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コメディ

戦乙女が望んだ人は、厨房係で偽名の男。

作者: 喜楽直人

なろう生活一周年記念☆

いつも遊びに来て下さってありがとうございます!



  



「大儀であった! その方の活躍があってこそ今日という日を目出度くも迎えることが出来た。よって褒美を取らせたいのであるが、金と名誉は勿論のこと更なる褒賞を与えたいと思うのじゃが。何か要望はないか? 何でもよいぞ。なんなら我が息子バカスでもよい。次代の王となるあれをすぐ傍で支えてくれるのがリンデ将軍ならこのヘルイム王国の未来も安泰であろう。美しく強い戦乙女を王妃とするというのもなかなか映えるのではいか」


 10年以上にも及ぶ隣国との長い長い戦争が終わった。

 2年前には国の英雄であったジーク・ゲルト将軍を喪い、ついには王都のすぐ傍まで敵国軍が迫るほどの敗戦一色だったそこから一転、連戦連勝をおさめ隣国から敗北宣言と多大なる賠償金を捥ぎ取ることに成功した国王は、その満面に喜色を浮かべてガハハハと豪快に笑いながら勝利の立役者である新たな英雄であり前将軍の孫でもあるリンデ・ゲルトへ豪気な褒賞を提示した。

 その横で王太子であるバカスの顔色が蒼褪めていくのにも気が付いていない。


 急逝した偉大なる将軍に代わり、その孫とはいえ年若く美しい10代の少女を『総大将に任命する』と、国王陛下が宣言をした際に、リンデの武威を目の当たりにしたことのない貴族達がその対抗馬として担ぎあげたのがリンデより5つ年上の王太子バカスであった。


 確かに、リンデ・ゲルト伯爵令嬢は美しい女性であった。

 艶のある金色の滝のような髪も、けぶるような長い睫毛に縁どられた朝焼け色の瞳ははっとするほど印象的だ。メリハリのある曲線を描く肢体は男なら誰でも傍に寄るだけでふるいつきたくなるような極上の女性である。

 しかし。その見目麗しく嫋やかに見える令嬢が、ひとたび武器を持った途端、その印象はがらりと変わる。

 印象だけではない。実際に彼女は強い。


「英雄の孫娘だからといって、それが戦場でなんになる」

 そういって戦いを挑んだバカスは完膚なきまでボロカスに叩きのめされた。

 王太子の面目どころか、ひとりの男としてのプライドまでずたぼろである。

 それに対して「私には、成さねばならないことがあります故。お許しを」と頭を下げたリンデの揺ぎ無き意志にまた、誰もが心を打たれたのだ。

 美しい令嬢が、これほどの戦闘能力を手に入れるまでの努力をしたということ。

 その成し遂げたい事が、この戦争の勝利をもぎ取ることであるならば、彼女を総大将とすることになんの問題があるだろう。

 そうして。実際に彼女はそれをやり遂げたのだ。 


 そうして。どんなに美しくあろうとも、あの心技体すべてが揃ったその強さと死角のなさに、バカスにはリンデを女性としてみることなどできはしなかった。ましてや娶るなどまったくもって考えられない。

 王太子としてまたその側近たち一同も、何度か彼女の指揮の下戦場へ参加したことがある。

 その時、思ったのだ。

『女じゃねえ』いや、女性として見れなくなった、というのが正しい。

 リンデの事を尊敬すべき武人としか彼等には思えなくなっていた。


 だからむしろ、『絶対に指名されませんように』とバカス以下側近一同、天に祈る気持ちで願っていた。


 そんなバカスたちの心のうちなどまったく気が付いていないリンデは、片膝をつき胸に右腕を添えた騎士礼を捧げて伏せていた顔を上げ主君を仰いだ。

 その長い睫毛に縁どられた大きな瞳を嬉しそうに煌めかせずっと秘め続けていた震える胸の内を言の葉に乗せた。


「ありがたき幸せ。是非、陛下のお言葉に甘えさせて戴きたいと思います。是非、未来の伴侶として、厨房係のハンス(偽名)を、是非、わたくしに戴きたいと存じます」


 どこまでも続く青い空の下、この戦で大陸中に名を馳せた新たなる英雄リンデ・ゲルトは、ついに口にできた望みが叶う瞬間が待ちきれないとばかりにその背筋をまっすぐ伸ばして主君を見上げていた。


「…………え?」


 リンデの言葉に、目が点になったのは国王だけではなかった。

 周囲に動揺が走る。ざわめきも波の様に走っていった。


「厨房係の、ハンス?」

「だれだ?」

「是非って3回も言った」「うん、言ってた」

「めっちゃ嬉しそうに偽名っていわなかったか?」「うん、言ってた」

「マジか」「どういうことだ?」


「おい! だれか厨房に走って”ハンス(偽名)”を連れてこい!! 逃がすなよっ!」

 一番早く正気を取り戻した宰相が、後ろに向かって叫ぶと、文官と武官たちが一斉に団子になって駆けだした。



 しばらく経って、その場へ簀巻きにされて引き出されてきたのは、背の高い細身の男だった。

 年の頃は30代前半といった所だろうか。若く見積もっても20代後半、行っていても40代にはなっていないだろう青年期を過ぎた、見た目としては平々凡々としか言いようのない男であった。着古された白い上着を着たその姿は、如何にも普通の調理係、使用人に見えた。

 ただ、頭に巻かれたタオルからはみ出た前髪が長すぎて瞳の色も判らないし、顎に生えた無精髭はその正しい輪郭線や口元などといった人相を隠している。

 オロオロとしたその様子は場違いな場所に連れてこられて動揺している平民らしくもあり、正体がバレたのかと動揺している間者の様にも見える。


 リンデの言った『(偽名)』という言葉が頭にあるせいか、如何にも姿を偽って潜入している間者であるようにも思えて、その場に居並ぶすべての貴族、騎士たちの顔に緊張が奔った。



「して、リンデよ。そなたの言う”厨房係のハンス(偽名)”とは、この男で相違ないか?」

「正しく。ありがとうございます。心より感謝いたします、陛下」

 まだ下賜するとも申し出の許可を出すとも言っていないにもかかわらず被せ気味に感謝の言葉を告げられて、国王の頬が強張る。

 平々凡々、普通の厨房係にしか見えないが、たぶんきっとどこかの国の間者であるその男をそれほどまでに英雄が欲しがる理由が判らずに、その場に居合わせたすべての人間が同じ疑問に頭を悩ませた。

 間者であるならば、軍での取り扱いになるか王宮暗部の取り扱いになるかの別はあっても持っている情報をすべて引き出した後は、二重間者として使えることもあるがほとんどの場合は重労働を科すか、それすら危険だと即死罪を申し付けて終わりである。その程度の選択肢しかないのが通常である。

 しかし、リンデは自らの手の内に、その身を欲した。


 ゆっくりと、軍人には見えないしなやかなラインを描く肢体が立ち上がる。

 2年前の出征時には少年のようにも見えた直線的であったリンデの身体は、今はもうすっかり女性らしい曲線を描いていた。

 この式典のために用意された、華やかでありながらもどこか禁欲的でもある正礼装となる軍服に包まれることで、より背徳的な色気すら醸し出していた。

 すべての視線を一身に集めながら、それになんの躊躇も頓着もせず、リンデは罪人の如くこの場で押さえつけられている男の前に近付いていく。


 ごくり。誰のものかもわからない、唾を飲み込む音が響く。


 罪人の如く両側から騎士たちに抑え込まれたままでいる男の前で、リンデは立ち止まると、まるでその男以外は誰もいないかのように、ふんわりと嬉しそうに挨拶をした。

「はじめまして、ハンス(偽名)さま。こうしてお言葉を交わせる日が来ることを夢見て参りました。本日、今この瞬間を持ちまして、あなた様は私のものとなりました。お優しくも寛大なヘルイム王国の国王陛下が私の願いを許諾くださいましたものです。よって、これは陛下からあなた様へ勅命となります。謹んで受け入れて戴きますわ」

 柔らかな笑顔で言いきった言葉の内容の不穏さに、言われた本人のみならずその言葉が聞き取れたすべての人間の頬が引き攣る。


「偽名じゃない。『初めまして、リンド将軍』……此処へ連れてこられる道中、散々あんたとの関係を訊かれたけど、やっぱり初めましてでいいんじゃねぇか。おい、放せよ。俺が嘘を吐いてなかったって事は、たった今証明されただろ!」

 男が両肩を押しつけている腕を拒むように身体を捩る。

 押さえつけていた騎士は、尊敬する上司でもあるリンドにもの問いたげな視線を投げ掛けた。それを受けてリンドがにっこりと笑って頷いてみせると、渋々といった風情でその肩を放した。

「おい、縄も解いてくれよ」

 身体を揺すって抗議したが、返ってきたのはリンデからのハンスへの疑惑を深めるような言葉だけだった。

「でも、実際にハンス(偽名)様にお会いして言葉を交わしたのは『初めまして』ですけれど、私はあなた様を知っていましたわ。その偽名だけでなく、ね」

 そのわざとらしくも言葉に含みを持たせるような言葉を選んだリンデに、ハンスの視線が鋭くなる。ぎりっと苛立たしげに奥歯を噛み締めた。

 手を離した騎士たちも、再び捕らえるべきかと距離を詰める。

 しかし、再び高まり始めていたその場の緊張を解いたのも、リンデだった。


「祖父から、あなた様の作るプレッツェルの美味しさについて何度も語られました。『絶品だ』といって、いつも嬉しそうに頬張られておりました」

 固く焼き締められたプレッツェルは、日持ちがするので軍では非常食として推奨されていた。つやつやのそれが1個でもポケットに入っていれば口に含んで唾液を出すのにも役立つので喉の渇きを誤魔化すこともでき、ふやかしきった後はそのまま食べれば腹持ちもするのだ。ちなみに、そのまま食べると腹の中でかなり膨れてしまうので頬張るのは推奨されてはいない。

 

「そう。もう2年以上も前になりますか。ハンス(偽名)様が、祖父のプレッツェル係になられたのは」

 その言葉に、一旦は緩んだ緊張がみたび高まる。


 リンデの祖父、つまりはヘルイム王国が英雄ジーク伯を喪ったのは、食事に混ぜられた毒だという噂がまことしやかに流れていたからだ。

 公式な発表では、病死、ということになっている。

 ただし、その前日まで元気に敵を蹴散らしていた姿が確認されていたし、翌朝、床の中で苦しみ抜いた形跡も顕わに遺体となって発見されたという証言もあって、誰もがその真なる死因は隠されているのだと信じていた。ただ、戦時中の幕舎で毒殺などということになったら戦意に関わると秘匿されているのだと。

 この場に居並ぶヘルイムの騎士で、英雄ジーク伯へ憧れを抱いたことのない者などいない。

 誰よりも強く、豪快で、そして温かかった。

 甘いものが好きで、そのポケットにいつも菓子を持っているような人だった。

 手を抜いたり失敗をすれば、洒落にならないほど怒られたし扱かれもしたが、終わった後にその大切に食べている菓子を分けてくれるのも嬉しかった。

 甘いものは高価なので自身が「少しずつしか食べない」と言っていたにも関わらず、本気で凹んでいる時はそっと差し出してくれるのだ。甘いものが好きではない騎士であろうと、ジーク伯から渡された菓子だけは別だと喜んで食べた。


 その、甘いものが好きだということ。それ自体が標的とされたのかもしれない。


 リンデの言葉の中に、その可能性を見つけた者たちの視線が厳しさを増す。

 敬愛する英雄を死に至らしめた原因かもしれないそれを作っていたという、偽名を名乗る怪しい人物。

 その怪しい人物が、それに毒を仕込んで食べさせた可能性は決して低くないと誰もが考えていた。

 誰も気が付いていなかったその男を、新たに自分たちの尊敬を勝ち得た新たなる英雄、それも先の英雄の孫娘が、この場に呼びつけたという事実が、より一層の疑惑を生んでいた。


 しかし。


「ハンス(偽名)様、陛下からの勅命に対するお返事をまだお聞かせ戴いておりません」

 リンデの声がふたたびそこへ割って入る。

 了承すれば縄を解くと続けられた英雄の孫娘からの言葉に、その場にいた者には不審な男を彼女が呼び出した意味が判らず激しく混乱した。

 

「……勅命もなにも、リンド将軍の物になるってどういう意味だよ? 夜伽の相手に下級使用人を選ぶために陛下の威を借りるなんて、ちゃんちゃらオカシイだろ。そんな必要あるかっつーの」

「おい、お前っ」

 ハンスの言葉に、手を離したばかりの騎士たちが色めきだった。

 それを、スッとリンデが手で制した。

「そうですね。夜伽のお相手に関しても入っている事にはなるのでしょうね」

「入ってるのかよ!」

 マジか、と驚いたのはハンスのみではない。騎士たちまでぎょっとした様子で目を見開いて驚く。

「えぇ勿論。戦を勝利へと導いたご褒美に、あなた様との婚姻を願い出たのです。私、浮気をするつもりもさせるつもりもありませんの。ですから夜伽の相手を断られるのは困りますわ」

 コロコロと鈴を転がすような声で楽しそうに笑いながら告げられた内容に、ハンスは自分の耳がおかしくなったのだと思った。勿論、その声が耳に届いた誰もがこれについても同じ思いだった。


「……ちょっと待て。こんいんって、婚姻か? 結婚?」

「そうですね。ついでですから特別許可証も陛下に融通して戴きましょう! 最低でも1年の婚約期間など待っていられませんもの。それなら2週間後には結婚できますわ」

 どんな御式にしましょうか、と訊いたリンドに返された言葉は罵声だった。

「ふざけんなっ! なんで俺がお前と」

「うふふ。そうですね、男性としては女からの求婚をそのまま承けるのは少し立場がありませんわね。判りました。では、私に勝てたら許して差し上げますわ」

 赤い薔薇の花弁のような唇を、にぃと吊り上げて、リンデが笑う。


「如何ですか? 私に勝てたら、偽名についても不問。陛下の勅命による婚姻もなし」

「……偽名じゃない。で、俺が負けたら、結婚しろ、ってか」

 眇めた瞳で笑みを形作ったリンデが「よくできました」と、ハンスの理解を褒めてみせる。

 それらすべてに対して不快そうにハンスが「馬鹿らしい」と吐き捨てた。

「調理係が、国の華とも謳われる常勝将軍リンデ様に敵う訳がないだろ」

 けっ、とわざとらしく地面に向けて唾を吐いて棄てる。


「おまえっ、いい加減にしろ!」

 ふたりのやり取りを聞いていた騎士のひとりが、勘弁ならんとハンスの首筋を掴もうとした。

 が、一瞬はやく、ハンスの身体はリンデの腕の中へと引き寄せられていた。


「いけませんよ。ハンス(偽名)様は私のものです。手を出すなら、私に勝ってからにしなさい」

 ぎろりと睨みつけられて、騎士は蒼白になった。

「しかしっ……いえ、申し訳、ありませんっ」

 いつの間に抜いたのか、儀礼用として刃は潰されているものの、リンデが腰に佩いていた剣が首筋に突き付けられていることに気が付いた騎士は、そのすさまじいまでの圧に気圧された。

 華やかな装飾の施されたそれは華奢で、細身のリンデが身に着けていた時は、まるで剣の形を模した華やかな装飾品のひとつのように見えていたのに。


 鞘から出されればそれは刃こそ付けられていないものの、凶器そのものだった。

 それも。手にしている相手の狂気を纏った最凶の武器。

 腰から崩れ落ちるように後ろへ倒れ込んだ騎士を、後ろにいた仲間たちが慌てて支えた。

「お前のもんじゃねーし。一々”(偽名)”って付けんな。ふざけんなよ」

 腰に巻き付く腕の細さに反してその抱きしめられた力強さと、鼻に届いた香りのアンバランスさ。そのすべてにハンスは動揺していた。その分、言葉選びが乱暴になる。

「私のものでしょう? だって、どんなに小さなものであろうと、それを拒否できる可能性が目の前に提示されたというのに手に入れる努力をせず、甘んじてそれを承けようと思える程度の拒否しかされていらっしゃらない。つまりは、承けてもいいということ、ですよね」

 ハンスの心を知ってか知らずか、さらりとしたリンデの言葉と視線に「馬鹿にしやがって」と悔しげにハンスが小さく呟いた。

 そうして。リンデの視界に入らないであろう角度で目を閉じた。その口元がほんの少し、微かにではあったが上に弧を描いて消える。


「ハンデくれ。俺は素人だ。国の英雄サマと真正面からやり合って勝てる訳がない」

「私は武器の使用なし。ハンス様はお好きな武器をお使い下さい」

 リンデはそういうと、部下に指示をだしても軽い模造刀からリンデ愛用のハルバートまで、その場で持ってくることのできる武器各種をその場に取り揃えさせ、縄を解かせた。

 ハンスはあきれた瞳で目の前に並べられた安っぽい剣と宝刀と呼んでも差し支えなさそうな名剣を両手に持って感触を確かめた。

 持ち方も素人まる出しだ。ただ闇雲に、次々と目につく武器を持っては振り廻していた。

「で? ハンデはそれだけか」

 そうしながらも煽る様に男が呟けば、リンデは「ふむ」と悩んでみせた。

 そうして、くるりと右足を軸にして左足で地面に円を描く。

「ハンス様の揮う武器が私に当たったら私の負け。また、私がこの円から足を踏み外して地に着いても私の負け、ということでは如何でしょう。」

「……俺の敗北基準は?」

「陛下をお待たせしておりますし、あまり時間も掛けられません私があなた様を捕まえられたらというのは如何でしょう」

「……時間がないといいつつ、制限時間を切る事はしない訳か。はっ、大した自信だ」

 その煽りに返されたのは笑顔のみだった。

(もうひと声欲しかったんだが、まぁいいか)

 ハンスは心の中で残念に思った。

「それと。私からは攻撃することは、ありませんのでご安心ください」

「は?」

「武器は決まったようですね。では。いざ、参る」

「攻撃しないって言ったのは、お前…」

 だろう、ということはできなかった。


 びゅう、と頭上ぎりぎりを風が吹きすさぶ。


 いきなり纏めていた筈の髪がはらりと顔に掛かったのを理解したハンスはぞっとした。

 見返して見てもリンデの手に武器らしいものは見当たらなかった。

 しかも、武器を選んでいた自分が立っているのは彼女が足元に描いた円よりずっと離れていた。その距離約3ヤード(1ヤード=約91センチ)ほどだろうか。

 それなのに、確かに彼女の指先には、自分が髪を纏めるのに使っていたタオルが握られていた。


「あら。目測を誤ってしまったようですね」

 どうやったのかは判らないが、リンデがハンス自身を掴んで引き寄せるつもりであったことが分かって、慌てて距離を取った。

 左手に持った片手剣を強く握りしめた。


「今のが攻撃じゃないっていうのか?」

 反則だろうと軽口をたたきつつ、ハンスはタイミングを計っていた。

「攻撃ではありません。私には、ハンス様に怪我を負わせるつもりは毛頭ありませんので」

 微笑んですらいるリンデの顔をハンスは睨みつけた。

「……俺の勝利条件は、将軍の足が円の外に着いたら。それまであんたの手に捕まらないでいる、ということだったな」

 できるものならとでも挑発するように、ハンスのその言葉にリンデは目を眇めて微笑んだ。

「ちっ」

 自分が次にどんな行動をとろうとも、決して勝てないと言われているような気がしてハンスは面白くなかった。

 それでも、このまま何もせずにいるよりずっとマシだとふんぎりを付ける。

 ふーっとひとつ大きく息を吐き出して、足場を確かめ、その手に握った剣を構えた。

 改めて距離を取ったハンスとリンデの距離はおおよそ5ヤード。

 先ほどのリンデの攻撃がどういったものだったのかまったく判っていないハンスにとって、その間合いがどれほどのものなのか全く判らなかったが、ハンスにとっての間合いには離れすぎている。

 そう。片手剣では、無理だ。

 間合いに入る為の一歩に見せ掛けて、ハンスは一気に反対方向、つまりは後ろへと跳んだ。


「三十六計逃げるに如かず、ってね」

 ついでに、腕に仕込んでいた暗器を撃ち出した。

 右手中指に嵌めた指輪と肘に取り付けたベルトで吊っている細い鍛鉄製の細い棒状のそれは、通常、防具として剣を受ける手甲の代わりとして身を守るのに用いるものだ。しかし、指輪の内側に仕掛けたボタンで引き金を外せば、そのまま矢のように飛び出す武器ともなる。

 ただし、殺傷能力はほとんどない。

 目くらまし的に相手の意識をそちらに持っていく、警戒させるなどの意味合いが大きい。

 どうせ避けられてしまうのだからと安心してリンデの瞳に向かってそれを撃つと、自身は高く飛び上がって騎士たちを飛び越える。


 いや。飛び越えようとした、その足首に何がが巻き付き引き寄せられた。


「ぐあっ」

 なんとか左手を着き無様に地へ落ちるのだけは阻止できたものの、そのままずささと足首に巻き付いた何かによって地を引き摺られ、リンデの前に戻された。

 完全に逃亡に失敗したハンスは舌打ちした。


「くそっ。痛てぇじゃねえか。これは攻撃だろう?!」

 それにしても、自分は一体なにによって拘束されたのだろうとハンスは背筋が寒くなった。

 いくら見つめてみても、さきほどまで確かにそこにあった自分をココに引き戻した何かを見つけることはできなかった。実際のところ、今は拘束されている感覚もないので更に判らないのかもしれないが。

「私はハンス(偽名)様を保護したのみです」

「なんだと?」

「あのままこの場から飛び出したのなら、弓兵部隊の一団からの一斉射撃を受けるところでしたので」

 そう言われて、ようやくハンスは自分が騎士団に睨まれていたことに思い至った。

 なるほど。元々が騎士団への戦勝褒賞授与式会場だったのだ。

 その騎士団は、さきほどの目の前に立っている圧倒的強者である美しい女性との会話により、ハンスを親の仇(実際に、彼等の多くにとって前将軍は親以上の存在であった)のごとく考えていたのだという事実に今更ながら今この会場にいるすべて、騎士団も貴族達もすべてが敵であるのだと思い足らなかった自分の迂闊さを呪った。

 視野が狭くなっていた。目の前に立っている、ハンスには理解不能の言動を繰り返している女性だけが、今のハンスの敵ではないのだ。

 周囲を取り囲んでいるすべての人間が、今のハンスの敵なのだと気が付いて、背中に走る寒気が止まらない。

 怖くて首を回すこともできなかったが、視界に見える分だけでも弓や剣の柄に手を掛けていない人間などいないような気がした。

 如何にも文官だと思われる人間以外のすべてが、自分の命を狙っている。

 ──しかも、まぎれもない冤罪で、だ。

 絶望感に今にも頽れそうだったが、それでもハンスはそれを自分に許すつもりはなかった。

 そうして。ようやく自分がここに連れてこられた本当の理由がわかったと得心してもいた。


「俺はやっていない。ジーク様を殺めて、俺に何の得がある?」

 そう申し開いてみたものの、その言葉に何の説得力もないことはハンス自身が一番わかっていた。

 なにしろ、つい先ほど逃亡する道を切り開けると場を読み違えて、これだけの人数の前で暗器を使ってみせてしまったのは自分だったのだから。

 しかも、どう考えても調理係にはありえない動きもしてみせてしまった。

 焦り過ぎたのだ。

 偽名ではないものの、本名を名乗っている訳でもない。

 なにより自分が英雄を死に至らしめたという誤解を受けているというその事についても。

 あまりにも一気に押し寄せてきた衝撃の数々に、冷静な判断ができなくなっていたのだ。

「本当だ。俺は無実……いや、少しは罪と呼べるものもしているかもしれないが、大恩のあるジーク様に対して仇なすようなことはしていない。絶対だ。神に、誓ってもいい」

 ただし、ハンスの祈る神はこの国の信仰の対象とは違うし、ハンス自身の祈りをその神に捧げることももう無いのだが。

 神へなど、いくら祈っても意味はないのだから。


「……ハンス(偽名)様の仰っている事の意味がわかりかねるのですが。まぁいいです。ひとつずつ解決していけばいいですよね」

 ずっと薄く笑ったままだったその美しい人が、その朝焼け色をした瞳に蕩けそうな輝きをのせて満面の笑みを浮かべた。

 全身に走る悪寒めいた衝動に突き動かされるようにしてハンスがリンデのいる方向と逆に走った。

 つまりは背中を見せて走って逃げ廻る。

 ジグザグに避ける度に、ハンスの避けた後から派手な土埃が立つ。

「くそっ。どうやって攻撃しているのかすらわかんねぇとか」

 ドゴオッ

 一段と派手な音と土埃が立った時、ハンスが避けた先にいた騎士にぶつかった。

 リンデの細い腕とは全く違う、鍛え上げられた太い筋肉質の腕にハンスは捕らえられた。


 ──しまっ、た。


 憎い仇に一発だけでも制裁を加えてやろうと考えたらしい、すぐ横にいた騎士が拘束されたいるハンスに向けて拳を振り下ろす。

 ぶん、とどう見ても避けられそうにない軌道と勢いて迫っていた拳が、ハンスの瞳のすぐ目の前で止まっていた。

 その拳は、今すぐにでも憎い男へ制裁を加えたいのだと、それを邪魔するものを引きちぎろうとするかのようにぶるぶると震えている。

 視界にいっぱいになって肉薄していたそれが勢いよく後ろへと引き戻され、「うぎゃっ」といううめき声が聞こえると共にハンスの視界から男そのものごと消えた。


 否。その代わりにハンスの目の前に立ち塞がったのは、煌びやかな白い正軍服と、金色の髪。


 後ろ姿でも判る。その人は。


「リンデ、将軍」


 リンデが左腕を斜め横へと動かすと、微かにしゅるりと何かが巻き取られる擦過音がした。

 透明なそれは、ゲルト領でもごく限られた森の奥深くにしか生息しないアラーニェと呼ばれている蜘蛛が吐き出す糸だった。

 一本でも大人の体重を掛けても切れることがないとされるその糸を、何本も撚り合わせて作ってあるそれはどこまでもしなやかで細い。

 そこにあると言われなくては視認できないほど細いそれはしかし、見た目と違ってかなりの重量がある。

 その重さがあるからこそ、自在に操れもしたし、武器としても成立できた。

 しかし、今この時においてリンデがそれを武器であると認めることは、ない。


「ハンス(偽名)様は、私のものだと伝えた筈です。私事ではありますが、何度も言い聞かせなければならないというのは不快ですね」

 ぐりりと、完全に背中に乗って踏みつけにしている存在にむけて宣告を告げる。

 その後ろ姿の圧倒的な存在感に、そこにいるすべてのものが声を失い、視線をすべて奪われた。



『うふふ。捕まえましたわ』


 多分、ハンスはそう言われたのだと思う。が、それをきちんと聞き取ることはできなかった。


 頬をくすぐる金色の長い髪とほっそりとした指。

 なによりも。ハンスが告げようとした反論をすべて封じている、柔らかく温かなそれが、ハンスの思考を奪っていた。


「ふう。こんなにも熱いくちづけをこれだけの観衆の前で披露しておいて、その女を振ったりされませんわよね、ヨハネス・ペテルソン閣下?」

 騎士としての礼ではなく令嬢としての最上級礼を取りながら、リンデが呼んだその名に、誰もが衝撃を受けた。


 ハンスがその名前で呼ばれるのは、何年振りとなるのだろうか。


 ヘルイム王国が宿敵リゴル国と長い長い戦争を続けることになったそもそもの切欠となった今は亡きペテルソン公国。

 リゴル国に滅ぼされたヘルイム王国のかつての同盟国だ。

 ヘルイムの助力も及ばず、獅子身中の虫である売国奴によって抵抗虚しく飲み込まれた。

 その売国奴共は、無様にもペテルソンを征服した祝いの席での余興として、リゴルの王族の前で首を刎ねられ腐りきるまで晒されたという。


 散り散りになった大公家のたぶん最後の生き残りが、ハンスだった。


「閣下なんかじゃない。それに、その名前はもう俺の名前ではない。今の俺はハンスだ」


 この国へ匿われることとなった時に、ハンスはそう宣言したのだ。

 戦争で大怪我を負い戦線を離脱している間に、父である大公はその命を喪った。

 怪我が治って起き上がれるようになった時には既に公国は敵国の手に落ちていたのだ。

 しかも自分は利き手の機能のほとんどを失い、剣を持てなくなっていた。

 あの時の、虚しさ。

 怪我から出た高熱で前後不覚になっている内に、自分だけが生きてこのヘルイムに嫁いでいた親戚筋の下へと密かに運ばれていたのだと知り、絶望した。

 利き腕である右手から握力を失い剣を取る事も出来なくなった自分は、復興の旗印にはなれたともそれで出来ることと言えば部下の命を懸けさせるだけの木偶の棒でしかなく、ヘルイムの雑兵に紛れて対リゴルとの戦闘に赴くこともできない。

 それでも、なにがしかの役に立ちたいのだと、軍の下働きの職についた。

 調理係でじゃが芋を洗うことから初めて、ようやく任された携帯食作りだった。

 上手く動かせない利き手の代わりに、左手を使えるようになったのもこの頃だ。


 自分が作っていることに気が付いたジーク伯の、あの時の顔は今でも忘れられない。


「ジーク伯は、俺が作っているプレッツェルを褒めて下さった方だ。『旨いこれがあるから戦えるのだ』と、剣を揮えなくなった俺も、戦争の役に立てているのだと……」

 からん、ハンスの左手から借り物の片手剣が落ちる。


「祖父は、最後までヨハネス様の作られたプレッツェルを嬉しそうに頬張っておりましたよ」

「……そうか。俺のプレッツェルを」

 虚しい。それを直接伝えて欲しかったのに。

 その人は、もうこの世にはいないのだ。


「それで。わたくし達の式についてですが」

「いや、俺の勝利だろ? これ」

「?」


 ハンスは感傷を払うように、勝ち誇った顔でリンデの足元を指差した。


「あら」

 ハンスの指差した場所。それは、リンデ将軍の足が地についてるその地点だった。

「俺は自由を勝ち取ったということだ!」

 ふふん、と勝ち誇ったハンスにリンデが艶やかに笑った。


「嫌ですわ。私がハンス(偽名)様を捕まえて勝利のくちづけに酔いしれていた時は、私の足は地についておりませんでしたもの。あの者の背に乗ったままでした。地には着いていません。私の勝利ですわ」

 堂々と言い切るその様子に、ハンスが頬を染めた。

「酔いしれたとか、く、くちづけとか。若い令嬢がそんなことを堂々と言うな!」

 焦った様子のハンスに、リンデが追い打ちを掛ける。

「でも、2週間後にはもっと凄いことをするんですのよ?」

「しない! そもそも結婚もしないんだからな!! 俺は、戦争の報酬として初めて会っただけの女と結婚なんかしない!」

 乙女じゃあるまいしと言われそうだと思っても、ハンスだって結婚相手には理想がある。

 想い合う相手とがいい。それは決して、戦の報酬として甘んじて受け入れる者ではない筈だ。


「大公家に生まれた方とは思えない結婚観ですわね。でも、嫌いではありませんわ」

 やさしく笑ってくれたから、リンデにもわかって貰えたのだとハンスはホッとした。

「今の俺は平民だし。リンデ様だって俺とはいま初めて会っただけで、ジーク伯から聞かされていた好物の製作者と話をしてみたかっただけだったんだろう?」

 それ以外に、ハンスとリンデを繋ぐものはないのだから。

 

「……ハンス(偽名)様とは今日が初めましてですけれど、ヨハネス・ペテルソン様と私は、初めましてではありませんよ?」

 拗ねた様子のリンデに言われて、ハンスは驚いた。

「…………前に会っているというのか? 記憶にないんだが」

「まさか忘れられていたなんて。ひどいっ」

「ご、ごめんっ。いつの事だろうか?」

 自分が大公家の一員として胸を張っていられた時、目の前にいる女性は何歳だっただろうとおたつく頭の中で懸命に逆算する。

 戦争が始まる前は同盟国同士、ふたつの国の間では盛んに行き来が行われていた。

 その中に、幼い少女の姿はあっただろうかと記憶を探るもそれらしい記憶は見つけられなかった。

 なによりその頃のハンスはすでに10代後半であった。決して少女(もしかすると幼女かもしれない)であった年頃の令嬢に一目惚れされるようなことはない、はずだ。


「ふふ。記憶になくても仕方がありませんわ。ヨハネス様は大怪我で熱を出されておりましたから。徹夜で看病していたのですが、忘れられていても仕方がないですわよね」

 えぇ、仕方のないことですわ、と重ねて嘆かれて、ハンスは頭を抱えた。

「ヨハネス様をそのままヘルイム内の親戚筋の方のところへお連れしては、すぐに素性がバレて騒乱の種にされてしまうだろうということで相談を受けた祖父の計らいでゲルト領内で匿うことになったのです」

 ハンスが知らなかったゲルト家との繋がりを教えられて、今更ながらジーク伯が自分を見つけた時の、あの驚きの表情の意味を知り、ハンスは心がぎゅっと潰される思いだった。

 大恩ある相手だと、知らずに逝かせてしまった。

 感謝の言葉を伝えるどころか、感謝すべき恩自体を知らなかった自分の不甲斐なさに咽喉が塞ぐ。

「なにより、大怪我をされれていたヨハネス様を匿いながら旅を続けることもできなかったようです。お連れの方も満身創痍で倒れられていましたわ」

 ハンスがしっかりと意識を取り戻した時には既に親戚筋の領地にいたので全く知らなかった。元の側付き近衛がひとり見守ってくれていたこと、それしか知らなかった。

 その近衛の足が不自由なのも、きっと自分を守っていたせいなのだろう。

 新たな事実が次々とリンデの口から明かされて、ハンスは聞いているだけで頭がくらくらした。

「次の休みには、親戚の家に頭を下げに行かなければならないようだな。勿論、ゲルト家の、ジーク伯の墓参りにもいかせて貰えるだろうか」

 ハンスの言葉に、リンデは「祖父も喜びます」と頷くと、話を続けた。


「ゲルト家で、移動できる体力が戻るまで療養をする事となった時、あまり他の手をヨハネス様に近づけたくないと考えた祖父の指示により私が看病を任じられました。父と兄は戦争に出ておりましたし、母も領地の仕事があったので手が空いているのは私だけでしたから」

 ヨハネスであったハンスが倒れたのは戦争が始まってすぐの事だった。

 多分、まだ10歳かそこらの幼い令嬢の手に、すでに20を超えていた大人の男の看病は大変であったろうことは想像に難しくない。


「ずっと寝込まれていたヨハネス様が夜中に目を覚まされた時、お水を御所望でしたので吸い口で飲ませて差し上げて。美味しそうに飲まれた後、ゆっくりと目を開いて私の事を『わたしの、天使』って」

 ハンスは、リンデの語る自分の知らない自分の言葉に呻き声を上げた。


「額の汗を拭っていた時にはその手を握られて、なかなか放して下さらなかった事も一度や二度ではありませんでした。そうして、その手に唇を寄せられて『傍にいてくれ』って頼まれた事も」

 リンデの口から次々と語られる自分の知らない自分の過去やらかしに、ハンスは息も絶え絶えの状態だった。

 恥ずかしすぎる。

 嘘だと、いますぐ作り話だと叫んで逃げ出したい。しかし。


 その記憶は、たしかにハンス、いやヨハネスの心に残っていた。


 というよりも、あの天使はヨハネスの夢の中の存在だとばかり思っていたというのが正しい。

 更になる言い訳が許されるなら、自分がその天使に向けて贈った言葉までは覚えていなかった。


 だから、リンデから告げられたその言葉が本当なのかどうか皆目見当がつかない。


「『お嫁さんになってくれ』って言ったのにぃぃぃ」


 しかし、ぽろぽろと真珠のような涙を流しながらそう告げられては、ハンスにはもうお手上げの全面降伏するしか道は残されていなかった。






 さすがに、どれほど勝利の立役者たる花嫁が望もうとも、一国の将軍の結婚式をたった2週間の準備で行うことが出来る筈もなく。

 結局ふたりが夫婦となれたのは、あの戦勝褒賞会から3か月経ってからだった。


 そうして今、ふたりはこの国でもっとも格式の高い教会の、長い赤い絨毯の上を歩いている。


 残念ながらハンスもリンデも、それを共に喜んでくれる親兄弟はすでに喪っていた。

 だから、新婦の手を取り新郎まで届けてくれる人はいない。

 だから、最初からふたりで腕を組んで神の御許まで歩いていくことにした。 

 それに親しい友人たちが祝ってくれるから、それでいいのだと思っていた。


 ちなみに国王からは、国を挙げての挙式についての提案もあったが慎んで辞退申し上げた。

 リンデが、「そんなことをしたら1年後でも式が挙げられないに違いない」と嫌がったからだ。

 ただし、国を挙げてのお祭り騒ぎだけが王都のみならず国中で新郎新婦に無許可で開かれているらしい。「戦後の国には、明るい慶事が必要なのだ」そうだ。

 あれしろこれしろと言われなくていいのなら、ふたりに否はないのだ。


「なぁ、なんで戦争が終わるまで会いに来なかったんだ?」

「それは今この場で確認しないといけない話なのでしょうか」


 急ごしらえのドレスなので繊細な刺繍や凝ったレースなどの装飾は最小限しか施されていなかったが、その分、深い光沢を帯びた練り絹を贅沢にもたっぷりと使ったドレスは、スカートの裾もトレーンも長く、軍服に慣れたリンデには転ばないように歩くのは至難の業であった。なんなら戦時の行軍の方がずっとマシだと思ったほどだ。

 だからできれば会話で意識を奪う事もしないで欲しかったリンデだったが、愛しい夫が自分の事について「知りたい」と言ってくれるのはやはり嬉しくもあった。


「つい。急に知りたくなった。できれば神に誓う前に知りたいな、と」

 何故、今そんな可愛げのあることを言うのだと、リンデは思った。

 思わず顔が見たくなり、その顔を見上げるとそこにもリンデに負けないくらい赤くなった顔があって息が詰まった。

 ぎゅっとエスコートを受ける手に力が入り、立ち止まる。


「……ヨハネス様が、剣を取れなくなったと泣いたからです」


 予想外の被弾に、今度はハンスの息が止まる。


「『この非常時に剣を持てなくなった自分は、もう大公家の人間ではない』と魘されるヨハネス様の手を取り私は約束をいたしました。『私があなたの剣になる』と」


 何も言えなくなったハンスに、リンデが寂しそうに笑った。


「剣になれるまで、8年近く掛かりました。もう少し早く祖父から許可を貰えるようになっていれば、もしかしたら今日、この場所に、一緒にいて貰えたのかもしれません」

 

 彼女の尽力に、感謝するべきだろうか。

 それとも幼い彼女に無理をさせたと労わり、謝るべきだろうか。

 ここで謝ることは、むしろ彼女の努力に対して失礼だろうかと悩んだハンスは、じっとリンデの瞳を見つめた。


「きっと、今ここに、ジーク伯もいらっしゃっている」


 それは確かにそう思ったのだけれど。でも、今の自分が彼女に伝えるべき言葉はこれではない。

 ハンスは、すぅっと大きく息を吸った。


「幸せに、する。幸せに、なろう」


「私はもう幸せです。だって、あなたの腕が取れたのですから」とリンデが笑うから。



 ハンスも一緒に笑顔になって、二人で一緒に、生涯を誓う言葉を告げる為、神の御許まで歩いて行けた。 


 





クリスマス前から抱え込んでたお話でした。

抱え込んでいる内にギャグからシリアス寄りに発酵してしもた orz


お付き合いありがとうございましたv

これからもよろしくお願いします~


(2021.01.16ちょこっと改稿。邪魔な王太子の出番を減らしてみましたw)


※リンデの敬語についての訂正案を戴いたのですが、

 身内について、身分が上の相手に伝えている状態なので

 そのままにさせて戴きました。よろしくお願いしますです。

 提案ありがとうございました!

 


********


美尾@一山越えた様(@CvgiQai48dGIIlS)によるTwitterのタグ企画に参加して

リンデちゃんを描いて戴きました♡


可愛格好いい☆



挿絵(By みてみん)



ありがとうございましたー!!!!

すき♡




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― 新着の感想 ―
[一言] 身も心も強くてカッコイイリンデさん最高です!! なのに可愛い!!最高です!! 幸せになってくださぁぁぁい(*´v`)
[一言] 強くて美しくて一途なお嫁さん最高です(๑´▿`๑) そして年下がグイグイ攻めるの大好きです♡笑
[一言] ジーク伯の死因、毒殺じゃなく、そのまま食べると腹の中でかなり膨れてしまうというプレッツェルを頬張って、うっかり喉に詰まらせてしまったんじゃないか? そんな死因だから隠されたんじゃないか? と…
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