わけあり主従の出し抜き抜かされ
繰り返す。
その声は頭上から降ってきた。
ファニーラとウェズの現在地は、まだ門が見えるまでには距離がある。そして進行方向に人影はない。ので、誰もいない前方から声がしたらしたで怪奇現象だ。かといって、頭上とはどういうことだ。
ひとまず出どころをと追って見上げた先は、王都を囲う壁と空の境目だった。
時間が早いせいでまだ低い太陽の光から横殴りにされている金髪を風に揺らした第五王子殿下もといレイルバートもといルーの姿をファニーラが視界にとらえたその瞬間、輝くそのひとつの人影は、勢いよく地上へと降り立った。
壁の高さけっこうあるのに身軽だな。たぶん影のかた方面からの教育の賜物だな。
などとのんきに構えるファニーラは気づかないけれど、彼女の横では、ちょっと身を固くする気配がある。
ファニーラたちから少し距離を置いた場所に着地したレイルバートはすぐに立ち上がり、早足で距離を詰めてきた。
「ウェズ! おまえ!」
「おはようございます、ルーさ……おぅ?」
上下するりんご色をそっちのけで、王子様は黒頭巾ちゃんにくってかかる。王子様なのに相手の首根っこを掴み上げるという荒ぶりっぷりだ。
二人がその体勢になった瞬間に続く展開を察したファニーラは、自分たちの周囲にドーム型の認識阻害と防音結界を広げておいた。荒ぶる王族の姿を余人にさらしていいはずがない。
そうして案の定、怒気満載されたレイルバートの声が響き渡った。
「いい加減に諦めろ! 同行は師父だと決まっただろう!」
ん?
「ですが師父より、自分の方が腕が立ちます! 勝ち抜いたのは自分です、なのに二番手の師父が選ばれるなど、おかしいではありませんか!」
おや?
「必要なのは腕前だけじゃない! ――適性を考えてのことだ。聞き入れてくれ」
「お断りいたします。貴方の身を守り切ることが、自分の務めですから」
「…………っ、だから……!」
もどかしげに表情を歪めるレイルバートが絞り出す声を聞きながら、ファニーラは状況を整理する。
つまり勝ち抜き戦はウェズが一位で師父が二位。順当にいってウェズが王子様に同行することになるところを、適性から師父に決定された。それを不服としたウェズが、おそらく昨夜と今朝、師父と王子を出し抜いてファニーラに接触したということだろうか。
……適性とはなんぞや?
訊いてみようかなーどうしようかなーと首をかしげたファニーラは、言葉の先を失ったレイルバートならびに同行の許可が出るまで粘るらしいウェズを眺めた。
膠着状態もいいところである。どうすんだこれ。
個人的にはこのまま依頼がうやむやになっても構わないのだが(どうせ竜核はファニーラが持ってるし、自分だけでも行けるし)、じゃあおふたりでもめてる間に行ってきますね、とかやったら二度と王都で商売許可もらえない気がする。
うーん。
とりあえず、ちょっと話題をそらして空気を緩和させよう。そうしよう。
「お取り込みのところ恐れ入りますが」
「あっ……! あ、すみませんファニーラさん、これは、その」
「いえいえおかまいなく。で、ウェズさん」
「……はい」
取り乱したことを慌てるレイルバートを軽く流したファニーラは、神妙な顔で待機するウェズに問いかけた。
「どうやって師父さんを出し抜いたか、後学のために教えてください」
「……師父が贔屓にしている華の方に金子をはずんで三日ほど骨抜きにしていただくよう……」
「わりとよくある手段ですね」
影を率いるような立場の者も色には弱いんだなと納得するファニーラの視界の端っこで、レイルバートが頭を抱えていた。
まあもう来てしまったんですからこのままでもいいんじゃないですかとファニーラは言ってみたが、レイルバートは苦々しい顔をするばかり。どうにかウェズと師父を入れ替えられないかと考えているのが丸分かりだ。
対してウェズは、テコでも戻されてやるものかと徹底抗戦の気配を醸し出している。ふたりの背後に和風の竜虎的な何かが見えるが、もちろんスルー一択。
とはいえ、いつまでも外壁で睨み合ってもいられない。うっかり近くまで魔獣が来たりして戦いになってしまっては、音などが門にまで聞こえてしまう。耳目を集めるようなことは、王子たちも避けたいはずだ。
そういうわけでファニーラは改めて、門内での食事を提案した。レイルバートとウェズも事態の硬直を一旦保留することには賛成のようで、促されるまま移動する。ちなみにこのふたり、正規の手続きで門を出ていなかったので、また壁を越えて中に戻った。
とくに力む様子もなく地を蹴り、一度だけ壁を足場にしてジャンプふたつで飛び越える姿を見送ったファニーラは、ウェズがレイルバートを追いかける前に引き止めた。わりとどうでもいいことを尋ねたが、彼は意外にも親切に解説してくれる。
「なんですかあれ。曲芸ですか」
「鍛えれば出来るようになりますよ。少しだけ浮遊の魔術をまとって――」
「あっ私、そういう魔力の使い方できないんです」
ていうかいいのかそんなこと教えて。影。
「貴女もおっしゃったでしょう。曲芸……軽業師の定番です。もっとも、自分どもの界隈で使えるようになるには専門の訓練が必要ですが」
「なるほどー」
そういえば旅芸人一座とかとも商隊組んだことあったな。ファニーラは過去を思い返す。同行の面々とはもちろん仲良くさせてもらったし見世物も楽しんだ。どちらかというとファニーラはネタを考えずに目の前の芸を楽しむ性格なので、手品の裏がどうなっているかを考察したことはなかった。
ネタに使う品物を取り扱ったことはあるが、使いみちまでは訊かないのだ。だってネタバレしたらつまんなくね? そういうことだよ。
同じく飛び越える背中を見送り、曲芸師なるほどとつぶやいて入都手続きをする列に並ぶことしばらく。ファニーラは待機していたレイルバートとウェズに合流し、おすすめの店へ移動した。ちょうどよく隅っこの四人がけが空いていたのでそそくさと占拠させていただく。
そういえばウェズのマスクは大丈夫なのかと見ていたところ、とくに抵抗なく外していた。融通は利くようだ。
各自メニューを頼み、飲み物で一息ついたところで密談の開始だ。今度はファニーラもちゃんと断りを入れて結界を張った。
……とはいえ、議論は平行線である。
「ウェズは戻って師父に代われ」
「お断りいたします」
「命令だぞ」
「誓いを違えられるのでしたらどうぞ」
「…………」
レイルバートのほうが、やや劣勢だ。
訊いていいのか判断がつきかねたが、ファニーラはそこでふたりに割り込んだ。
「誓いってなんですか?」
「自分がこのかたに拾われたとき、身命を賭して常に傍に在り御身を守ると誓い、受け入れられました」
ウェズは軽く答えてくれたが、内容はなかなか重かった。
そうだよね、レイルバートより小さめの体格(見た目)で影やってるもんね、それなりになんかこう裏事情というものはあるよね。
「誓いを破るとどうなるんです?」
「身命を賭しているわけですから死にます」
「おおおおぉぉぉい」
「だから、今回は誓いも休んでいい、ついてくるなと……」
ほんっと重いなー! と頭を抱えるファニーラ以上に、レイルバートがあふれる苦悩を隠さないままつぶやいている。
そんな主君を見るウェズの双眸が、ファニーラからは見えないフードの奥でいたましげにすがめられた――そんな気がした。
「……だから、今回は譲れません」
レイルバートと同じほど苦しげな声で、ウェズがつぶやいた。
いかにも訳ありな主従のやりとりに突っ込んで事情を尋ねるべきか。数秒悩んだファニーラは結局、それについては触れないことにした。必要ならば向こうから話してくれていたであろうし、この会話でお察ししてほしいのであれば、できないファニーラが悪いのだ。後で何が出てきても対処できるように、可能性の模索だけは忘れないようにしておけばいい。
そうして自分の中で区切りをつけたファニーラは、別方向からこの不毛なふたりをどうにかすることにした。
「お話を聞く限り、師父さんは、その世界で凄腕なんですよね」
「え、……はい」
普段の調子そのままで割り込んだファニーラの言葉に、レイルバートとウェズがそろって、気の抜けた顔をする。ファニーラは、そんな彼らの前に指を一本立ててみせた。
「でしたら、ウェズさんのたくらみなど三日と言わず一晩程度でお見通しでは? それであえてこの場にいらしてないとなれば、お考えの見当もつくような気がしますよ」
「…………」
「…………」
顔を見合わせたレイルバートとウェズはそのまま数十秒沈黙し、
「…………ッ!!!」
「…………!!!!」
片や両手で顔を覆って天を仰ぎ、片や身を折り曲げて両腕で力強いガッツポーズをキメてのけた。
ようやくカタがついたと確信したファニーラは、ちょうど料理を持ってきた給仕の女性に向けて、気にするなと笑顔を浮かべる。そうすれば、相手もさすが熟練の接客業。心得たようにテーブルの空いたスペースに料理を並べ、楚々と戻っていったのだった。