5・初対面だけど暴言吐かれただけ
「うーん、これをこっちに回して…いやだめか。じゃあこっちを削減してこっちに……]
ライアスから領地に関する帳簿を受け取ってから一週間。
順調に運動や食事制限などをすることで、体重はマックス65キロから59キロまで落ちていた。
やはり魔王時代の運動神経が体に染みついているため、普通の人よりかは効率的に痩せられているのだろう、と我ながら魔王時代の自分に感謝していた。
しかしフェルヴェルフォン伯爵領の財政難打開のための案は、一向に浮かばない。
試行錯誤してなんとか税収を増やそうとか、余計な支出を抑えたりなどは、早速ライアスに頼んで実行させているのだが、いかんせん借金の額がでかすぎる。
(はぁ……こんだけ急に痩せられたのも、どっちかというとストレスのほうが大きいわね……)
遠い目になった私。
机の上に積みあがった羊皮紙の束_____すべて財政案だ_____を眺めつつ、鏡に目をやる。
以前と比べて、少しではあるが顔や肩の輪郭もはっきりしてきた。
腫れぼったい唇は、口周りの筋肉をマッサージすることでだいぶ改善されたし、厚い瞼も体重の減少に伴って徐々に、本来あるべき二重が見えてきた。
「……む、やっぱりここまでくると化粧とかが必要だな」
ただし依然としてブスさは変わらない。というか元々ブスなのだからいくら痩せたところで、うん、まぁ、そう、そういうことなのだ。
これは本格的に前世で身に着けた化粧スキルを使うべきか、とも考え始める私。
問題は山積している。
すると部屋の外から慌ただしい足音(…毎回メイドが部屋に来る時っていつもこうじゃん?)が聞こえてきた。コンコンコンコン、というかなり早めのノックとともに、外から聴きなれた声がする。
「おっ、お嬢様!! 少々お時間をいただけますでしょうか!? 火急の要件ですっっ!!」
私専属の年配メイド、シシアが焦ったような声でドア越しに叫び、ノックを繰り返す。
ただ事じゃなさそうだ。
「どうしたのシシア、そんなに慌てて……」
「たたたっ、大変ですお嬢様、いま、屋敷の前に急遽お嬢様と縁談をされたいという方がいらっしゃっているのです!!」
________え、縁談?
一瞬頭がフリーズしたが、よくよく考えてみると、デブでブスな私に心から縁談を申し込みたいなんて思っているのなんてよほどの気狂い男くらいしかいないだろう。それ以外にあるとすれば。
(さしずめ、政略結婚の申し出といったところかしら。なるほど、うちが財政難なのをわかって話を持ち掛けてきたというわけね。となると狙いは……うちの葡萄かしら。たしかに高級だし、王都の市場ではものすごい価値があるらしいし……)
少し考えたのち、私は急いで正装に着替え、香水をつけて夏特有の体臭を消し、シシアとともに一階にある客間へと向かった。
大方予想がついているが、今回の縁談の目的が仮にうちの資源を目的とした場合はきちんと断らなくてはならない。
他人からの援助に頼って財政難を解決するなど言語道断、兄のライアスが許可しても私が許せない。しかも私が転生した目的は『意中の相手との結婚』。初対面の相手といきなり縁談して結婚など、私の目的に反する行為だ。
「はぁ、はぁ、はぁ……で、相手はいったい誰なの?」
客間へと向かう廊下で隣にいるシシアに尋ねる。
すると彼女は複雑そうな顔になりながら、
「それが‥‥‥‥ティフェルバーニャ伯爵領の三男、ウィリアム・アース=ティフェルバーニャ様なのです」
「はぁ、はぁ、ふぅ…ティフェルバーニャ…って、お隣の領地を保有してるっていう??」
「そう、その伯爵家の方でございます」
ティフェルバーニャ伯爵家。
フェルヴェルフォン伯爵領の東側に位置する広大な領地を保有する有名な伯爵家だ。海や山にも面しているため、非常に多彩な特産物や土木技術などが発展している画期的な所らしい。
隣にある財政難のウチとは違い、資金繰りに困っているという話も聞かないので、やはりこちらの特産物が狙いの政略結婚だろう。わざわざ三男を連れてきたあたり、とても露骨なやり口だ。
考えながら足を運んでいると、いつの間にか客間の前までついていた。
乱れた髪を整え、シシアから受け取ったハンカチで首周りから大量に流れる汗を拭いた後、荒い息を鎮める。
この身体だと、運動の習慣をつけててもまだ急に動くのはつらいな。
「準備と覚悟はよろしいですか、お嬢様?」
「えぇ、ばっちりよ。……あと覚悟って何の覚悟よ」
どっちかというと私よりも緊張な面持ちのシシアがドアを開ける。
客間の中央に、豪奢なテーブルを挟んで設置された二つのソファの片方に、一人の男性と若い少年が座っていた。
少年のほうは私と同じくらいの歳に見える。美しい癖っ毛の銀髪に、私よりも白くてきめ細やかな肌は遠くからでもわかるほどだ。中性的で端正な顔をしているが、俯いているためあまりよく見えない。ただ私よりも長い睫毛なのははっきりと見て取れた。
いわゆる超絶美少年というやつだ!!
横に座っている父親(…ティフェルバーニャ伯爵だな、たぶん)が私が入ってきたのを確認すると、少々驚いた顔になったのち、微笑みを浮かべて一礼した。
「御機嫌よう、フェルヴェルフォン伯爵令嬢アイリス様。私は隣の領地を治めるティフェルバーニャ家当主のティフェルバーニャ伯爵です。こちらは息子のウィリアムです。どうぞお見知りおきを」
「ごきげんよう。さて、早速ですが、本日の要件は?」
私は巨体を揺らしながら、ソファにゆっくりと腰かけた______つもりだったが、実際はドサッとなんとも重々しい音とともに座ってしまった。
それを見た伯爵の口の端が歪みそうになったものの、次の瞬間には元の笑顔に戻っていた。
(くっそ笑おうとしてるじゃんこいつ…)
「えぇ、本日わざわざこちらまで来たのは_________そうですね、単刀直入に言えば縁談ですね」
「はぁ。縁談、と急に申されましても」
「わかっています。ですが息子がどうしてもアイリス様のお目にかかりたいと申しておりましたので、事前通達はできませんでしたが急遽くることになってしまったのです」
アイリスが横にいたウィリアムに顔を向けると、彼はチラリと顔を上げて私の顔を一瞬だけ見たが、すぐに俯いてしまった。
……その目には、恥ずかしいとかそういう感情は一切なく、ただ屈辱を受けているような恨みのようなものしかなかったように私は感じた。
どうやら息子のほうは、この縁談に乗り気ではないらしい。
「そうですか。それはそれははるばるご苦労様です。ですが今、フェルヴェルフォン家の当主である兄のライアスはここにおりません。故に私一人で勝手に結論を下すことはできませんね」
私がきっぱりとこう答えた瞬間、パッと驚いたような表情でウィリアムが顔を上げた。
私はそちらは見ずに、伯爵と真正面から向き合って視線をぶつけ合っていた。
そう、ライアスは現在領内の巡回をしている真っ最中なのだ。
(おそらく、この人はうちにライアスが不在なことを知っててきたはず。はっ、いい根性してるわね。かっこいい息子を一緒に連れてきて、一目ぼれさせたところで自分に有利な縁談をまとめる、か……)
確かにいままでの愚鈍なアイリスならイチコロだっただろう。
しかし今のアイリスは違う。
幾千億の戦いを戦略で勝ち抜き、諸外国との外交では自分に有利な条約を知らず知らずのうちに締結させ、敵対国はあらゆる手段を使ってでも潰す。
前世である『アーヴェナ=シェイストーム』本人の気分で、伯爵と向き合っているのだ。
「しかしですね…うちの息子はお嬢様を大変慕っておりまして。できれば今ご決断いただけると幸いなのですが…」
「今、ですか? それは少々急ぎすぎではないでしょうか。私はこれでもフェルヴェルフォン家唯一の令嬢、そうやすやすと、相手がいくら伯爵の御子息とはいえ婚約を交わすことはできません」
「はぁ…そうですか…」
伯爵の目に一瞬迷いが生じ、おそらくこの後出そうと思っていたであろう、『何か』をしまおうとした。私はそこを逃さなかった。
「ときにティフェルバーニャ伯爵様。そちらは縁談の際に交わすべき『約束』をまとめた資料でございますよね?」
「えっ、あぁ、はい、そうですが……」
「私に渡していただけませんか? そちらをよく見て、今回の縁談を兄と一緒に吟味いたします。」
にやり、と口を裂くようにして不気味な笑みを浮かべる私と羊皮紙を交互に見た伯爵は、苦々しげに私に羊皮紙を差し出す。僅か数分の短い交渉だったが、こうして私は完全に勝利した。
ふと丸められた羊皮紙を開き、ざっと内容を読んでみると、案の定こんなもんだった。
『そちらの領地の財政難は把握している。
そこでこちらの伯爵家と血縁関係になることによって、そちらの借金をこちらが肩代わりしよう。
そうなれば双方に有利だ。
代わりにこちらはそちらの特産品に関する権利を引き受けたい』
(うっわ。露骨だな、この交渉文……さては私が愚かで面食いなデブスお嬢と決めつけてきたか)
一気に平坦な目になった私は、羊皮紙をシシアに渡して席を立つ。
「内容は把握いたしました。この件に関しては後日またご連絡いたします。よろしいですか?」
「は、はは……もちろんですとも。 しかしあれですな、こちらの領地では葡萄が豊作のようだ。 帰る前にぜひとも畑を視察したいのですが、よろしいでしょうかね?」
「構いません。ごゆっくりお楽しみくださいね」
二人とも口だけは明るいが、互いにすわった目をしている。
伯爵の横に座っているウィリアムが縮こまって、完全に空気と化しているが無視しよう。
まぁイケメンだしちょっとは気になるが、今は話かける場面じゃない。
こうして私は軽く一礼をして、部屋を後にする。
シシアが羊皮紙を抱えたまま、私に並んでそっと耳打ちをした。
「見事でしたわ、お嬢様。……いつの間に、そのようにお上手な交渉術を身に着けたのですか?」
「いや、上手っていうか普通に断っただけだけど。でも結構無礼よね、ああいうの」
「そうですね、随分と足元を見た交渉ですわ。おそらく、以前のお嬢様と勘違いして交渉しに来たのでしょうね……ひやひやいたしましたわ」
「まぁ、何はともあれこれで先延ばしにできたわ。ライアスお兄様が帰宅したら知らせてくれる?」
「もちろんですわ」
「......じゃあ私は、乗馬の練習でもしてこようかしらね。ランニングと勉強は午前中に終わらせたし」
「了解しましたわ」
こうして私は、突然のピンチを華麗にやり過ごし、牧場へ向かうのであった。
めでたしめでたし。
♡
「よっ、はっ、よっっっ!!」
栗毛の馬に跨り、フェルヴェルフォン邸の後ろにある広大な牧草地を駆け回る。
前世でも、戦争中に最前線に立って進軍することが多かった私は、箒や絨毯といった『魔道具』は使わず、馬で兵士たちを率いていた。
昔から乗馬に慣れていたので、体重が圧倒的に増えた今であってもある程度は乗りこなせる。
「ふぅ、ふぅ、ふぅ……だいぶ走ったわね……」
ヘルメットを外し、馬を立ち止まらせてから休憩する。
馬が乗りこなせるようになれば、外での移動が圧倒的に手軽になる。いちいち馬車を用意してもらう必要もないのだ。
そんなこんなでシシアから渡された冷水の瓶をごくごくと馬上で飲んでいると、不意に真後ろから声がかけられた。
「おい」
「のわっっっ!?」
唐突な呼びかけにびっくりした私は、思わず瓶を地面に落としてしまい、加えて危うく馬上から転げ落ちるところだった。馬上でバランスを取り戻し、後ろを向くとそこには美しい銀髪の少年が、アイリスと同じ種類の馬に乗っていた。
名前は確か、ウィリアムといったか。
なぜここにいるのか疑問に思ったが、おそらく父親が帰る前にここの領地を視察したいといっていたので、試しに乗馬でもしているのだろう。
「私に、何か御用で? 縁談関連の話なら先ほど済ませたはずですが」
「いや、違う」
「???」
私が首をかしげると、ウィリアムは端正な顔を真っ赤にして怒鳴り始めた。
「いいか、僕はお前みたいな醜悪な女は大嫌いだ! 勘違いするな、父上は僕が希望したといっていたが、僕はそんなこと微塵も思っていない!!」
「あ、えっと」
「お前は服のセンスも悪いし、顔も醜悪だし、体型に心の汚さが表れているし、挙句の果てに息も臭い!! わかるか、お前のような______豚、そう、豚だ! 豚と縁談させられる気持ちは!」
えちょっと待って、この子的確に私の嫌なところえぐってくるんですけど。
しかも息臭いって今初めて知ったし。
ウィリアムは怒りで荒い息をつきながら、こちらをキッと睨みつける。
対して私は、若干ショックを受けたものの、すぐに気を取り直して謝る。
「うんまぁ、九割九分私のせいではないけれど謝っておくわ。ごめんなさい。でも私に縁談の決定権はないし、兄と相談してから話をつけるつもりだからそんなに気に病むことはないですよ」
「えっ……? そう、なのか?」
拍子抜けした表情でこちらを見つめてくる美少年に対し、私はいたって平然という風に答える。
「えぇ。私としてもあなたと結婚するのは不本意ですし」
疑わし気にウィリアムは眉を吊り上げたが、すぐに納得したようで、子供の様に怒鳴り散らしたことを恥ずかしく思ったのか、顔を赤くしてそっぽを向いた。
「ま、まぁ、とにかく僕はお前のような豚とは結婚したくない。これは言っておく」
「……えぇ。わかったわ」
蒼い瞳を持つ銀髪の、兎のような印象を漂わせる少年は乗ってきた馬を操って反対方向へと向きを変えて、去っていった。
ふと立ち止まると、少しだけこちらを振り向いて小声でつぶやいた。
「あの時、父上を止めてくれて助かった。まぁ、これだけは感謝しておく、豚」
「……あの、その呼び方どうにかなりません?」
私の問いはガン無視し、少年は屋敷のほうへ戻っていった。
その背中を見ながら私は、ふとこんなことを思った。
(男性と恋愛するには、服のセンスと体型と顔と息の臭さを直さなければいけないのか。まぁ、改善点を教えてくれたウィリアム少年には感謝しておくとするか……ていうか最後の一言、ちょっとだけツンデレ入ってなかった?)
私の恋愛へたどり着くための道は、まだまだ長い。
土日はこの一話しか投稿できません(多忙です・・・)。
さて、物語がやっと動き出してきたところです。
これからどんどん面白くなっていくので、ぜひブックマークなどをつけてお待ちくださいね!
ポイント評価をつけていただくと、更新速度が圧倒的に早まりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
それではまた次話でお会いしましょう。