15・いざ、中央商会へ。
「ぬわぁぁぁぁ!!!疲れたぁぁぁああ!!!」
燦々と陽射しが降り注ぐ広大な草原。
そのど真ん中で、普段以上にハードなトレーニングをしていた私は、疲労のあまり絶叫していた。
ここ数日、領地経営の方に尽力していたため思うようにダイエットが進んでいなかった。
体重も、体感的に少し痩せたかなぁ...と感じるくらいで、外見もさほど変わりがないように見受けられた。
もっとも、外見ではなく性格などの、中身の変化についてはライアスを始めとする屋敷にいる者全員が吃驚するほどらしいが...。
そんなことを考えつつ私は、初夏の涼しげな風を堪能しながら汗を拭う。
腰に着用したポーチから、特製の『万能回復薬』を取り出す。小瓶の中に入った青い液体は、太陽で透かしても不純物が一切見えない最高品質のものだ。
ウィリアムと中央商会の商談について会議を行った後、私は数日でワイン用葡萄の専有権を農家から買い取ったり、使われていない工場を視察したりした。
メイドたちと協力し、なんとか広大な廃工場を稼働可能な状態まで掃除し、領地に居る技術者の力を借りて、『万能回復薬』製造用に機材を改良したのだ。
幸い、前世で魔王をしていた時に培った知識を利用して、1時間に小瓶10個くらいの生産性を確保できた。これからじっくり改良を重ねて、もっと生産性のある機械にすることが現状での課題だ。
私が持っているのは、その機械で作られた『万能回復薬』。
果たして効能はちゃんとあるのだろうか。
一番最初に工場で作られたものとフェルヴェルフォンの市場で売られている市販の『回復薬』を飲み比べたメイドの話によると、普通に効力はこちらの方が高いとか。
けれど投入するマンドラゴラの葉のエキスの量を間違えたのか、翌日見た彼女たちの肌や髪の艶は異常なほど輝いていた。
これは設計段階でのミスがあったかもしれない、と思いその場しのぎで機械をいじり、何とか通常の量に戻した後で作られたのが、私が持っているやつだ。
期待を寄せながら、小瓶に入った『万能回復薬』を喉に流し込む。
冷えた液体が、何とも心地よい。
「………ッッッ!!!」
『万能回復薬』を飲み干した瞬間、体の内側から猛烈な力が沸き上がってきた。身を喰いつくさんとばかりに、凄まじい程の体力と魔力が一気に体に充填される。
そのあまりの急激な変化に身体が追い付かず、僅かな手の震えが起きた。
しかしそれも数秒後には収まり、私はハードトレーニングでへとへとだった状況から、一瞬にして平常時以上の状態まで回復したのである。
(なるほど。回復効果継続時間は約5秒。その間は体の制御が奪われるけど、回復直後は平常時の身体能力に若干の上昇がみられるくらいになる、か。普通に成功じゃんこれ!?)
背筋をゾクゾクさせつつ、私は空になった小瓶をポーチにしまって伸びをしてみる。
全身に力がみなぎり、今なら何でもできそうな気分である。
試しに汗を拭ってランニングを再開してみたが、いくら走っても走ってもスタミナが全く減らない。たぶんこの効果は一定期間で切れるはずだが、それにしてもこの性能。
前世のものとは何ら変わらないものを作ったはずなのに、何故か効果が全く違うように思える。
それは単に私の身体が疲れやすくて過剰に効果を実感しているだけだからなのか、それとも…?
「いーやっはぁぁぁぁあああ!!! もうこれからは『万能回復薬』の時代ね!」
叫びながら全力疾走していると、いつの間にか屋敷の裏手に到着してしまっていた。
馬で走るくらいの距離を、人力で走破出来たことに一瞬ガチな方で鳥肌が立った。
しかし直後に私の思考は、いかにしてこれを商品として売り出すか、ということに切り替わっていた。
(さすがに一般流通用としてこのレベルのモノを急に出すのは何か惜しいな……。しかも、急激な回復作用ということは何かしらの副作用もあるはず……? まぁ、さしずめ『治癒の限界』が早まるとかかな)
『治癒の限界』。
それは前世の戦場において、もっとも兵士たちから恐れられた現象である。
『万能回復薬』と同レベルの回復薬などが普通に出回っていた前世では、戦争をするときは必ずと言っていいほど莫大な数の回復薬が使用された。
もちろん、急激に体力や傷を癒す類のものは必須だった。
しかしこれらには弱点があるのだ。
その名の通り、急激な回復作用をもたらす薬品を何度も何度も使用すると、体内で魔術的な抗体が作られてしまって、使用回数が増えるごとに回復する量も減るという現象が起こるのである。
私が今世で作った『万能回復薬』も、多分ではあるが『治癒の限界』は存在する。もしこれを公表しなかった場合、あとで発覚した時が怖い。
(……よし、マンドラゴラの粉末を減らして、ルルフェスの根を増やすか。計算上だと、これでだいぶ効能が薄まるはず……まぁ、それでも市販のものよりはだいぶ高い効果があるはずだし)
万事順調。
こうして私は、不具合や欠陥を見つけながら商談への準備を整えるのだった。
♡
あれから5日が経った。
ライアスは伯爵としての権限を使って、中央商会に『緊急で売り込みをしたいものがある』ということを伝え、わざわざフェルヴェルフォン伯爵領地支部の支部長である男性との商談の場を設けてくれた。
私は諸々の手続きをしてくれた兄に感謝を伝え、共同開発責任者のウィリアムに連絡をした。
彼もあらかじめ準備を整えていたようで、ティフェルバーニャ領にある工場に関する貸出契約書を持参するとの返答があった。さすが、わかっているじゃないか。
中央商会のフェルヴェルフォン支部は、丁度市街地のど真ん中にある。
その前には自然を生かした大きな公園があり、平日休日問わず多くの人が憩いの場として利用している。私はランドマークたるその公園を集合場所に選び、二人のメイドとともにウィリアムを待っていた。
いくら涼しいといってももう初夏、内陸部で気温が高まりやすいフェルヴェルフォン領全体は盛夏と勘違いするほど暑くなっていた。
私は上品に扇子で顔を仰ぎつつ、何度も何度もタオルで顔や首周りを拭いていた。
暑いから、だけではなくある種の緊張も感じている。
「……まぁまぁ、そんなに緊張せずとも私たちの商品は完璧ですわよ、お嬢様。ねぇ、リリス?」
「そうなのですっ! そんなに強張らないで、もっと気楽にいきましょーよお嬢様!」
励ますように声をかけてくれたのは、付いてきてくれたシシアとリリスだ。
今日は屋敷にライアスと会う予定の者が来るらしいが、メイド長のシシアは全ての仕事を他のメイドに分担させて抜け出してきたようだった。これでいいのかメイド長。
「ふひゅう……緊張じゃなくて、すっごく、暑い、のよ……お願い、ハンカチもらえる?」
「あっ、まだまだありますよお嬢様」
リリスが抱えるバスケットには、汗で何故か茶色く変化した無残な白いハンカチの残骸が放り込まれている。シシアから手渡された白いハンカチを、また一つ犠牲にして汗を取り除く。
こうして半刻ほど木の下で待ち続けていた私の耳に、最近よく聞く声が飛び込んできた。
「おーい、待たせて悪かったな、豚!」
そう、私のことを豚と呼ぶ人間などこの世に一人しかいない。
……私が知る限り、だが。
「あぁ、ウィリアム様。やっとお出ましになられましたか」
「いやぁ、悪いな。今日は休日だろ、だから街路が混んでいて馬車の到着が遅れたんだ」
ウィリアムは癖っ毛の銀髪を指でくりくりと巻きながら、苦笑いを浮かべつつ現れた。
どうやらいつもの正装では暑すぎると感じたのか、今日は半袖に七分丈のグレーのスーツを着てきている。少年の美しい肌色の脚がなんとも眩しい……そしてうらやましい。
そして年頃の活発そうな雰囲気を漂わせる蒼い瞳の少年は、私とのあいさつの後に、目を瞬いてシシアが持っているものに注目した。
「なんだ、それは? 旅行用のカバンのようだが……」
「あぁ、これですね。一応試作品の『万能回復薬』を数本と、うちのワインを一本入れてきております。あと商談に必要な諸々の書類とか、ですね」
「そうか……なんだかこんな軽装備で来てしまって申し訳ないな」
私が答えると、ウィリアムは首の後ろを掻きながら眉を顰めて言った。
確かに、ウィリアムは両手に何も持っていない。
しかし彼の後ろで控えている初老の執事と思われる男性が、一枚の封筒を持っていた。
それが件の工場貸し出し契約書なのだろう、と適当に検討をつける。
「いいんです、別に。さぁ、じゃあ準備が整ったところで早速商談に向かうとしますか」
「えっ、あっ、ちょっと待ってくれ。お前の兄の……ライアス伯爵、だったか? 彼は来ていないのか? てっきり一緒に商談の場に同席してもらえると思っていたんだが……」
「いや、いませんよ」
「ええっ!? 僕らみたいな子供だけで大丈夫なのか!?」
「大丈夫です兄は私よりもちょっと年上なだけで基本的な性能は私のほうが上です」
「基本的な性能!? ……いや、そういう問題じゃなくてだな!!」
そういえば、ウィリアムには二人だけで商談に臨むことを言っていなかった気がする。
確かにライアスは伯爵としての権力もあるし、それ故に取引に関する決定権も持つ。
しかしたとえライアスが来ても大した戦力にはならなかっただろうし、口下手な者が来たとしても中央商会の策略に乗せられて安価で商談を決着させてしまうだろう。
それだけは何としても避けたい。
だから信用が得にくい、というリスクを負いつつも敢えてこの道を選んだのだ。
驚いているウィリアムにその一部始終を説明すると、彼はいささか不可解だというような顔をしたが、なんとか納得していた。
「よし……。それじゃあ、行きますよ」
「ちゃんと、気を引き締めていかないとな」
ここで初めて感情がシンクロした私とウィリアムは、同時に深呼吸をして中央商会の建物を見上げる。
目指すはこちらに有利な商談成立。
だが負ける気はしなかった。
だって私は_________
(_______魔王アーヴェナ=シェイストーム。たとえ転生しても、その頭脳は衰えたわけじゃない)
途端に、私の瞳に明確な感情が渦を巻いた。。
そう。
溢れんばかりの、闘志だ。
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最近スローペースですが、次回は白熱する(予定の)アイリス・ウィリアムVS中央商会!!
補足説明しておくと、中央商会は王都で国王に認可を受けているためそこら辺の支部であっても、支部長は領地の長と同じくらいの権限を持っています。そして、中央商会から見切りをつけられれば領地の財政は一気に苦しくなる_______とか、そういう裏話があるんですよ笑
ぜひぜひ、明日をお楽しみにしていてくださいね!
それではまたお会いしましょう。