39・騎士を先生に訓練を宣言なだけ
「えっ、ダイエットコーチ?」
アグラヴェインが戸惑った様に聞き返す。その端正な顔には、如何にも『理解不能』といったような表情が浮かんでいる。
(……確か王都では私の評判は頗る悪いのよね。確かダイエットの噂は流れてなかったはずだし、単に性格の悪い女だと思われてたのかも?)
眉を潜めて第二王子とアイリスを交互に見遣るアグラヴェインに対し、若葉色の少女は軽く答えた。
「そうですのよ。今、体重削減に取り組んでいるのですが_____やはりランニングと腹筋だけでは、そう易々と減らないものでして。王宮騎士団直々の修練を手解き頂ければ、この上ない喜びですわ」
(王宮騎士団の身体鍛錬法は聞くところによると、どの領地の騎士団よりも厳しいモノらしい。前世の私は魔術を使えるから、太れば脂肪ごと体を削いで終わりだったが……今世ではこのアグラヴェインとやらに頼った方が早そうだ。今だけ無料キャンペーンの優良教師だしな)
要するに花瓶の件は忘れてやるから、お前は私にとっとと鍛錬法を教えて痩せさせろ_____暗にそう告げている訳である。
するとその言葉を聞いたイザヤが横から、不躾にもアイリスを頭から足元までじろじろと見ながら、
「……別にそこまで太っていなくはないと思いますが。少し膨よか、と言った程度ではないのですか?」
その言葉を聞いたアイリスの顳顬に青筋が走り、若干怒気を孕んだ声で至極穏やかに返答した。
「あはは殿下、“少し膨よか”が許される時代ではありませんのよ。草に釣り合うのは草、宝石に釣り合うのは宝石ですの。誰が何と言おうと私には、一刻も早く痩せなければならない理由がありますの!」
「な、なるほど……」
気圧されたイザヤは困ったように苦笑いを浮かべ、アグラヴェインの方に向き直った。
「じゃ、じゃあヴェイン、君は一月ほどこの領地に残ってアイリス嬢を訓練してくれ。その間の護衛は気にしなくていい、王宮騎士団の方にも上手く言っておくから」
「へぁっ!? ……わ、わかりました」
第二王子があっさり承諾した事に驚いたのか、鳩が豆鉄砲を食らった様な表情になるアグラヴェイン。しかし主人には忠実なのか、しっかり命令は守るつもりらしい。
アイリスとしても、短い期間で効率的に痩せることが出来れば万々歳だ。身軽に動けることは精神に負担もかからなくなるし、この先の領地改革の効率も飛躍的に向上するだろう____
アイリスはイザヤに対して頭を下げた。
「感謝いたしますわ、殿下。アグラヴェイン様は一月の間我々がしっかり持て成しますので、どうかご心配なさらずよう」
「大丈夫です、心配はしていませんよ。どうやら貴女は噂に聞くより……ずっと善い人のようですし」
イザヤが小さく微笑んで返事をする。
一方でアグラヴェインは寝台の上で枕に背を預けながら、ボソッとこう呟いたのだ。
「あぁ、なんてこった……」
♡♡♡
そうしてアグラヴェインを一月の間ダイエットコーチに任命したアイリスは、額を伝う汗を拭いながらイザヤと共に屋敷を出た。件の騎士は、まだ胸のあたりが痛むらしく動くのが辛いらしいので寝台に寝かせておいた。
エントランスから庭園に出て、門まで歩く途中不意に空を見上げたアイリス。空はまだ明るく、太陽の角度から見て昼過ぎくらいだろう。
そろそろ腹が減ってきたな、と考えているアイリスの横でイザヤが唐突に鳩の話を始めた。
「アイリス嬢、一応鳩はお預けしますが好待遇でお願いします。あまりストレスなどを与えないように。それと、鳩が手紙を持ってきたら『死神の罠』という果物を与えてくださいね」
その聞き慣れない果実の名前を何処かで聞いたことがあるアイリスは、思わず聞き返してしまった。
「ゴルチャー……それって確か、フェルヴェルフォン領で採れる珍しい果物でしたわよね。鳩ってあんなものを食べるんですの?」
以前ゼベット侯爵領のとの諍いを教えてくれた八百屋の店主から買った、例の毒々しい果物だ。あの見た目は絶対不味いだろう______と偏見の目で見ていたアイリスだったが、ついこの間腹が減りすぎて生で食べてみたら意外と美味しかったのを思い出す。
するとイザヤは肩を竦め、困ったように呟いた。
「まぁ、僕が面白半分で食べさせていたらそれしか食べなくなったんですけどね。普通の鳩は食べませんよ。しかしあの果物を食べた鳩は、今まで以上に長距離を飛ぶ様になったので……餌として重宝してます」
「へぇ、そうなんですのね」
そう返事をしたアイリスの脳内に一瞬、高品質で美味しい死神の罠を王室に献上して箔付をしようかという考えが渦巻いた。
しかし沢山採れる訳でもないし、注文が殺到しても応えられる自信が無いため泣く泣く諦める。
というかそもそも、王子が購入していることが何故公になっていないのだろうか、という疑問まで湧いて出てきた。思案しそうになるアイリスだが、未だ王子が側に居る事を考慮して一旦棚上げをしておく。
やがて門に辿り着き、守衛に合図して荘厳な扉を開けてもらうと既に一台の馬車が館の前に停泊していた。アイリスがイザヤの後ろから外に出ると、左右に数名の屈強な騎士が並んでおり、一斉に頭を下げて敬礼をした。
イザヤは脇目も振らず奥の方にいた騎士を指鳴らしで呼び寄せ、何やら耳打ちした。
「……畏まりました」
若い騎士は一礼をすると、馬車の後方に取り付けられている荷物入れの方へと向かった。
そして騎士は、見事な装飾が施された真鍮製の鳥籠に入った一羽の鳩と共に戻ってきた。丁寧な仕草でアイリスに鳥籠を渡す。
「感謝致しますわ」
アイリスが軽く礼をすると、騎士も一礼して元の隊列へと戻っていった。鳥籠を覗き込んだアイリスは、中に入ってる鳩から唯ならぬ気品を感じた。
真っ白な羽に、傷一つないふっくらとした鳩。その目は第二王子の瞳と良く似た、美しい真紅だった。
鳩は籠の中からアイリスの姿を確認すると、クルッと小さく鳴いた。
「なんだか上品な鳩ですわ。早速今夜王宮に手紙がしっかり届くか試したいのですが、よろしいでしょうか?」
「あぁ、構いませんよ。『西の離宮』直通なので、他の者に見られる心配はありませんので」
「成る程。感謝いたします、殿下」
頭を下げてきちんと礼を言う。
「それでは、今日はこの辺りで。また近い内にお会いしましょう、アイリス嬢」
そう言ったイザヤは周囲の騎士たちに合図をして、馬車へと乗り込んだ。
後部座席に座り、周囲の騎士たちが馬車を守るような陣形になったのを確認すると窓から身を乗り出してアイリスへ幸運の手記号を示した。
(……う、ん?)
その片目を瞑り、爽やかに笑う姿に妙な既視感を覚えたアイリス。
しかし疑念が渦巻く前に馬車が発進したため、慌てて礼をし見送る言葉を告げる。
「お気を付けて行ってらっしゃいませ、殿下!」
遠ざかる馬車の中からイザヤの右腕が見え、一回振ったのが見えた。
アイリスは小さく溜息を吐き、鳥籠を持って館の中へと入って行った。
門のすぐ内側では、シシアが落ち着かない様子で待っていた。彼女はアイリスが無言で差し出した鳥籠を興味深げに受け取ると、一言尋ねてきた。
「お嬢様、先程の話のことですが_____今後、どう為される考えですか?」
極めて難しい問いに、アイリスは静かに答えた。
「まずは情報を集めなくては。第二王子が告げたすべてが真実かどうか、確かめないといけないわ」
やはり続きを書いてしまいましたが、本日はこの話のみとなります。
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