序章 売れない芸人、いきなり人生終了する。
序章 売れない芸人、いきなり人生終了する。
梶山信光は現在、六畳一間のアパートに住んでいた。
ただそれも、今月末までのことである。
長いこと家賃を滞納していて、今月までに全額支払うことができなかったら住んでいる部屋を追い出されることになっていた。
梶山は芸歴23年、45才になる芸人であった。
若い頃、相方の木田隆と一緒にサクラダモーモーというコンビを組んでいた。
当時はお笑いブームで地上波にもネタを披露する番組がたくさん存在していた。
ネタ番組でやったシュール系ショートコントがウケて、一時期人気があった過去がある。
その当時はそれなりに稼ぎがあったが、すべてパチンコに消えてしまい借金も作ってしまった。
まだまだ自分の人生は始まったばかりであり、これからお笑いで頂点を目指す自分にとってはいい刺激になるとそう思っていた。
だがそんな時代は長く続かなかった。
お笑いブームは急速に下火になり、地上波からは次々とネタ番組が消えていった。
同時にネタを中心にやっていた芸人は姿を消していき、地上波ではトークの出来る芸人とたまたま目立つことが出来た一発屋と言われる芸人のみが生き残ることができていた。
サクラダモーモーにはネタしかなかった、そのネタもショートコントを中心で回していくネタで誰の記憶に残るようなものがなかった。
気がついたら、真っ先に消えてしまうお笑いコンビの筆頭になってしまっていたのである。
それが17年前のことであった。
その後地上波でサクラダモーモーの姿を見ることはまったくなくなり、コンビを解散したのは今から10年前のことである。
コンビを解散した後木田は放送作家となり、梶山はピンで芸人を続けていた。
現在は某配信サイトにおいて有料会員放送を行い、そこから月々入るわずかばかりの収入と、昔のつてで時折入る仕事でどうにか暮らしていた。
主な収入源となっていた配信サイトの会員数は明らかに減ってきており、到底状況が安定しているとは言えなかった。
だが、それでも梶山が芸人をやめようと思ったことは、あまりなかった。
まったくないというとさすがに嘘になるからあまりだ。
基本的にいつでも誰かに借金している状態なので、やめたいと思った理由は収入が安定しないとかそういう理由ではない。
たまにではあるが、自分が本当にお笑いというものがなんなのか、わからなくなることがあるからだ。
完全に自分を見失っているのだが、そういうとこには決まってウケなさ過ぎて嘔吐しそうになる。
そんなことが続いたりすると、自分が何をやっているのか分からなくなる。
そもそも、お笑いってなんなのだろうか?
そんな疑問が頭のなかに浮かんでくると、もうお笑いをやめてしまおう。ふと衝動的に思ってしまうのである。
それでも改めて冷静になってみると、自分にはお笑い以外に何もないことに気づいて、結局は未だに芸人をやめられないでいる。
そんなことがずっと続いた結果、鳴かず飛ばずのまま芸人を続けて、今の状況になっている。
そうは言っても、若手芸人の場合だとアルバイト等でお金を稼いで芸人を続けていることが普通の状況なので、今の自分の暮らしが悲観的な物であると梶山は思っていない。
それに生配信放送に関してはある種の自負があった。
有料会員が書き込んでくれるコメントを拾いながら、それを笑いに変えていくことは自分が一番うまいのだという自負を持っている。
そういった配信等が、時折あるイベントにおけるMCの仕事に繋がることもある。
また会員数は少ないとは言っても、自分のチャンネルを持っていることは大きく、様々な人をゲストに呼ぶことで新たな繋がりも生まれていた。
少し前ネットで配信されていた番組でMCをやっていことをきっかけに、その時の出演者が出演料なしで出演してくれているので、どうにか梶山のチャンネル配信も番組として成立することができていた。
それでもだ。今すぐではないにしても、いつかは芸人としての終わりが来るのだろう、と内心では漠然と感じていた。
しかし、終わりというものは突然以外な形でやってくるものだ。
それも、大抵の場合は本人にとっては想定外の原因によって。
梶山の場合だと、芸人の終わりは人生の終わりとともに訪れた。
もう深夜近かった。いつものように所属事務所を借りてチャンネル配信をしたのだが、ゲストとのトークが盛り上がりすぎて随分と遅くなってしまっていた。
昼間より若干空いている道路を、原チャリ帰る。
走りやすさにかまけて、ついつい早めの30キロで走っていると、突然歩道から人影が飛び出してきた。
ブレーキは間に合わない。もう確実に人を跳ねてしまったと思った瞬間、梶山の体は原チャリごと宙に舞っていた。
梶山の人生はこの瞬間終わった……はずだった。
梶山は自分がふわふわと宙に浮かんでいることに気がついた。
助かったのか……とも一瞬思ったのだが、何かおかしい。
一番おかしいのは自分の体が透けていることだった。
自分に何が起こったのか知りたいと思った瞬間だった。
「それは私が答えよう。梶山くん、君は死んだのだ」
突然目前に現れた男が話しかけてきた。
「あ、あんた誰だ? それに、俺が死んだって?」
当然わけが分からないまま梶山は聞き返す。
「私の名前はズヴゥロート、魔神をやっている。君は運悪くちょっとした事故に合い死んでしまった。それはまぁいいとして、問題は君を跳ねて死なしてしまったのがこの私ということだ」
イヤになるくらいのイケメンが何かとんでもないことを言っている。
「お、俺を跳ねて死なせたって……どういうこと?」
梶山は混乱したまま尋ねるが。
「君はこれからこの世界で言う所のあの世にいくことになる。だが、それだと非常に都合が悪い。ここは私の世界ではない。もしこの世界での死に私が関わっていたことが知られると、世界間問題へと発展することになる。だが、死者をこの世界で生き返らせるのはそれこそ大問題だ。だから、君には私の支配する世界で生まれ変わってもらうことにした。だが、さすがに何もなしというわけにはいかないだろう。そこでだ、転生にあたって君には幾つかの特典をつけさせてもらう。もちろん、君には拒否する権利はない。納得したかな?」
納得するも何も、梶山はわけが分からないまま、一方的に話をされましても状態になっている。
「えーと、魔神さま? ってことは、やっぱり俺は死んだってことですか?」
梶山はこれまで見たこともないようなイケメンに向かって恐る恐るはなしかける。
「もちろんさ。なんなら君の死体を見せてもいいぞ? 俺が跳ねた後、たくさんの車にぶつかったためにすっかりひき肉になってるがね」
けっこう楽しそうにズヴゥロートが言った。
「い、いえけっこうです。それじゃ、俺は結局お笑いで再起できないまま死んじゃったってことですね……」
自分の死を受け入れたとたん、梶山の心に浮かんだことはそれだった。
自分は誰よりも面白い。若い頃はなんの迷いもなくそう思えていた。
誰よりも多くの人を笑わせることができるのだ、という根拠のない自信もあった。
地上波に出れなくなり、人を笑わせる力のある後輩芸人が自分を置いて上へと登っていくのをずっと見ていた。
それでも自分は面白い、まだまだやれると思い続けてきた。
だからこそ、底辺に居続けても芸人をやめることができなかったのだろう。
だが、現実はこんなものだ。
燃え滓のように微かに燻っていた梶山の夢は、偶然による一瞬で霧散してしまった。
「なにやらいい感じに思い出に浸っているところをすまん。悪いが時間がない。簡単に特典の説明をしておく。君の両手の甲と額、それに両方の瞳に私の紋章を刻んでおく。それによって私の力を引き出すことが出来る。ただし、使い方も分からない状態で不用意に力を引き出せば、世界が破滅しかねない。そこで君が繰り返しその力を引き出し使い方を学んだと認められたら、紋章は一つづつ開放されていく。最初は左手、次に右手、左の瞳、右の瞳、最後が額の紋章だ。もっともそこまで到達できるかどうかは君しだいだがね。それともう一つの特典。君は今の記憶を持ったまま、私の世界でアクラ帝国の皇子として生まれることになる。ただ私の紋章を持って生まれてくるのだから、様々なトラブルに巻き込まれることになるだろうがね。とりあえず、説明はこのくらいだ。後は、実際に生まれ変わってから自分で確認したまえ」
イケメン魔神から言われた瞬間、何を質問する間もなく、梶山の意識は闇の中に吸い込まれた。