●悪夢
瓶を取り出しベッドの上に並べる。
ひとつしかないテーブルには、冷めてしまった食事が乗っているから。
エリヴィラは紅茶のポットを持ってきて、ベッドに座って膝に置いた。
ポットの紅茶はまだほんのりと温かい。
「お姉さまお姉さまお姉さま。今、一緒にいるんですよね、あの娘たちと」
丸いポットを優しく撫ぜて……彼女は突然に紅茶を床に注いだ。
きれいなアーチを描いて流れる紅茶がむき出しの土の色を変え、かすかに湯気を立てる水たまりになる。
「いい香り。とても、とても」
少し引きつった笑顔を浮かべ自分が作った水たまりを凝視しながら、エリヴィラは手探りでビンを手に取る。
親切にもビンの口を閉じているコルクは、エリヴィラの力でも難なく抜けるように緩めてあった。
開けたとたんにあふれ出す魔力にエリヴィラは少しひるんだが、すぐに紅茶の水たまりにビンの中身を足していく。
「大丈夫大丈夫大丈夫。できる。できるわ。自分を信じて。お姉さまならそういってくれるはず」
すべてのビンの中身を床にぶちまけた彼女は立ち上がり自分の髪に指を滑らせ、数本引き抜いて水たまりに落とす。
「足りない。こんなんじゃ全然足りない」
エリヴィラはうろうろと懲罰房を歩き回り、またベッドに戻ってきて空のビンを手に取り、ふっと笑い、突然にビンを壁にたたきつけた。
ガシャン!
「何!?」
大きな音に見張りの先生が気づいたらしく足音が近づく。
「大丈夫、できる。やるの。お姉さまお姉さまお姉さま」
エリヴィラはビンの鋭い割れ目に髪の束を滑らせる。
一部はガラスに切り裂かれ、一部は引っかかって毛根からぶちぶちと抜けた。
「何をしているの!? やめなさい!!」
見張りの先生が配膳用の小窓から覗いて叫ぶが、そんなことでエリヴィラは手を止めようとしない。
何度も切れずに残った髪を滑らせる。
それでも髪は半分ほどしか切れない。
ガチャガチャとドアのカギを開けようとする音がする。
「もう少しなのに、仕方ないか」
エリヴィラは切った髪を水たまりに投げ入れると、自らもその水たまりに踏み込んだ。
ぐしゃぐしゃと髪と液体を靴の先でかき回すと土間の土が溶けだし、ねっとりとした粘土になる。
「今行くから、待ってて。お姉さま……」
ずるりと粘土がエリヴィラにまとわりつく。
同時に粘土に埋まっていた髪が血管のようにあたりに広がったかと思うと、土がひび割れ波打ち盛り上がる。
ガラガラと壁が崩れた。
「キャア!」
見張りの先生は崩れる壁から逃れたらしく、悲鳴が細く遠ざかる。
「今、今、すぐに……」
エリヴィラを中心に土は盛り上がり、懲罰房を崩し、その瓦礫は土に飲み込まれた。
ガラスが割れ天井が落ちるが、粘土の鎧に守られたエリヴィラには届かない。
轟音を立て、エリヴィラを中心に土は盛り上がり続ける。
半地下の懲罰房はすっかり崩れて見る影もなく、ただそこには大きな土山があるのみ。
土山はそれだけで生き物のようにうごめき、周りの土を取り込んでいく。
それがぴたりと止まったかと思えば、メリメリと形を変える。
出来上がったのは、巨人の上半身だ。
太い腕にアンバランスに大きい手のひら。
頬筋は分厚く、ひどく細い腹。
卵のようにのっぺりとした頭部が崩れエリヴィラの姿が現れる。
エリヴィラはほぼ土に埋まり、見えているのは顔と胸の下あたりまで。
後頭部や背中も埋まっている。
「やっぱりお母様みたいには旨くできないな。けど、いいや。だって来てくれるもの」
あまりの轟音に、学園内の誰もが気が付いた。
エリヴィラの……ゴーレムの巨人の周りには人が集まり始めている。
おそろしい姿だが、上半身のみであるので距離をとれば安全だと判断したらしく、距離を取りつつも興味津々な目を向ける生徒たち。
彼女たちを部屋に返そうとする教師たちの手には、見るからに物騒な武器が握られていたが、エリヴィラはそれには見向きもせず、生徒たちの中に誰かを探している。
「ちょっと、どきなさいよ!!」
ぱちんと火花が散り、そこからざっと人が離れた。
そこには静電気で髪を逆立てるグローリアの姿があった。
「ちょっと、何してるのよ!! こんなことしてどーするの! みんなあなたが悪いことになっちゃっうじゃない!!」
「お姉さまは?」
「はぁ!?」
「お姉さまはどこ? お姉さまは」
「あのね、本当に自分が何やってるかわかってるの!? あたしたち! あなたのこと信じてるんだから!」
「私も、私も信じてる。お姉さまは来てくれてるって」
「来させるわけないじゃない!!」
グローリアが声を限りに叫び、放電の火花をまとう。
が、それよりも明るい光が辺りに満ちた。
「だめよ。これは私たちの仕事」
グローリアを止めたのは、リゼットちゃんの炎だ。
炎は目も眩むほど明るく辺りを照らす。
「エリヴィラさ……ストルギィナさん! こんなことはやめましょう? なんにもならないわ」
「だめ。お姉さまを、お姉さまを……しなきゃ。私がするの。私がするから!」
「あなたの気持ちはわかるわ。わかるからーー」
「だったら!」
ゴーレムが腕を振り上げる。
「やめて! 私が行くわ。私を呼んでいるんでしょう!」
その声にゴーレムの動きが止まる。
ゆっくりと歩いて、レティシアはゴーレムの前にたつ。
制服のリボンが、日が落ちて暗い空の下炎に照らされ白く浮かび上がる。
「お姉さま!」
「グローリアさん、モーリア先生。いいから下がってね。私は大丈夫」
「で、でも、お義姉さま!」
「大丈夫。エリヴィラさんが私に悪いことをするわけがないでしょ? ね?」
「わかったけれど、気をつけてね?」
レティシアがすっとエリヴィラに向けて両腕を延ばす。
細い手首があらわになり、結び付けられた花のブレスレットが揺れる。
「大丈夫よ。私たちはエリヴィラさんを信じているわ。これからもずっと」
「ああ……ああ、嬉しい」
ゴーレムの腕がレティシアに向かって延ばされる。
だが、レティシアは安全な距離を取っており、届かない。
「やっぱり思った通りだった。信じてたの。信じてたの。よかった……お姉さま!」
「私たちもよ。だから、安心して。大丈夫だから」
「ああ、ああ、ああ。よかった」
ゴッ。
ゴーレムの関節が突然伸びた。
「きゃっ!?」
「お義姉さま!!」
レティシアは、ゴーレムの大きな手にとらえられた。
「お姉さまお姉さまお姉さま。私、私、私、信じてた通りだった。うれしい」
「いい加減にしなさい!」
ざざっと音を立てて先生たちが動いた。
その手の武器は、魔法を動力とする銃や弓、投げ槍などだ。
このリリア女子魔法学園では、あまりに異様な様子である。
「ああ、そうよね。そうなるよね。わかってた、わかってた。大丈夫、私は平気だから!」
ゴーレムに向かって、武器が構えられた。
「お姉さま、大丈夫。私にならできるから!!」
エリヴィラの声が夜空に響いた。




