●お休み
部屋のドアを閉めると、喧騒が急に遠くなる。
急にだるさを感じて、ベッドに倒れ込んだ。
小さなベッドにエリヴィラさんの体は大きすぎるので、シーツに落ちるまでに擬態を解いてスライムの姿になる。
今日は、楽しかった。
かわいく庇護を得ることも大切だけど、目立たぬよう溶け込むことも生存戦略のひとつだ。
だけど、今日はどちらも違った。
今日の擬態した女優さんは、かわいくはなかった。
美しく凛として強く、ひときわ目を引く存在で……教えられて実践してきた生きかたとは全く逆で。
なのに、みんなが喜んでいた。
今まで声をかけてくることもなく、自分や自分の近しいものに擬態するワタシを見て顔をしかめていた人たちが、てのひらを返してちやほやと持ち上げてきた。
楽しかった。
でも、怖い。
ワタシは何も変わっていないのに、ただ姿を変えただけでこんなにも扱いが変わるなんて。
スライムとして生まれて、擬態して生きてきて……わかっているつもりだったのに。
今更ものすごく怖い。
ようやくわかった気がする。
『かわいくあれ』
と、押し付けられた生き方は、本当に本当の生存戦略だったのだ。
ワタシはわかっているつもりで、わかっていなかった。
姿ひとつで、人はこんなにも変わるなんて。
「怖い……」
とても怖い。
かわいくも美しくもなければ、彼女達はまた簡単に手の平を返すだろう。
かわいくも美しくもないどころか、醜かったら?
「かわいく、ならなきゃ」
生きるためには、かわいくないと!
自分だけの、ひときわかわいい姿を手に入れないと!
どうせダメだとあきらめて、擬態の訓練にまじめに取り組んでなかったのが悔やまれる。
レティシアさんのかわいい仕草を盗んだって仕方ない。
結局見た目だ。
姿だけ美しくかわいければいいのだ!
かわいくならないと。
かわいい姿を作らないと!
ベッドのそばにある少しくすんだ姿見に自分を映す。
うすいピンクをした、柔らかく丸い体。
こんなのはどうでもいい。
かわいくならなきゃ。
かわいく。
かわいく……。
けれど、かわいいってなんだろう?
なんなんだろう。
やる気になって自分を鏡に映したのに……ワタシはいつまでたっても姿を変えられないでいた。
一晩、かわいいを考え続けて結局答えは出なかった。
ドアの向こうから漏れ出る声で、登校の時間が近づいたことを知る。
またエリヴィラさんの姿を借りて、ドアノブに手をかけた。
だけど、そのまま動けない。
外に出るのが怖い。
かわいいがわからない今は、かわいいの鎧をまとえない。
今ワタシはかわいいの?
エリヴィラさんの姿なら安心なはず。
なのに動けない。
ドアの向こうはいつの間にか静かになっていた。
今日は休もう。
そう思うと急に気が楽になる。
寮母さんに気分が悪いので休むと伝え、遅い朝食ついでに食料を確保する。
スライムは燃費がいいので少しでいい。
みんなと一緒の時は楽しみのために食べているので、生きるためなら少しで十分なのだ。
今日、引きこもれればいいと思っていたけれど……
それから三日たっても、ワタシは寮から出られないでいた。
メフティルトさんが一度様子を見に来てくれた以外は、誰も訪ねてこない。
一人でワタシはかわいい姿を考え続ける。
レティシアさんとの擬態の訓練を思い出して、最初にレティシアさんが考えてくれた姿を作った。
なかなかかわいい。
クラスの人間だけから、大体の平均も取ってみた。
これも、地味ではあるが普通にかわいい。
かわいらしさと、周りに溶け込むことを考えたらいいバランスかもしれない。
けれど、一生をこの姿で過ごすのかと問われれば、ノーだ。
普通にかわいい。
ではいけない。
あの女優さんの姿のようにみんなを魅了しないと。
けれど、溶け込むことも必要で。
大体、かわいいって何なのよ?
考えれば考えるほどわからなくなる。
自分がどんな姿になりたいのかすらあやふやで、つかめなくて。
このままじゃ、部屋から出ることもできなくなりそうで……
人間は怖いけど、教室にもう二度といけないのかと思うと、それもまた怖い。
早く自分の姿を!
焦るほどに何もできなくて、鏡の中にはずっと一匹のスライムが映っているだけだ。
「マリオン、入るよ」
突然ドアを開けられた。
こんな風に部屋に来るのは彼女だけだ。
「あ、メフティルトさん。何か……」
「アタシじゃなくて、レティシアがなんかあるんだって」
「へっ。レティシアさんが!?」
これは予想外だ。
お見舞いは禁止されているはずなのに!
「そ。あの人間。じゃ、アタシは部屋に帰るから。帰りに教師に見つかったらアタシの部屋に来ただけって言いなよ。見舞いの案内したのがばれたらめんどくさいことになるから」
「わかったわ。なるべく見つからないようにするし。えーっと、あなたの部屋は……」
「あそこの部屋。リースが飾ってあるとこ。じゃ」
メフティルトさんが引っ込み、代わりにレティシアさんの姿があらわれる。
「えーっと、入ってもいいかしら? 具合が悪いなら無理しなくてもいいのだけど」
「はっ、あのっ。えっ……平気です。はい。どうぞ」
「じゃぁ、お邪魔します」
うつむいていたレティシアさんが、ぱっと笑顔になる。
「わざわざ来てもらって、ごめんなさいっ!」
「声は元気そうね」
「はい。具合が悪いわけじゃなくて……」
「じゃあ、もしかして、擬態、できないとか? そうよね、あまりいろんなものに擬態するとできなくなるって言ってたわよね。もしかして、そのせい!? だったら――」
「ちっ、ちちちっ、ちがいまちゅ。ちがいましゅ! っっちがいますっ!」
途端におろおろし始めるレティシアさんに向かって、ワタシはあわてて首を振る。
だって、本当に違う!
この人は、何にも悪くないんだから!
「あんなのは、ただのおどしです。夜更かしするとお化けが来るよ的なのですっ。擬態は、できますっ」
その証拠に、とエリヴィラさんの姿を取る。
一瞬、エリヴィラさんになるのもできないんじゃないかとひやりとしたけれど、問題なく擬態することができた。
ここの所、ずっとエリヴィラさんの姿をしていたから、反射でなんとかなったのかも。
「部屋では、スライムの姿でいることが多いんです。楽だし部屋も広く使えますから」
「なるほど。部屋が広くなるのはいいわね」
「はい。この部屋でも広々です」
「ふふ。あら……でも、それならどうしてお休みしてたの?」
「それは……」
なんて言えばいいんだろう?
急に人間が怖くなった……とは、人間の彼女にはとても言えない。
きっとそんなこと言えば彼女は悲しむだろうし……あれ? けどレティシアさんは怖くない。
あ、れ?
どうして?
彼女は、攻撃の魔法を持たないから?
けど、レティシアさんにかわいくないと思われてもいいかとなると……絶対にいやだ。
え? あれ?
「……わからなくなっちゃって」
「わからない?」
ワタシ、何をそんなに悩んでいたんだろう?
それすらもわからなくなってしまって、ワタシは必死に言葉を探した。




