9・『アイリス=シャトーゼ』なだけ
「みんな……成功、いや、大成功よ……!!!」
あっという間にメイド達が拍手をし、口々に私のことを褒め始める。
照れくさくなった私は、シシア達にここにいる全員の分のグラスを持ってくるように命じた。
あっという間にグラスが運ばれてきたため、私は丁寧にワインを注ぎ一人ずつに配る。
皆に行き渡ったのを確認した後、私はワインの入ったグラスを掲げて満面の笑みで叫んだ。
「さぁ、乾杯よ!!」
「「「「「「乾杯!!」」」」」」
ワインを飲んだメイド達が次々に顔色を変えて、まじまじとワインを見る。
その表情はどれもすぐに、驚きから笑みへと変わった。度数は高いはずなのに一気飲みしてしまう年配のメイドもいたし、うっとりとしてグラスを両手で抱える若いメイドもいた。
徐々に、まるで軽い宴会をしているように、メイド達が互いに世間話や仕事場の愚痴を語り合い始めた。
まぁ、せっかくこれだけいい結果が得られたんだから、みんなもこの恩恵に預かって然るべしだろう。
なんていったって、彼女たちには今まで沢山の迷惑をかけてしまった。主に悪口とか嫌な命令とか嫌な命令とか嫌な命令とか、あと嫌な命令とかだ。
これで許してもらいたいなんて気はさらさらないが、せめてもの償いとしてお酒を分け与えるくらい、ライアスだって許してくれるだろう…。
そんなことを考えて、ちびちびとワインを飲んでいると、リリスが近付いてきた。
心なしかその足取りはふらふらとしており、目の焦点もあっていない。
彼女は私の至近距離までその端正な顔を近づけると、
「ぷはぁ~、いいですねぇお嬢様、お酒って!! あ、そうだそうだ、このお酒の名前ってどうするんですかぁ~??」
「いやまだ決めてない……っていうか酒臭っ!? リリスあなたどんだけ飲んだの!?」
もわぁん、と嗅ぎたくないにおいを発するリリスの息から距離をとる私。
あれだ、おそらくこの子はお酒に向いていないんだと思う。
ただしリリスは良いことを教えてくれた。
このお酒の名前は何にしたらいいのか、ということだ。
(やっぱり無難に『アルネル=シャトーゼ』か? いや、それだと市場に出回った時葡萄のほうと区別がつかないな‥‥、だったら『フェルヴェルフォン』とか? いやだめだだめだ、そう簡単に伯爵家の名前は付けられないし……)
考え込んだ私の姿を見て、一部始終を目撃していたシシアがアドバイスをくれた。
「まだ決まっていないなら、こんなのはどうでしょう。『アイリス=シャトーゼ』とか?」
「あぁ、いいっすね、シャトーゼには『輝くほど美しい』っていう意味がありますし!!」
「本当ねぇ~、まさにこのワインにぴったりだわぁ~」
「造ったお嬢様の名前も入っていますし、べすとまっちってやつですわね!!」
メイド達が口々に賛成する。
……おいなんだ輝くほど美しいって。皮肉なことに私の顔は美しいどころか醜いんだが!?
だがその場のノリというものは恐ろしい。
いつの間にか倉庫の後方にいたメイドにもこの話が伝わってしまい、このお酒の名前は『アイリス=シャトーゼ』に決まってしまっていた。
(『アイリス=シャトーゼ』、か……。こりゃますます痩せて綺麗になんないと、格好がつかないじゃん…どうしようがくがく)
私は若干小刻みに震えるのだった。
♡
あのワイン試作から数時間後、すっかり仕事をサボってお酒に興じていたメイド達は、意外と厳格な料理長たちによって強引に倉庫から追い出され(一部は酔っぱらって料理人に絡むのもいたが)、無事に屋敷は元のサイクルに戻っていた。
私は倉庫でシシアとともに、余ったワインを専用のワインボトルへ入れ、コルクで栓をした。
濡れた羊皮紙を張り付け、羽ペンで記入したのは、洒落た字体の『アイリス=シャトーゼ』という文字だった。
実は試作品の一発目でワインの製造が成功する確率はかなり低く、私も始めたてのころは何度も何度も失敗して癇癪を起しかけていた。
それでも偶然というべきか、見事に完成してしまったのでその手順や分量、工程を改めて資料に記して厳重に保管しておいた。もしかしたら、末代まで続く秘伝のレシピになるかもしれないのだ。
そんなこんなで私は、シシアとともに件のボトルを持ってディナーに向かった。
ダイニングルームで、いつものようにヘルシーな食事をして、兄と本当にどうでもいいような話を談笑しながらデザートの時間を迎える。
デザートが運ばれてくる前に、私はこう切り出した。
「お兄様。実は今日、言いたいことがあるんです」
「ん、なになに? もしかして体重がすごい減ったとか!? んーやっぱりかぁ、最近アイリスどんどん細くなってきてびっくりしてるんだよね~」
「いやそれも言いたかったですがまずは人の話を聞けおい聞いてんのか」
確かに兄の指摘通り、ここ数日で一層私は痩せた。
ヘルシーな草ばかりの食事と、死ぬかと思うほどの激しいランニングやらを自らに課しているため当たり前と言えば当たり前だ。
おかげで顔の輪郭も、ちょっとずつではあるがシャープになり、以前着用していたワンピースも心なしかだぼだぼに感じるようになってきているのだ。
しかし今伝えたいのはそれじゃない。
確かに痩せたのはうれしいけどもね!?
「違うんです、お兄様。言いたいことっていうのは、その、実はお兄様にプレゼントがあるんです」
「へぇ、僕に? 珍しいね、アイリスのほうから僕に何かくれるなんて……」
「あはは、ご冗談を。じゃあシシア、持ってきて頂戴!!」
横で待機していたシシアが優雅に一礼して、ダイニングルームの端に置かれていた無数のキッチンワゴンの中から一つ、先ほど作ったワインが乗ったやつを運んできた。
私からライアスへと、その瓶を直接手渡す。
すると彼は、興味深そうな目でボトルをまじまじと見つめた。
「これは_______ワイン? 銘柄は『アイリス=シャトーゼ』、聞いたことないな。もしかして君の名前が入ってるからわざわざ買ってきたのかい?」
「えーと、まぁ、うん、いいや。とにかく飲んでみてくださいよ」
「そこまで言うなら……よっ、と」
ライアスは眉をひそめたまま、ワインをグラスに注いで香りを嗅ぐ。
するとその瞬間、彼の目が今まで見たことないほど大きく見開かれて、私とワインを交互に見た。
「これ、ほんとに市場に出回ってるもの?かい?……オールドヴィンテージものってことはわかるけど、こんなに品質の高そうなのは初めてだよ...!」
「くっくっくっ。驚くのはまだ早い。実はそのワインを作ったのは_______私なのです」
「は?」
ますます驚きで唖然とする美青年兄。
彼は私の横で待機しているシシアに、『マジで言ってんの?』という疑わし気な視線を投げかける。
しかしシシアは動じず、平然とライアスに真実を伝えた。
「このワインは本当にお嬢様が一からお造りになられたもの。お疑いになるのでしたら、ほかのメイドにも尋ねてみてくださいませ。皆、お嬢様が造っているところを目撃しましたわ」
「なっ、なに…!? どうして、アイリスが、そんな……」
「私もわかりませんが...きっとお嬢様は、何らかの天啓を得られたのでしょう」
嬉しそうにシシアが笑う。
ライアスはそれでも信じられないと言った顔で、一言呟いた。
「いや、アイリスのことだし...そうか、もしかしてフレーバーワインか?だったら...香りにも納得いくな」
フレーバーワイン。
フルーツなどの香ばしい匂いをワインに染み込ませ、『香り』で楽しむワインだ。
だが断じて私はフレーバーワインなど作ってはいない。これは、歴としたオールドヴィンテージものだ。
「じゃあ...飲んでみるね」
ライアスが軽く一口、ワインを口に含む。
数秒後、彼の顔が今まで見たことないほど驚きに満ち、同時にうっとりとしたような目になった。
鼻息を荒くし、もう二口ほど口に含んで、私手作りの『アイリス=シャトーゼ』の魅力をとことん味わう。
しばらくして、ようやくライアスが我に返ったように顔を思いっきり上げ、キラキラとした視線を私に向けてきた。
「アイリスっっ! これすごく美味しいよ!! 今まで味わったことの無い、繊細で優雅な_________いや、なんて言えばいいんだろう!? とにかく、こんなに美味しいのは初めて味わったよ!!」
「そりゃあそうでしょうね、私が造ったんですから私が。 ...どうです?この家にある『王都最高級』とやらと味比べしてみますか?」
薄っすらと不気味な笑みを浮かべつつ、私は愚問とも言える質問をした。
もちろんライアスは首を激しく横に振り、
「わざわざそんな事をしなくても、一発でわかるさ!! 全然こっちの方が美味しいよ!」
「あはは、そうですか?......どうですお兄様、これを商品化してみるのは如何でしょう?」
いきなり核心を突く話題に切り替える。
『王都の最高級より美味しい』、となると王都の市場にこれ以上のものは存在しないことになる。
よってその市場にこのワインを売り込むことができれば、圧倒的に業界シェアナンバーワンのはずだ。
ライアスは私の提案を聞き、少し考えた後頷いた。
「いいね。ただ問題は、これを商品化するための設備や時間だ。そもそも、こんな熟成されたワインをどうやって作ったんだ? パッと見ても、20年以上前に醸造されたものみたいだし...」
「あぁ、それはですね____________」
私は、半信半疑の兄にワイン製造の一部始終を伝え始めた。
♡
さすがに【転生】のことは言わなかったが、出来る限りの経緯をライアスに話すと、彼は椅子から転げ落ちそうになるくらい(実際落ちた)驚いていた。
まさに青天の霹靂だろう。
しかしライアスは数分後には、元の優しげな笑みを浮かべた表情に戻っていた。
ちょっと引き攣っている笑みだが。
「うん、まぁ...大方のことはわかったよ。これなら君に全部任せられそうだね。......出来る?」
「もちろん。では、これから量産のための計画と市場に出す準備をしなくてはいけませんね...」
「確かにね.....でもワインを造ったのは僕じゃなくてアイリスだ。責任者は君でいいんじゃ無いかい?」
「えっ...いいのですか?」
私は思わず聞き返した。
てっきりライアスは、葡萄酒の売買権を自分に渡せと言ってくるだろうと思っていたのだが。
おそらく、この様にあまり欲がない性格だから領地経営にも失敗したのだろう。
前世の魔王としての勘が告げているが、博打を打たない経営は安定するものの、大きな波が来ればあっという間に破綻してしまう。
今回の場合だと飢饉とか不作だな。
「じゃあ、ありがたく受け取ります。数日中に計画をまとめてお兄様に渡しますね」
「やけに早いね...いや、今更だけど、アイリスは本当に変わったよね」
「どういう意味で?」
半目になった私の顔を正面から見つめたライアスは、異性を魅了する甘いフェイスで軽く告げた。
「もちろん、いい意味で」
「...っ」
軽く、ドキッとした。
僅かに胸が疼く感覚が走ったが、なんなのだろう。
...まぁいいか。
私はその謎を特に追求することもなく、ダイニングルームを後にした。
お読みいただきありがとうございます。
日に日にブックマークやポイントが増えていることが、本当にうれしいです。
ぜひ、あなたの感想をお聞かせください。
ブックマークやポイント評価もしてくだされば、なお投稿スピードが上がります。
よろしくお願いします!




