●わからない
最近、毎日が楽しい。
教室に行けば、ワタシをワタシと認識してあいさつがある。
擬態モデルに嫌な顔をされることもない。
定型の者にとっては当然のことだ。
スライムの身にはしかたないことだと、あきらめていた日常が自分で認識する以上にストレスだったことに気付く。
メフティルトさんたちが何も言わずに距離を取ってくれているのもうれしい。
もちろん彼女たちが嫌いなわけではない。
好きだし、尊敬もしている。
弱いスライムを守るのは、亜人を統べる者だったドラゴンの役目の名残だ。
それを引きずって学園でもなんとなく世話を焼いてくれていた。
だからこそ、ワタシのためにわずらわしい思いをしてほしくないのだ。
彼女たちと一緒でなくてもちゃんとできるところを見せないと!
そう気負うあまり、ワタシはつい彼女たちを避けていた。
群れるのを嫌うドラゴン族としては、今までワタシに構っていることが窮屈だっただろうと、自分に言い訳をして。
だから、
「たまにはここで食べたらどう?」
寮の食堂でメフティルトさんに声をかけられた時には、後ろめたさに形が崩れそうになった。
「えとっ、その、ワタシ部屋で……」
「いつもはそうだね。けど、最近ずっと人間の姿じゃん。食べるの楽しむのも訓練だし」
と、自分の机の向かいを指さす。
「はいぃ」
そう言われれば断る理由はない。
スライムの時は、必要なカロリー分の食物を取り込むだけだが、人間の姿でなら味わうことも、香りや歯ごたえを楽しむこともできる。
食事を楽しめるようになったのは、レティシアさんたちと食べるようになってからだけど。
選ぶ余裕もなかったので、セットされていたトレイを取って席に座る。
向かいにはメフティルトさんとロズリーヌさん。
この並び方もずいぶんと久しぶりな気がする。
しばらく、黙々と食事をする。
味も香りもわかるはずなのに、あまりそれを感じられない。
ロズリーヌさんは相変わらず卵を。
私物のキャビアと一緒に食べている。
メフティルトさんの前に積まれているのは、大量の生肉。
昼食では無難なものを選んでいるが、やはりこれが彼女の食性だ。
ワタシはジャガイモのグラタンを口に運ぶ。
ミルクの香りが鼻に抜ける。
「んっ」
大きな肉の塊を口に押し込んだメフティルトさんが、唇を親指で拭う。
「で?」
「へ?」
「どうなの?」
「どぅ、て……」
「自分の姿作ってるんでしょ?」
「え、まぁ、はい」
「どうなってんの?」
「えと……」
確かに自分だけの姿を作るためにレティシアさんと一緒にいるが、その目的はずいぶん薄れている。
今は彼女と一緒にいるために、擬態の練習をしているようなもので……見事に手段と目的が入れ替わっている。
「まだ、あんまりうまくいってなくて」
「ふーん。またアンタかわいいに固執して変なことになってんじゃないの?」
「へん?」
「別に、かわいくなくてもいいじゃん」
「でも、ワタシ、スライムだから」
スライムだから、弱いから、かわいくなくてはいけないのだ。
かわいい庇護対象でいるために。
「アンタ、強いんだから。アタシの爪で思い切り引っかかれて生きてるのなんてアンタぐらいのもんよ」
「あれは」
小さなころの事故で、ちょっと引っかかれただけだ。
スライムにはなんともないこと。
もしブレスだったら、ワタシはここにいないだろう。
だからやっぱり
「強いのはメフティルトさんやロズリーヌさんの方ですよぅ」
メフティルトさんは強い。
ドラゴン由来の力に、魔力帯びたブレス、魔具を増幅する力。
どれをとっても飛び抜けている。
ロズリーヌさんも強い。
彼女の魅力に逆らえる男性はいないし、その気になれば女性だって魅了できる。
メフティルトさんのようにわかりやすい強さではないが、彼女もまた強力だ。
「わたし、つよい、かしら?」
ロズリーヌさんの声を久しぶりに聞いた気がする。
彼女はあまりしゃべらないから。
「は、はぃぃっ。ロズリーヌさんもっ、すっごく強いと思います。とってもうらやましいですぅ」
彼女らの力の何分の一でもいいからワタシにあれば……
「わたし、わからないわ。わたし、あなたが、うらやましい、わ」
「うらやましいって、どぅして……」
「あなた、なんにでも、なれる、から」
「そりゃあ、ワタシはスライムですから」
「ちがう、わ」
「?」
「わたし、サキュバス、だから。サキュバスとしてしか、生きられない。あなた、なんにでも、なれる、わ」
「はぁ」
だから、ワタシはスライムだから。
なんにでもなれるけど、今はなんにもなれないでいる。
「ほんと、うらやましい話よ」
「わからない、です。ワタシ、何もできなくて。レティシアさんは頑張ってくれるのに、何もできなくて、みんなに迷惑かけてて」
本当に、彼女達の言うことがわからない。
うらやましいのはワタシのほうだ。
「ワタシはかわいくあることでしか生きていけないスライムなのに」
「ふーん。ま、いいけど。適当にがんばんなさいよ」
メフティルトさんの前に山積みだった肉は、もう皿に残った血のしみだけになっている。
「じゃ」
ロズリーヌさんが無言でメフティルトさんの後に続き、ワタシは一人残された。
「わからない」
かき混ぜ続けたグラタンは冷めてねばねばの物体になっている。
まるで私の本当の姿みたいだ。




