4・いや待って、運動がきつすぎるだけ
「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……げふっ、げへっ、はぁ、はぁ……」
ワンピースから、メイドに用意させた運動用のカジュアルな洋服に着替えた私は、現在進行形で領地内にある広大な平原を走っていた。近くに牧場もあるため、放し飼いになっている馬や牛が呑気に草を食んでいたりする。
じりじりと初夏の太陽が照り付けるため、まだ数分しか走っていないのに全身汗まみれだ。
遠くでは、朝ダイエットのことを伝えた年配のメイド______シシアが冷水を瓶に入れて待機していた。彼女は夏なのにランニングをして運動をするという私を心配し、わざわざ仕事を早めに切り上げて見に来てくれたのだ。
いままできつく当たってきたが、彼女は他のメイドよりも大切にしよう、と心に誓った。
(やばい……予想以上に運動してないな、この身体。ちょっと走ったぐらいでこれほどバテるとは信じられないが……元の身体と同じ感覚で動けばすぐに壊れてしまうかもしれない、なっ!)
苦労しながらも、設置された牧場の檻に沿ってなんとか一周できた。
視界がぐるぐると回り、倒れそうになる。シシアが慌てて手を差し伸べるが、何とか自力で立てた。
彼女の手から冷水の入った瓶を受け取り、栓を抜いて一気に飲む。徐々に視界が安定し、もうろうとしていた意識も無事に回復したところで、体の調子を確かめる。
普段動かしていない筋肉を使ったせいか、全身が痛いがストレッチは念入りに行ったため筋肉痛の心配をする必要はなさそうだ。
一般的に小太りといわれる体型の私だが、この運動を一か月ほど続ければどうにか同年代の細い少女と同じくらいまでは痩せられるだろう、と大雑把に検討をつけていた。
(ふぅ。前世なら戦争や巡回で四六時中走ってたから訓練の必要はなかったけど…これならランニングと食事制限のほかにもなにか策を考えないといけないかもしれないな)
この世界での結婚適齢期は15歳からとなっている。私はまだ14歳だが、そろそろ婚約のための縁談などが開始される時期でもある。
まぁ、一番結婚するのに美味しい時期というわけだ。
早めにいい男を捕まえるためにも、痩せて評判をよくすることが私にとっての急務というわけだ。
「お嬢様、大丈夫ですか? ランニングなどされたことがなかったでしょうし、さぞお疲れになったでしょう? もう少しお水を用意しましょうか?」
「いや、このくらいで大丈夫よ。あまり水を飲みすぎてもいけない、とどこかで聞いたことがあるし」
「そうでございますか……。くれぐれもお体には気を付けてくださいませ、お嬢様」
シシアが過剰に心配するのも無理はない、なぜなら私は一昨日まで運動といっても『ウォーキング』という名ばかりで実利が伴わないものしかしていなかったからだ!!
その後、休憩とランニングを繰り返しているうちに気が付けば太陽が真上に来ていた。
体感的には2時間ほど走っていた感じだが、途中からは前世で鍛え上げた呼吸法とリズム感覚を駆使して楽に走れるようになっていた。なかなかの進歩じゃないか、これ?
「はぁ、はぁ、はぁ……今日はこのくらいでやめておこうかしら。だいぶ疲れたし、一回部屋に戻って休んだ方がいいかもね……」
「そうですね、たくさんお走りになられましたし。あまり気分が乗らないようでしたら、昼食の量を減らすとコックに命じておきましょうか? 代わりに夜に鶏肉などをたくさん食べれば筋肉に良いと言いますし、どうでしょう?」
「なるほど…。そうね、じゃあ夜ご飯の量を増やしてもらって、昼は果物でも用意してもらいたいわね。何かあるかしら?」
「うーん……果物、ですか」
シシアは少し考え込んでしまった。えっ、私なにか地雷踏んだ?
「おそらく、あるとすれば、こちらの領土で生産している葡萄と桃くらいでしょうかね‥‥」
「あ、ぜんぜんそれでいいわよ。そっか、うちの葡萄は夏だからちょうど収穫時期ね」
そうだ、葡萄といえば領地経営の状況についてライアスに聞くのを忘れていた。
このまま自室に戻ろうと思ったが、そっちのほうが気がかりなのでシシアに命じて冷水の風呂を用意させることにした。そうして気分がさっぱりすれば、兄との話し合いも集中してできるはずだ。
……もっとも、話し合いが必要にならなければいいのだが。
♡
シシアに用意してもらった冷水風呂に入り、簡単に全身の汗や汚れを落とした私は、とても爽快な気分で本日三着目となる新しい衣服を身に着けた。……いや半日で3着とかどんだけやねん。
(よし……それじゃあ、昼食がてらうちの領地経営の帳簿でも見せてもらうか!)
シシアにはすでに、ライアスに『領土に関する経営帳簿が見たい』という言伝を頼んであるので、あとは朝も行ったダイニングルームへと向かうだけだ。
私の記憶の中では確か、ライアスは成績優秀で運動神経も抜群に秀でている万能ボーイ(挙句にイケメン)だったが、両親の後に領地を経営していた叔父が病気で倒れたため、留学していた北の国______ええと、名前ド忘れした______から戻ってきたはず。
まぁ何年もやってるわけだし、結構やりくりできてるんじゃないかなと思いながら階段を下る。
ランニングのおかげでちょっと運動に慣れたのか、高低差の激しい急な階段でも朝に比べてだいぶ簡単に上り下りできるようになった。いやこれが普通なんだろうけどさ。
ダイニングルームではすでにライアスがコーヒー片手に帳簿を眺めていた。
よかった、シシアの言伝はちゃんと届いていたようだ。
私の席の前には、さらに綺麗に盛り付けされた葡萄と桃の皿が置かれており、シシアが融通したのか貴重な氷の入ったアイスティーまである。
この領地は氷が取れる場所からはるかに遠いので、氷ひと箱を手に入れるだけでも大分苦労すると過去に調理人がぼやいていたのを思い出す。
「遅れてすみませんね、お兄様。早速ですが帳簿を見せてもらえますか?」
「うん。えーっと、これらがうちの領地の支出入に関する帳簿だね。こっちが農作物と税収に関係するもので、あっちは商会関係の帳簿かな」
ライアスは相変わらず微笑みながら、机の上に置かれた二冊の分厚い羊皮紙の帳簿を指さす。
「ありがとうございます、お兄様。どれどれ、ちょっとばかし拝見を、っと……」
さっそく左側にある、領地の支出入に関する帳簿を手に取ってパラパラとめくる。
びっしりと几帳面な文字で丁寧に記入されたそれらは、折れ線や点のグラフで図式的にもはっきりと経営状態が分かるようにわかりやすくなっていた。
内容をざっと読んだ私は、顔面蒼白になりながら一言。
「なっ、なんですかこれ………うち大赤字じゃないですかお兄様!?」
そう、現在フェルヴェルフォン伯爵家の財政状況は文字通り『大赤字』であった。
ちょうど三年前、ライアスが新しく当主となった時期から記入が開始されているが、最初のほうは何ともないのだがここ二年で一気に財政状況が悪化している。
「しかも借金まで!? うそ、えっ、ちょ、お兄様これは一体どういうことですか!?」
予想とは真逆の結果に思わず声を荒げる私に対し、ライアスはうーんと頭を掻いて呑気に言う。
「まぁでも、借金してても翌年が豊作だったら税収で返せるし、何とかなると思うけど?」
「なりませんって!! この額、例えその年がどんなに豊作でも税収だけじゃとても返し切れる額じゃありませんし!?」
「うーん、そーかな? でも何とかなるんじゃない?」
________だめだこいつ、かんっぜんに無計画だ。
大きな期待を寄せていた自分自身を悔やみつつ、改めて帳簿を眺める。もう片方の帳簿と照らし合わせても、借金を全額返済するのには豊作の年が数年続かないとどうにもならない。
今年は豊作だったようだが、返済できた金額も微々たるもの、どうせ利子などですぐにチャラになってしまっているに違いない。
思わずフラッ…と眩暈がして倒れかける。ライアスが駆け寄ってきて心配そうに声をかけるが、もう私の脳内は完全にシフトチェンジして、内政を案ずる魔王の思考に切り替わっていた。
(税収で無理となると、新商品の開発…いやそんなところに力を入れてたらますます返済できなくなる。かといって無理に徴税すると不満がたまり、いつか反乱が起きる…)
今のところ、どのようなルートを以てしても、帳簿上にあるフェルヴェルフォン伯爵家が保有する資金では借金返済は無理だ。これは少し考える時間が必要かもしれない。
ものすごく平坦な目になった私は、ライアスに小声で尋ねる。
「あの、お兄様。少々時間をいただきたいので、この帳簿をお借りしてもよろしいでしょうか。というか嫌だといっても借りますから。なんとしてでも借金は返さなくてはいけませんし」
「あ、う、うん。わかったよ、アイリス。何かいい方法が見つかったら教えてくれるかな?」
「もちろんです。じゃあ、またあとで」
呑気に手を振る兄を般若の形相で振り返った後、私は二冊の重い帳簿を抱えて自室まで戻った。
もう階段がつらいとか、そういうレベルじゃない。
『借金』。
この二文字が圧倒的なストレスとなって私の前に立ちはだかる。
部屋に入り、机に帳簿を置いたところ、ふと鏡が目に入ってしまった。
見つめ返してくるのは、相変わらず醜悪な見た目をしたデブス女。
(うちの財政状況の改善とダイエット、あとはこの外見の修正か………やばい、泣きそう)
災難すぎる【転生】後の世界を呪いつつ、私は椅子に座ってこれからの自分を思案するのだった。
まさかの二日連続一日二話投稿。
ただ土日は忙しいので更新は遅くなるかもです。
これからどんどん展開が進み、次回ではキーパーソンとなるあの人が出てくるかも・・・です。
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