ流れていく。
だから、もっと小さなつぶやきも、ファニーラには聞こえなかった。
「――うれしいままで、終わりたいな……」
沈黙を保ったウェズの鼓膜がそれを拾ったかどうかは、本人しか知らない。