その94 長い手ってなんですか?
「さて」
土下座した影の魔女シェリルが席に戻るのを待って、問いかける。
「私の望みをわかってるキミなら、そのために、なにが必要かってのも、わかるよね?」
「はい」
少女は静かにうなずいた。
すごく落ち着いていて、洗練された仕草だ。
さっきまで土下座してた人間だとは、とても思えない。
「――我が国に関して、わたし以上に理解している人間は居ないでしょう。なにが問題で乱れたか。どうすれば解決できるのか、なるべく主観を排して説明いたします……ですが、しばらく伏せっていたため、情報が滞っております。家宰の同席を許していただいてよろしいでしょうか?」
「いいよ」
少女の提案を許可する。
彼女が伏せっていた期間が一月、いや、半月程度だったとしても、その間に事態は大きく動いてるはずだ。事情をよく知る人間の同席は必須だろう。
「では」
と、黒髪の少女はちりんちりん、と鈴を鳴らす。
鳴らし方が合図になってたのか、家宰のサムズさんが直接やってきた。
「失礼いたします。シェリル様、ご用でしょうか?」
「サムズ、いまから女神様に、わが国で起こっている問題についてお話しします。最近の出来事について、補足して頂戴」
「承知いたしました。“蜘蛛の巣”をまともに活用できておりませんので、十全とは参りませんが」
「わかっています。わかる範囲で構いません」
おお、お嬢様と執事の会話っぽい。
シェリルと、その背後に控える家宰さんとの静かな会話に、謎の感動を覚える。
よく考えたら私とつき合いのある女の子って、ほとんどお嬢様と呼ばれるような身分の子だけど、全然らしくない子ばっかりだし。
と、思考が逸れたけど、確認したいことが出来た。
「シェリルさん。“蜘蛛の巣”ってのは、私が知るところのローデシアの長い手、のことでいいのかな?」
「シェリルとお呼び捨て下さい――はい。その通りですわ」
私の問いに、シェリルはうなずく。
「ただし、“蜘蛛の巣”は、他国の者が考えるような、情報、調略、宮廷工作、果ては破壊工作等、多岐に渡る活動をこなす、恐るべき工作員などではありません。ただの諜報網――いえ、情報網です」
「情報網?」
「ええ。極めて広く、浅く、情報をかき集めるだけの組織。たとえば町の噂好き。あるいは酒場の店主。ちょっとした事情通。そんな人間を介して、どんなくだらない情報――たとえば、お隣の娘さんが嫁に行ったとか、あそこの店は痛んだ魚を出すとか……本来打ち捨てられるべき情報も、全部吸い上げて現場で蓄積しておく。ただそれだけの組織です」
「現場で?」
「ええ。その中から必要と思われる情報は、適宜引き出すようにしておりますが。それらは必要となった時に――たとえば浮気の事実を掴まれた方に、ちょっとした調べ物をしてもらったり、不遇をかこっている貴族に、ちょっとした意趣返しを示唆したり……まあ、そんな感じですね」
なるほど。
情報を徹底的にプールしておいて、必要になった時に適宜引き出す。あるいは新たな情報を得るための材料を提供する。
実際に諜報活動なんかを行ったり、行わせたりする人間は別にいて、他国の人たちには、たぶんそこだけが見えてた。
“蜘蛛の巣”が見えていないがゆえに、人はローデシアの、影の魔女の、異常とも言える手の長さを恐れたんだろう。
つまり、手品のタネ部分。
いや、こんな馬鹿げた規模の組織を維持出来てるだけで、十分ヤバイんだけど、他国に明かしていい情報じゃない。
「シェリル様……」
「サムズ、よくお考えなさい。女神タツキ様がわざわざ訪ねて来られた、その意味を。そして女神様が思い描く、その後の世界の姿を」
不安と不満を声ににじませる家宰さんに、シェリルちゃんは教師のように説き聞かせる。
その後、というのは、私や両王国の干渉で、ローデシアが平穏を取り戻したら、ということ。
つまりは火竜王が影の魔女シェリルを宰相に返り咲かせるか、それとも火竜王を排斥して新たな王をシェリルが擁するか。いずれにせよ、短期で事を治めるには、両王国の守護女神である私の後ろ盾が不可欠だ。
「ローデシアの長い手の存在を、アトランティエやユリシスが善しとしないのは明白です。切り放すなら、あるいは譲り渡すなら、いまこの時が最良と判断します」
うん、ステイ。
そのへんの政治的な話は通信機越しにエレインくんやインチキおじさんとやって下さい。私の手に余るので。
「ありがとう。そのあたりの話は、後でするとして……まずはローデシアで起こっている問題について、教えてくれるかな」
「承知いたしました」
居ずまいを正して、魔女シェリルは、静かに口を開く。
「……まず、この国が乱れるきっかけとなった、一人の女。彼女がどのようにしてこの国に現れ、なにを成したのか。語らせていただきます」
「……その前に、ちょっとだけ、確認させて貰っていいかな?」
話の都合上、出てくるとは思ってたけど、確認しとかなきゃいけない事がある。
「――アルミラ、元の姿に戻って」
「ええっ!?」
私が声を向けると、猫ミラさんが声をあげた。
「紹介が遅れてごめん。そこの……眠りかけてるリーリンちゃんの肩に乗ってる猫は、私の友達で、水竜アトランティエの元巫女、アルミラなんだけど、今からする話は、彼女に関係がある?」
私の問いに、シェリルは静かにうなずいた。
一切表情が変わってないので、アルミラさんのことを知ってたのか、いま知ったけど表情に出してないのかはわからない。
「……そういうことですのね?」
察したのだろう。アルミラさんが息をついた。
猫なので表情は分からないけど、ばたばたと、幼女の肩に尻尾を叩きつけてるので、ちょっと不機嫌ぽい。
「御推察の通りです。王妃オニキス。アトランティエに住んでいた時は、アニスを名乗り、町娘に扮しておりました」
そして、影の魔女シェリルは決定的な言葉を口にした。
ん?
彼女の言葉に、引っかかりを覚える。
「町娘に、扮してた?」
その言い方だと、もともとは町娘じゃなかったみたいだ。
「順を追ってお話しいたします……ですが、その前に、巫女アルミラ。女神様のおっしゃるように、元の姿に戻らなくていいのですか?」
黒髪の魔女が首を傾ける。
すると、猫ミラさんは、あわてた様子で尻尾をパタパタさせ始めた。
「タツキさん、このまま元の姿に戻ると、わたくし全裸になっちゃうんですけれど……」
あ、忘れてた。
次回更新19日20:00予定です。




