●危うくとも
「ご、ごめんなさい。確かに、切実な問題ね」
「ええ」
ひどくこわばった顔でレティシアさんが謝る。
「ねぇ」
くいくいっとグローリアさんが袖を引く。
「それって髪を引き抜くからじゃないの? 見てて心配してたのよ? そんなことしてたら頭皮を痛めるから」
「毛根がついていないと、その分髪の量がいるの。髪は有限だしどうしても」
なので一族の男性は禿げるのに残った髪を伸ばさなくてはならなくて……わかっていてもひどく物悲しい風貌になるのだ。
そのせいもあり外部との結婚がたいへん少なく、ゴーレム術は地元にとどまりつづけ流出はしないが、発展も少ない。
「うーん。それは深刻ね」
「ええ」
……とても深刻なのだ。
「とにかく、呪いなんて怖くないわ。エリヴィラさんが呪いに詳しいなら、いろいろ教えてほしいぐらいよ。知っていれば防ぐ方法もわかるようになるもの」
レティシアさんがわざと明るい声を出して、教室の雰囲気を明るくしようとしてくれる。
「すいません。私が習ったのはゴーレム術だけなんです。呪いについては家にも、もう何も残ってなくて」
「あら、残念」
……本気で残念そうだ。
眉毛がへにょりとハの字になりしょぼんとしたかと思うと、気を取り直したのか笑顔になってクラスの子たちに向き直る。
「みんな、私のために、怒ってくれてありがとう。少し誤解があったからこんなことになってしまったけれど、その気持ちはうれしいわ」
あなたたちが悪い。
謝りなさい。
なんてきついことは一言も言わずに、反省を促す。
優しいけれど、強い。
「はい……」
「ごめんなさい。エリヴィラさん」
「ごめんね」
「すみませんでした」
私より身分の高い子たちが、素直に頭を下げる。
これがどれだけすごいことなのか……レティシアさんにもわかっているはずなのに、彼女は涼しい顔だ。
「それから、エリヴィラさん。かかわらないでとか、ほおっておいてとか、あんな風に言っちゃダメ」
「私は別に、いつものことだわ」
そう、いつものことで、私はそれを受け入れる。
いやなことでも、受け入れてしまえばそれよりひどいことにはならないんだから。
私だけガマンをすればいい。
それで、私も周りも平和になるんだから。
「今まではそうだったかもしれないけど、今は違うわ。誤解されたままでいいのはあなただけよ? 私はいやだし、みんなも困るの」
「どうしてみんなが……」
「今日ちゃんと話せなかったら、みんなはこれからも存在しない呪いにおびえ続けていたわ。あなたは何もしていない。けれどあきらめて何もしないことで知らずに加害者になっていたのよ」
「………」
そんなこと……考えたこともなかった。
ずっと、私だけがガマンをしていると思ってた。
私だけが……
自然とクラスの子たちに顔を向けられた。
こんなに真正面から彼女たちを見たのは……初めてかもしれない。
「ごめんなさい」
素直に、謝る言葉が出た。
「みんなが怖がってるなんて思いもしなかった」
「そんな、こちらこそっ」
「知らなかったからって、ごめんなさいっ」
「ごめんなさい」
私が謝ると、彼女たちも次々に謝ってくれる。
その言葉はきっと嘘じゃない。
「もう誰も怖がらないんだから、髪下ろしてみたら?」
レティシアさんが、ほどけたままの私の髪を一房持ち上げた。
この人の行動は時に突然で突飛でみんなを驚かせる。
「こんなにきれいな髪なんだもの」
レティシアさんは、きれいな宝石や小さな小鳥でも愛でるように手の上の私の髪を見つめ、そっと口づけた。
「!?」
髪に口づけたレティシアさんの、少し上目遣いの……真剣な視線に体が動かない。
さらりと手から髪が落ちる。
射貫くような視線は一瞬で……きっと私以外には気がついていない?
「きっとその方が似合うわ」
と、小さく首をかしげる彼女は、いつものようにおっとりとした笑みを浮かべている。
「レティシ……」
「お義姉さま! 流石です!」
「ぐふっ」
グローリアさんが頭からレティシアさんにぶつかってくる。
チラリと不満そうな顔を私に向けたのは……あなたもレティシアさんのあの視線に気づいた?
「見事な仲裁でしたわ! 見惚れてしまいました!!」
「そ、そうかしら」
「でも、無理はいけません! 頭を打っているんですから、安静に! さぁ、保健室に戻りましょう! さぁさぁさぁ!!」
グローリアさんはぐいぐいとレティシアさんを押し、レティシアさんの方はされるがままだ。
「そうね。保健室でおとなしくしましょ。それじゃあみなさん、また明日」
「いーきーまーすよー!」
「はいはい」
ひらひらと手を振って、レティシアさんは教室を後にする。
彼女が去った後は、嵐が過ぎた後のよう。
誰ともなくため息をついて、自分の席に戻る。
「ふぅ」
私も、小さく息を吐く。
落ち着く……はずもない。
レティシアさんが髪に触れた時、あの目を見た時から心臓はうるさい位にはねておとなしくしてくれない。
何か熱いものが胸の真ん中に押し込まれたみたいな、そんな不思議な感覚がずっと続いている。
つかつかと、一人の子が私の前に来た。
たしか、食堂でも先頭にいた……
「抜け駆け、するからよ」
「そんなつもりはないんだけど」
「わかってるわよ。私が勝手にひがんだだけ」
そっぽを向いて唇を尖らせる表情に反省は見えないが、開き直って真っすぐに言葉をぶつけられるのは悪くない。
「気持ち、わかるわ」
グローリアさんなら仕方ない。
彼女は身分も高いし、お兄さんとレティシアさんが婚約もしている。
だけど、私は特別じゃない。
特別じゃないのに、特別な彼女に気にかけてもらえて……
立場が逆なら、私も向こう側にいたかもしれない。
彼女のように真正面に立つことはせず、参加もしないふりをして、隅っこでただ非難がましく見るしかしない、一番の卑怯者として。
だけど、もうそんなことはしない。
レティシアさんが私に自信をくれた。
「わかるけど、譲れないわ」
「そんなこと言わないわ。譲ってもらわなくても手に入れて見せるから。見てなさい!」
「ええ」
正面からの宣戦布告なら、こちらも正面から立ち向かうしかない。
どうやら私の居場所は、なかなか危ういみたいだ。




