16・穏やかな『商談』
私とウィリアムは、緊張の面持ちで中央商会フェルヴェルフォン支部の門をくぐる。
休日であるが、支部の中では正装をした男性や女性が行き交い、慌ただしく仕事をしていた。それ故か、誰も私たちという来訪者には気付いていないようだった。
「......対応が悪いな」
ボソリ、と銀髪蒼眼の少年が不満そうに呟く。
普通は案内役の者が待機して、客に無礼のないようにするのが常識なのだが...。
「足元、見られてるんでしょうかね...」
私も思わず本音を漏らしてしまった。
確かに突然『新種の回復薬と美味しいワインを作った、だから売らせてほしい』と依頼したのはこちらだが、幾ら何でもこの対応はあからさま過ぎる。
(...子供だと思って油断してる、か。中央商会側としては、財政難のフェルヴェルフォン伯爵家が起死回生の一手として、質の悪い商品を売り込んでなんとか立て直そうとしている、的な感じで思ってるのかも)
それに、伯爵権限を持つライアスがいないことも一因かもしれない。
というかこの対応から、そもそも商談に付き合う気がないということは素人でも分かる。
「...どうしましょう、お嬢様。呼んできましょうか?」
シシアが心配そうに言い、支部へと入っていこうとする。
しかし私はその行動を手で制し、首を振った。
わざわざこちらが下手に出る必要は無いのだ。
忍耐は、時に重要な戦術ともなる。
そしてそのまま、私たちは支部の入り口の前で待機し続けるのだった。
♡
【中央商会フェルヴェルフォン支部・副支部長ドネス視点】
今日は祝日だというのに、何時にも増して仕事が山積している。
副支部長の仕事は支部長の補佐、それ故に尋常じゃない量の仕事が回ってくるがそれも高額な報酬のためと割り切って、俺______ドネス=ケイアンは慌ただしく手を動かしていた。
市場で聞き取りや調査を行った部下の話によると、ここ最近地方の至る所にある中央商会の支部から出品される商品のほとんどの売れ行きが悪いらしい。
王都では国王の認可を受けているため、ほぼ独占状態にあるとの報告が上がっているが、やはりフェルヴェルフォン領のような地方にある領土での中央商会の勢力は、イマイチだ。
羊皮紙に記されたデータを照らし合わせ、シャツの袖で汗をぬぐいながら作業を続ける。
そこに部下の一人である若い男性が入ってきた。
「あのー……ドネス副支部長、お知らせしたいことがあるんですが……」
「なんだ? 忙しいから手短に用件を伝えてくれ」
「えっとですね、本日商談を予定しておりましたフェルヴェルフォン伯爵家の令嬢ご一行が、もう到着されているのですが……」
「伯爵令嬢? ……あぁ、あの、商品の売り込みについてか」
そういえばつい数日前、ここの領地を治めるライアス伯爵から直々に『ワインと薬品に関する商談がしたい』という連絡をもらっていた。
ただ、急に話を持ち掛けられたことが気になって、調査系の部署に調べさせてみたのだが。
(…開発などといった兆候はナシと聞いたがな。何を持ってくるつもりかは知らんが、どうせ外部から輸入して自分のところでちょちょっと手を加えた程度のものだろ。こういう身の程知らずには、最初からビシッと言っておかないと、図に乗るからな……)
報告では、フェルヴェルフォン伯爵領が何かしらの新事業に着手したという噂はなかった。
つまり必然的に、彼らが我々を驚かせるような商品を作った事実は存在しないことになる。
だから商談をしようと言われても、ハナから断る気なのである。
もしこれが違法な件が絡んでいて、それに巻き込まれたらこちらの損害は計り知れないだろうし。
俺は深くため息をついた後、ドアのそばで待機していた部下に声をかけた。
「おい、その伯爵令嬢一行を中に入れろ。茶でも出して待たせとけ、俺は『先生』を呼んでくる」
「『先生』……? 誰です、それは?」
「あぁ、『先生』っていうのはな、言わずと知れた王宮直属のワイン専門家、グリス=ダーバンだよ」
その名を聞いた瞬間、部下の顔が一気に青ざめた。
「グリス=ダーバン……って、あの毒舌批評家の!? しかも王宮に通されるワインの管理をすべて担っていて、一度酷評されたらそのワインは一生日の目を見ることはないっていう……!?」
「あぁ、そうだ。仮にも我らが中央商会に、直々に売り込もうとするくらいのワインなのだ。そのくらいの礼儀でもって商談をしなければいけないのは常識だろう?」
ニヤリ、といやらしい笑みを浮かべる。
そう、没落寸前の伯爵家になど、こちらは用がないのだ。
だったらいっそのこと、本物の専門家に鑑定してもらって、いかに自分たちが作ったワインが稚拙なものかはっきりとわからせてやらねばなるまい。
こうして俺は、ネクタイを締めなおして商談に臨むのだった。
♡
一方で私とウィリアム、そしてシシアと初老の執事の四人は依然として建物の前で待機していた。
中央商会の職員が行き交う中で、台風の渦の様に同じ場所で待っていたのだ。
ちなみにリリスは、私の汗を含んだハンカチの重さに耐えかねて屋敷に戻ってしまった。
……いやそれでも帰ることなくないか、おい。
運動神経がかなり良さそうなウィリアムは、初夏の太陽の下でこんなに長い時間待っていても、額にうっすらと汗を浮かべるだけで大して表情に変化はなかった。
しかし歳がちょっとヤバいシシアと執事、そして分厚い脂肪のミートテックに包まれているデブス令嬢の私は違った。前者の二人は直立不動の姿勢を保ってはいるものの、表情がだいぶ辛そうだった。
私はもっとやばかった。
何とか立ててはいるものの、意識が薄れ始めており、視界もふらふらと小さく揺れていた。
さっきまでしっかりと保っていた闘志も、暑さで薄れかけている。
纏まらない思考でなんとか意識を保とうと努力する。
(やばい……軽い熱中症気味、かな。できることなら後ろの二人も心配だし、早めに中に入れてくれるといいんだけど……)
そんなこんなで数分が経過した。
すると慌ただしく行き交っていた職員の中から、一人の若い男性が現れた。申し訳なさそうな表情を顔に浮かべて、おずおずとこちらに歩み寄ってくる。
そして何かに怯えるように、丁寧に質問をしてきた。
「すみませんが……フェルヴェルフォン伯爵令嬢ご一行様ですよね? 長らくお待たせして申し訳ありません、用意が出来ましたのでこちらへどうぞ」
それを聞いたウィリアムが露骨に顔を歪ませて不満を口にした。
「こういう暑いときはあまり客を待たせるな、という命令は受けてないのか??」
「もっ、申し訳ございません……」
キッ、と迎えに来た男性を睨みつけた銀髪の少年は、わりとキレ気味だった。
やはり、こうやって下っ端の人間に当たるところも子供らしくて可愛げがあるなぁ、と思ってしまった。しょせん下っ端は下っ端、上の命令で動いているに過ぎない。
問題は、私たちをこれほど待たせた中央商会の幹部のほうだ。
(……伝わってくるぞ、あからさまな『商談なんかしねぇよ』感。まぁ別にいいけどさ……最後に泣きを見るのはどっちかとくとご覧あれ、ってね……クックックックックッ……)
下っ端職員に案内されつつ、心の中でちょっと狂った笑いを漏らす私。
すると真後ろを歩いていたシシアが声をかけてきた。
「……どうされました、お嬢様。なにやら不気味な笑いが聞こえてきましたが……?」
「えっ」
どうやらがっつり聞こえていたらしい。
思わず恥ずかしさで赤面してしまうが、幸いなことにウィリアムとその執事は私の奇妙な言動に気付いていないようでよかった。……この癖は放置して置いたらやばいかもな。
「さぁ、こちらへどうぞ」
案内されたのは、建物の最上階にあるバルコニー付きの豪奢な応接間だった。
まぁそれなりの待遇だな、と思いつつ私とウィリアムは用意された席に座る。
シシアと執事は私たちの後ろで待機しており、合図があれば商談中に指定された物品を渡すということになった。彼女たちの顔も、重要な商談とあって普段よりも強張ってしまっていた。
チラリ、と横に座っているウィリアムを目だけ動かしてみてみる。
彼はいつも通りにしようとふるまっていたが、その青い瞳は部屋のあちらこちらに視線を移し、手の先も落ち着かないように膝の上で組んだりしていた。
……さっきの威勢はどこへやら。
(さて、と……。私も気を引き締めないとねっ)
用意された冷茶をグイッと一気に飲み、口の端を手で拭う。
食道を冷えた水が通る感覚が体を刺激し、一気に私の冷静な思考を呼び戻した。
魔王アーヴェナ=シェイストームの時代の、戦争前のような闘志の炎が目に宿る。
「やぁやぁ、みなさん。お待たせして申し訳ありませんね!」
突如、応接間のドアを勢いよく開け放って入ってきたのは、二人の男性だった。
突然のことにびっくりしている私たちの前で豪快に挨拶をしたのは、がっしりとした体形で髪形をばっちり決めた中年男性のほうだった。その後ろにはきちんとした正装をし、ちょび髭を丁寧に整えた高齢の老人が杖をつきながら従って歩いてくる。
「いやぁ、準備に手間取ってしまって申し訳ない。これだけ待たせてしまったんだから、商談は早く始めたいものですなぁ!!」
「……」
中年男性は乱雑にドアを閉めると、丁度私の目の前にある椅子にドッサリと腰かけた。足を組み、非常にリラックスしているようだ_______悪く言えば、行儀が悪い。
一方で、老人のほうはゆっくりとした足取りで優雅に席に座った。品の良さを感じさせる、礼儀正しいやつだな、と心の中でつぶやく。
老人が席に座ったのを確認した中年男性は、改めて私たちのほうを向いて挨拶をした。
「やぁ、はじめまして。私はこの中央商会フェルヴェルフォン伯爵領支部の副支部長をしている、ドネス=ケイアンと申します。本日はよろしくお願いしますよ!」
「フェルヴェルフォン伯爵家令嬢のアイリス=フェルヴェルフォンです。よろしくお願いしますね」
ドネス、と名乗った中央商会の副支部長と握手をする。
忘れていたが、私の両手は長い間暑さに耐えていたことにより、汗でべとべとだった。
その手を直に握ったドネスは一瞬、露骨に不快そうな表情を浮かべたものの、すぐに元の笑みに戻った。
というか、この後で握手をするウィリアムがかわいそうだな……。
すると老人がドネスに続けて自己紹介をした。
「御機嫌よう、私はグリス=ダーバンだ。今日はワインの鑑定士として呼ばれたのでな、よろしく頼むよ、フェルヴェルフォン嬢」
「あぁ、はい、よろしくお願いしますね」
そうか、こいつが私のワインを判断するのか……。
そう思った私が社交辞令の様に笑みを浮かべていると、目の前に座っていたドネスが、急に表情を切り替えていきなり核心を突く話をし始めた。
「それでは商談を開始_________と行きたいところなんですがね」
「……?」
「いや、その、なんていうんでしょうかね。うちはこれでも中央商会、国王直属の認可をもらっている団体でね、それなりにネットワークはあるんですよ」
「……それが、今回の商談と何の関係が?」
不可解に思ったため、聞き返す。
するとドネスはとんでもない爆弾発言を投下してきた。
「そのネットワークを伝って調べてみたんですがね……、フェルヴェルフォン嬢。あなた方が新商品を開発していたという情報はどこにもなかったんですよ。そこで聞きたいのが、今あなたが契約を結ぼうとしているワインは、いつ、どこで、だれが作ったものを『加工』したんですかね??」
意地汚い笑みを浮かべながら、私の目をまっすぐに見つめてくるドネス。
その口調に、さっきからイライラしていたウィリアムが殴り掛かる勢いで突っかかろうとするが、私は目でそれを制止した。ここで反抗する姿勢を見せるわけにはいかない。
やっぱりか、と思った。
しかしこの程度なら想定内。
私はここで、哀れなデブス令嬢そのものに成りきった渾身の演技を披露する。
「そっ、そんなぁ! いくらなんでもひどいですぅ、私たちはそんな、加工だなんて!!」
素の私の一部を知っているウィリアムが、あまりにも白々しい私の演技を仰天して見つめる。
だがドネスは、ウィリアムが驚愕の視線を私に向けていることにすら気づかず、高圧的な態度で話を続けた。
「いやね、君がいくらそんな風に否定しても、事実は事実なんだよ。だから俺たちは最初からこの商談を受ける気はないが……、どうだ、自爆覚悟でそこの鑑定士さんに試飲してもらうかい?」
「……」
「ちなみにね、その人は王都にある王宮に所属している有名なワイン鑑定士なんだ。そんじょそこらの鑑定士なら微妙な味で騙せても、この人は騙せないと思うなぁ~?」
「……わっ、わかりました……じゃあ、この商談は諦めます……でっ、でも!!」
「んー?」
「せめて、私たちが作った味くらいは、飲んでみて、欲しいです……」
俯いて、鼻をすすって涙ぐむ演技をする私の横で、ウィリアムが口の端をほころばせて笑いかけている。目で『笑うな!!』とひそかに睨みつけ、上目遣いでドネスを見上げる。
……人は優越感で図に乗る生き物だ。
あまつさえ、こんな人間の汚点を集めたような女からお願いをされているのだ。
ドネスの嗜虐心はいまや最高潮に至っているだろう。
「まぁ、そのくらいならいいよ。せっかくグリスさんも王都から来てくれたんだしねぇ?」
「うぅ……、シシア、出して頂戴……」
ちらっ、と後ろを見るとシシアはすぐにワインのボトルをキャリーケースから取り出し、保冷用の布で包んでおいたグラスと氷を出して、グリスの前でワインを注ぐ。
高齢の老人は、真剣な目つきになって注がれる紅い液体を眺めている。
ちょうどいいところまで注ぐと、それを見たドネスがせせら笑った。
「はははっ、見るからに安酒じゃないか。こんなもんをね、うちに持ってこようだなんて!」
「……それでは、試飲させていただきますね」
グリスがグラスを小さく揺らし、その深紅の液体を口に含む。
その一瞬だけは、部屋中が静まり返り、私以外の全員が緊張の面持ちでそれを見ていた。
しかし。
直後に、グリスの顔色が一気に青ざめた。
まるで、とてつもなく美味しいものを味わったかのように。
そして一言。
「……美味しい」
ワイングラスを持った手を空中で静止させ、衝撃で目を見開いたまま固まるグリス。
そしてその一言を聞いた瞬間、もっと衝撃を受けた顔になったドネス。
豪快な中年男性は、慌ててグリスに聞き返す。
「はっ、? 美味しい、ってどういうことだ!? 安酒じゃないのか!?」
「いえ、安酒どころか!!! こんなもの、王宮の最高品質のワインですら霞んでしまうほどです!! すっ、すみません、フェルヴェルフォン嬢!! こんなものを、いったいどうやって……!?」
必死に聞いてくるグリスに、私はにっこりと笑みを浮かべて告げた。
「完全に、私たちの手作りです」
それを聞いたドネスの顔から血の気が引いた。
焦燥の表情が顔に浮かぶ。
それを見た私は、追い打ちをかけるかのように冷徹な笑みを浮かべて一言呟いた。
「さぁ、どうするんですか? ドネスさん?」
そう。
今この瞬間。
私たちは、勝ったのだ。
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