その97 ぽかぽかになりました
琥珀色の液体が、グラスに注がれる。
ほのかに温かいのは、火炎樹の実のせいだろう。
くんくんと、匂いを嗅いでみる。
酒精に混じって、コーヒーにも似た香ばしい香りがする。
舐めてみる。
舌先に、淡い苦み。
それからひと口、口をつける。
えもいえぬ香気が、口中から鼻に抜けていく。
味わいは芳醇。その中で淡い苦みが、全体に一本の芯を通している。
「苦い……けど、うん。これはいいね」
シェリルに微笑みかける。
なんというか、大人の味って感じだ。
私は子供舌なので、チョコとかラムネとか、甘いものが欲しくなるけど。
「喜んでいただけて光栄です。いくらでもお飲みになって下さい」
「いや、私お酒に弱いし、なによりこれってキミの薬みたいなものでしょ? 気持ちだけ貰っておきます」
言いながら、くぴりともう一口。
火の魔力を持ってるせいか、体が温かくなってくる。
おなかの中からあったまる感じで、ちょっと気持ちいい。
心なしか、シェリルちゃんの視線が生温かい。
「そういえばさ」
ふと、気になって、黒髪少女に目を向ける。
「――キミと会う時、言いくるめられやしないかって、身構えてたりしたんだけど……なんというか、すごく丁寧だったよね? それも心境の変化からなのかな?」
「……いえ、以前のわたしでも、あなたには同じ対応をしたでしょう」
苦笑にも似た笑みを浮かべて、影の魔女シェリルは答えた。
「――考えてみてください。神様を、騙す気になれますか? 後日にでも発覚して怒りを買えば、自分の身はおろか、国さえも滅ぼされかねないというのに?」
ああ、そういえばそうか。
そもそも、大前提として、影の魔女シェリル個人も、ローデシア王国宰相シェリルですら、交渉相手としては、私と対等じゃない。
騙したり、あるいは交渉によって公平を欠く成果を得ようだなんて。
「……まあ、怖くて出来ないだろうね」
「でしょう。以前さる魔女の怒りを買って、痛感しました。魔女や幻獣は敵に回すものではない。誠意を以て当たるしかないと」
なんというか、その言葉には深い実感がこもっている。
「ひょっとして、その魔女ってオールオールちゃん?」
お酒を口にしながら、ふと気になって、尋ねる。
黒髪少女は、すっごく不審げな顔になった。
「ちゃん? ……ええ。陋巷の魔女オールオールです。どうも相性が悪いようで、わたしのなにげない言動が、彼女の勘に触るようなのです。正直彼女だけは、どれほど本音を吐露しても、わかりあえる気がしませんが」
まあオールオールちゃんは情優先で、シェリルちゃんは法優先だ。スタンスからしてもうケンカになる気しかしない。
地味に、この子が根っこの部分を晒せば、案外仲良くなれる気もするけど。実姉に対する献身的な愛情とか。
「うなー」
「うなー?」
シェリルちゃんが首を傾ける。
酔ってきたかもしれない。くぴくぴ。
「女神様、もうそこまでにされた方がよろしいのでは?」
見かねたのか、シェリルちゃんがやんわりと止める。
「まあ、そう言わずに。シェリルちゃんももっと飲もうよ」
「わ、わたしは、それほどお酒も強くないですし、魔力的にも許容量が……」
「じゃあ、べつのお酒にしよう!」
シェリルちゃんの手元にあった呼び鈴を、ちりんちりんと鳴らす。
「じんぐるべーる!」
「女神様。姉様が起きてしまいます。どうかお静かにお願いいたします……!」
「ふふふー。シェリルちゃんはリーリンちゃんが大好きなんだねー」
「な、なっ!?」
おお、シェリルちゃんが真っ赤っか。
「……シェリル様」
と、扉の向こうからサムズさんの声。
ふつうなら侍女さんとか執事さんの仕事なんだろうけど、あっちはあっちでシェリルちゃんが心配なんだろう。
「サムズ。なにかお酒と、お水と、つまむものを用意して。それから、巫女アルミラに事情を伝えて――」
「だめです」
「しかし、あまりお過ごしになっては……」
「怒られるのでだめです」
私がダダをこねると、シェリルちゃんはあきらめたようにため息をついた。
「……どうぞ、女神様のお望みのままに」
◆
翌日。
目が覚めると案の定二日酔いだったり、なぜかシェリルちゃんを抱えて寝てたり、なぜか半裸だったりしたけど、私は元気です。すいません自重します。
ともあれ、水竜の甘露を飲んで全快したので、出発の支度を整えることにした。
向かう先は、ローデシア王都フランデル。ジェット飛行術で飛んでいけば、一時間少々でたどり着ける距離だ。
ただ、飛んで行って火竜王を締め上げて、責任取らせてハイ終わり、とはいかない。
まず、ローデシア王国の守護神竜である火竜フラム。
老齢であり、持ち前の覇気を失ったフラムだけど、王都の守護は、盟約に記された事項だ。
本人の意志に関わらず、火竜フラムは出てくるだろう。幻獣は、契約によって存在を強化されている。契約の履行に関しては、さらに力を発揮する。
これを敵に回すのは……まあ、やっかいだけど、可能だと思う。
でも、火竜フラムを殺すのは……シェリルちゃんはともかく、リーリンちゃんが泣くのはすっごく罪悪感がある。
続いて、王都を守ってるだろう火竜騎士団。これも簡単には潰せない。
いや、潰すのは簡単なんだけど、それをすると、南部諸侯へのにらみが利かせられなくなる。
事実上反乱状態にある南部諸侯が挙兵していないのは、西部諸邦最精鋭たる火竜騎士団の存在が大きい。それを損なうわけにはいかないのだ。
逆に、火竜王や王妃オニキスに関しては、煮るなり焼くなりって感じ。
宰相の職を罷免されたとはいえ、影の魔女シェリルは王族、しかも長老格だ。その権利を行使して、かなりの無理ができる。
いろいろとめんどくさいけど、あくまでこれは理想だ。
最悪火竜フラムが殺されるのも仕方ないし、火竜騎士団の壊滅もやむなし、とシェリルちゃんは言ってくれてる。
さすがに火竜フラムが死んだら一大事なので、その時はローデシアの守護神獣になることも考えてほしいって頼まれてるけど。
要するにアレだ。
良心が許す範囲で好き勝手やっていいってことだ。
私はそう解釈した。たぶんそんなに間違ってない。
王都にダイナミックエントリーだけは、火竜フラムの出動案件なのでNGだろうけど。
と、いうわけで。
「やあ」
王都フランデルの後背、ウラ山脈のふもとに建つ、壮麗な神殿。
火竜フラムのお宅を訪問することにしました。
まずは神同士で話をつけなくちゃね!
次回更新26日22:00予定です。




