赤色リボンのうさぎちゃん
ああ、とファニーラは再び手を打った。
「そういえば、かわいらしいお坊ちゃんがいました。そうそう、ちょっとそこらじゃ見ない身なりの子で。うちの店の前で途方に暮れてたから、おまけ用に置いてた飴を差し上げて、近くの衛士さんに案内所まで連れて行っていただいた……、……マジですかあの子ですか! ふわふわの金色うさぎちゃんみたいだったあの子?」
「うさぎちゃん……」
「濃紺の上下と赤いリボンタイでしたよね?」
「あ……はい。そうです。うさぎちゃん、って」
「大きくなりましたねえ! もううさぎちゃんなんて言えませんねえ!」
記憶の映像を一気に言語化したファニーラだが、実はちょっとマイルドに言い換えた部分がある。あの日の小さなお坊ちゃん、途方に暮れていたというより、ファニーラが彼の姿を認識したときには滂沱と涙を流していたのだ。マジびびった。
子供なら甘味で復活するか、飴がいいか金平糖がいいか。ひたすら慌てて、容器をひとつぶちまけたのもいい思い出――いや、苦い損失だ。感謝しろ蟻。
しかし、おかげでいろいろとうなずけることに思い当たったファニーラは、勢いに乗じてこれまでは生徒だとか王子殿下だとか向けに被っていたよそ行きの皮を一枚剥いだ。そのせいか、ちょっぴり近所のおばちゃんっぽい気分にもなってしまって、出てきたのがお坊ちゃんの成長をよろこぶ歓声だった。
一気に距離を詰めて目を輝かせる彼女の視線を受け止めたレイルバートはというと、予想外半分、嬉しさ半分の微妙な表情になっている。
「これでもそれなりに成長したつもりなので、うさぎちゃんは、やめてもらえるとうれしいです……」
「ご安心ください! もう立派な獅子……いや、ごーるでんれとりば、いやいや……」
「れとりば?」
この世界にゴールデンレトリバーはいなかった気がする。似たようなのはいるが名前が違う。よし、話を変えよう。ファニーラは急いで舵を切り直した。
「まあまあそれより、覚えててくださってありがとうございます。でもあのとき、お一人でしたよね。ギルバート殿下や護衛のかたはご一緒じゃなかったんですか?」
それどころか、衛士に預けるまで関係者が名乗り出てくる様子もなかった。ちょっといいところのお坊ちゃんがはぐれた程度に考えていたので今の今まで疑問には思わなかったが、王子様にそれはまずい。護衛はどこで何をしていた。
などと振り返りながら尋ねたところ、レイルバートの視線が、つぅーと明後日へ逃げていく。
何か言ってはいけない機密でもあるのか。言いにくいのなら無理しなくてもいいのだけれど。ファニーラがそう告げるより先に、所在なさげに肩へ手のひらを置いて指をもじもじさせたレイルバートが白状した。
「……一応、ふたりで出かけていたんですが……」
「が?」
「護衛にあれはだめこれは危ないと言われるのが鬱陶しくなってしまったので」
「把握いたしました」
王子様たち、男子だった。
意気揚々とフリータイムをゲットしただろうに、結局は心細くなってしまっていたのだろう。そういうところも男の子だなあとファニーラは笑う。
なるほど、それで他より割り増し気味の親しみを持ってくれていたということか。
弟を見守っている気分でいるがよく分かる彼女の笑みを見下ろしたレイルバートが、きまり悪そうにしながらも口元をゆるめた。
「それで購買もご贔屓にしてくださったんですねえ」
「ばれてましたか?」
「こまものでもちょこちょこいらっしゃるなあと思ってたんですよ。あと、そう、緑色の飴の減りが早かったような。今思えば」
「正解です」
今度はうれしそうに微笑むレイルバート。それでようやく彼の距離感を受け入れたファニーラは、今度こそ食事のためにと足並み揃えて歩き出す。
ファニーラおすすめの店に並んで軽食と飲み物を手に入れたら、さらに通りを一個抜けた先にある広場へ移動してごはんタイムだ。市場にも食事をとれるテーブルや椅子、あるいは樽なんかが用意されているけれど、ゆっくりしたい買い物客はほぼここへ来る。
王子様は庶民あふれる賑わいに慣れていないだろうと判断したファニーラの提案に、レイルバートも快く応じた。といっても、認識阻害の魔術はしっかり機能しているので、傍からはりんご色の髪の小娘が育ちの良さそうなお坊ちゃんとおデートしているくらいの光景に見られているのだろうが。
ひとしきり腹を満たしたところで、ふとレイルバートがファニーラに問う。
「ファニーラさんはハーフとのことですが、ドワーフですか?」
ドワーフ。肉体を持つ妖精種の一種である。
小柄でずんぐりめの体つきをしていて、手先の器用さは他に類を見ない。魔術の行使は不得意ではあるが、世にある魔術具の原型はほとんど彼らが発明したものだ。
ちなみに一部、たとえばファニーラのトライクのように、外部から設計図を入手して作られたものも存在する。その外部についてはまた別の機会に。
妖精種の例にもれず、寿命は人より遥かに長い。ファニーラもそうだ。
レイルバートがそう考えたのも、ファニーラの特徴が多くドワーフと一致するからだろう。小柄なだけで、生粋の彼らのようにどっしりとはしていないが。あと、耳も彼らよりちょっと長い。
その上で一箇所だけ、おそらくレイルバートの推測は外れているという自信がファニーラにはあった。
「そうですね。片方はドワーフです」
なるほど、とうなずくレイルバートへ、にんまりと笑いかける。
「もう片方はエルフです」
なる……で、レイルバートの動作が止まった。
「エル……ッ!?」
ファニーラの想像どおり驚いたレイルバートが、今までの彼にあるまじきことに声をあげ、腰を浮かせかけまでしたのがおかしくて、ファニーラは噴き出した。そのまま爆笑に移行しなかったのは、笑い声で人目を集めることを懸念したためだ。
レイルバートもすぐに口を手で覆って、座り直している。
さてエルフだが、これも肉体を持つ妖精種の一種だ。
長身で細身、とにかく優雅な所作を誇り、人間の美的感覚で美形極めた造作の者が多い。魔術の扱いに長けていて、多くは森の奥深くにて多種族を避け、集落に住まう。
特筆事項として――ドワーフと仲が悪い。
犬猿の仲ならぬ、ドワエルの仲。こんな揶揄が、この世界にはあるのだ。ちなみにエルドワの仲と訂正する向きもある。どっちがどっちの言い分かは推して知るべし。
このあたりは一般的にもよく知られているので、当然レイルバートも承知だろう。だから、今彼が見せている反応だって当然だ。え、え、と、これまためずらしく、うろたえたように疑問符をぽろぽろこぼしている姿とか。
どういうことですかと訴えてくる視線に応えて、ファニーラは己の生い立ちを説明することにした。別に隠してないし疚しいことも恐ろしいこともないので。
「エルフが木の股から生まれるとかいう笑い話、ご存知です?」
「それは知ってますが……ドワーフは岩を割って子供を取り出すとか」
「そうそれ。半分当たってるんですよ」
妖精という分類になる種族は、幾つかある。
人間より生命活動において魔素に依る部分が大きいために、人とは別種とされているのだ。または、魔素そのものから生じて魔素を取り込むだけで存在できるものなど。
その最たる例――妖精と呼ばれる生き物は、自然界の魔素が集って生じる存在だ。たいていは自我もなく、とらえどころのない輪郭でふわふわと漂うばかり。他種族とのコミュニケーションはとれない。彼らが多く集うところには、純粋で良質な魔素があるという目安にはなる。
ときに自我を持つものが現れて、それは精霊と言われる。他者との意思疎通は可能だが独特の言語を用いるので、人間が直接コンタクトをとるのは難しい。人間の言葉に興味を持ってくれていれば別だが。あるいは、後述する妖精種となら軽い念話ができるので、通訳を頼めれば勝ったも同然。何と勝負しているのかは不問とする。彼らは火や水、風、土、あるいは光や闇といった自然現象に属する特性を有し、同類で集っていることが多い。人前にはめったに姿を見せないが、彼らの力を借りることが出来る者は、精霊術の恩恵が得られるそうだ。
そういった発生方法であることからも分かるように、妖精や精霊は、番や伴侶といった繁殖手段を持ち得ない。
では肉体を持つ妖精種――妖精ではなく、妖精種だ。まぎらわしいが、ここテストに出ます。
エルフやドワーフなどといった種族がその一例だ。人間よりも多量の魔素を体内に生成することができ、循環させる量も多い。精霊と対話可能なのも、そのおかげだ。
そんな彼らの繁殖は、どうなっているか。
実はこちら、人間のように男性女性の性差が存在しているので、父親と母親から子供が生まれるというのは人族と同じだ。ただし、子供を授かる手段が違う。婚姻ののち、儀式として一定の手順に従い夫婦が互いの魔力を織り合わせて繭をつくって半年、どちらかが常に触れて体温と魔力を分け与える。そうして、嬰児が夫婦のもとに訪れるというわけだ。
「それが事故りましてですね」
「……事故……?」
種族の傾向として仲が悪いと言われるエルフとドワーフだが、個人間の友誼を築く者だってそこそこいる。ファニーラの父と母がそうだ。
「人間の陣地で逢ったドワーフの父の魔術具開発にエルフの母が興味を持って、なんなら自宅まで足繁く協力に通ってたんですけれど、ある日大物が完成した祝いの酒の席でお互い妙なテンションになっちゃいまして」
「……なっちゃいましたか……」
「題して『異種族間での授かりは可能か! 大・挑・戦!!』なるものを」
「結婚ってもっと神聖なものではないでしょうか……!!」
声を潜めたまま内心の荒ぶりを吐露するレイルバートは器用だ。王族のたしなみかもしれない。
「あ、一度儀式を交わした相手がいるのに他の相手と契ったら制裁モノですよ」
「……少し安心しました」
浮気ダメ、ぜったい。
なお、ファニーラの父母はお互いフリーだったので問題ない。
そもそも妖精種は人間のように恋愛に重きを置かない。愛し合って子を成すというより、子を成すために尊重しあえる相手と誓い合う、が、表現として適切だろう。
今出す話題ではないので黙っておくが。
ファニーラはそこんとこ、ハーフだからか前世を思い出したからか、最近ではちょっと感性が違ってきてるんじゃないかと思う。……違うといえば、体質もだ。半端ない魔力貯蔵量だとか魔術を行使できないだとか魔力を視認できるだとか……エルフにもドワーフにも見られないそれは、ふたつの種族要素が作用しあった結果だろうと家族とも話し合い、確認して、判断している。
「それで、やってみたら繭ができたので。ふたりとも、お互いにパートナーとして認めあってましたし好意はありましたし……というわけで、順番が逆になりましたが夫婦として暮らすことになりました」
もちろん繭もきちんと育て上げ、そうしてファニーラが生まれたのである。
「けっこうな騒ぎになったり、前例のないハーフでうまく育つのかって心配もされたりしたらしいですが、このとおり、元気に暮らしております」
「……よかったです……」
元気アピールに胸を張ってこぶしで叩くファニーラを見たレイルバートが、どうにか言葉を探しましたみたいな感じで笑いかけた。眉がちょっぴり下がっている。
そろそろ話題を変えようかとファニーラが考えたと同時、レイルバートの眉が復活した。
「ほんとうに、よかった。ファニーラさんが生まれて、こうして元気にしていてくれて」
しみじみと言うレイルバートの様子が実に感慨深げで――ファニーラはただ、「ありがとうございます……?」と、変な調子でお礼を言うことしかできなかった。
そんなおかしな空気が霧散したのは、それからわりとすぐのこと。
旅支度、とくに王子の分について確認ついでに物を揃えようと話し合い、ふたりは再び市場へ繰り出したのである。
以下、余談。
「人と妖精のハーフの子供は人間同様の方法で生まれると聞きましたが、何かからくりがあるんでしょうか」
「童話の妖精姫はご存知です? 人間の少年に恋したエルフの娘が、恋が叶わなかったら星になって消えてしまう覚悟で秘薬を飲んだおはなし。あれ、事実です。すっごく昔の」
「……体の作り変えができる薬なんて、ほんとうにあったんですか……」
「一方通行の一度きりの、妖精種としてのいろいろを燃やしてようやく叶う劇薬ですよ。それでも、それでしあわせになれるおふたりは結構いるんです。人間には意味のない代物ですが、無理矢理なんてバカを防ぐために門外不出で……まあ、作れるようなご大老のところへたどり着ける人間はいませんけども。ルーさんも内緒にしてくださいね」
「はい。レイルバート・アス・ウィルツ。我が真の名に賭けて」
「そこまでしなくても」